無垢な駆け引き
「ホルム公爵夫人に返事を出しました。荷馬車に手紙をまぎれこませたの。今頃、御用商が公爵家に届けていますよ」
「ハハ、俺を出し抜いたのを見せつけたかったのか」
コーネリアスは口をゆがませ、のそりと椅子から立ち上がった。
「そこまで頭が悪いと思わなかった」
彼がデスクの向こうから近づくてくる。ルシナはひるまないように強くスカートを握った。
「俺が公爵家に逆らえないと思って事後報告したのか。残念だが、奴らの機嫌を損ねようが俺は気にしない。君に逃げ道はない」
「逃げる気があれば手口を明かしたりしません。納得できないなら、貴方が返事をくつがえしていい。ただ、外出は私の望みでも、貴方のほうに得がある」
「どんな」
コーネリアスはルシナの前に立ちはだかった。
「人前にさらされるのは私にとってつらいことです。私が社交界の笑い者になるのを楽しめばいい。うまくいったとして踏みつければいい。一度、希望を与えられたうえで私が折れたら貴方の復讐心も満たされるでしょう」
言葉にすることで、外に出ることへの不安もあると実感したルシナは、視線を落とした。
「役立たずの王女であることを噛みしめて、今度こそ貴方の望みどおり引きこもります」
コーネリアスはしばらく考えた。
「……悪くない提案だ」
上から降ってきた声にほっと顔をあげるルシナ。コーネリアスは皮肉をこめて笑っていた。
「貴婦人は噂好きだろう。俺たち夫婦の悪評がどんなものか楽しみだな。どんな噂も肯定も否定もせず煙に巻いてやれ。同情を買おうとするなよ。どうせ誰も君に味方しない」
「……はい。わかっています」
ルシナはまっすぐ見つめ返した。
「ひとつ、貴方にもわかってほしい。私は逃げようなんて思っていません」
「……注文が多い妻だな」
呆れた声とともに、コーネリアスのひんやりした手がルシナの喉をすべる。ルシナは一瞬どきりとしたが、彼の目に怒りは見えず、身を任せることにした。すると、彼はルシナの肩を引き寄せて髪に顔をうずめた。
「君は俺のものだ、ルシナ。俺だけの」
「……はい」
髪にふれる彼の息がくすぐったくて、ルシナは顔に熱が集まるのを感じた。
「それを忘れなければ好きにさせてやる」
「はい……ありがとう、コーネリアス」
✧ ✧ ✧
アシュフォード邸のシッティングルーム。夕食を終えたルシナは刺繍に精を出していた。バザーへの参加をコーネリアスに許可されてから数日、寄贈品をつくるために時間を見つけては手芸に使っているのだ。手元のハンカチに集中するものの、ルシナは視界の外が気になる。コーネリアスも同じ部屋にいるのだ。
なんだか監視されてるみたいだわ。
彼はルシナがいるシッティングルームにやってきては、新聞を読んだり、本をひらいたり、少しのブランデーを飲んだりして時間をつぶしているようだった。今日はルシナの向かいのソファに腰をおろし、装具の手入れをしている。剣身や剣帯の革に油をなじませ、やわらかい布で磨いていくがあまりはかどっていないようだ。いちいち手が止まり、そのたびに――
どうしてそんなにじっと見るのよ。
ルシナには彼がこちらを見ているのがわかるのだ。はじめのうちは刺繍に文句をつけられるのかと思っていたが、彼は手持ちぶさたに何かをしては、ただルシナを見つめるだけで何も言わなかった。コーネリアスが不機嫌でないのはありがたいが、そんなことが何日もつづくと、いっそ文句でもいいから何か話しかけてほしいとすら思ってしまう。
「いたっ」
変なことを考えたせいか、手元が狂って指に針を刺してしまった。
ハンカチに血が……!
寄贈品を汚してはいけないと、とっさにハンカチを放り出すルシナ。大げさに騒いでしまったのが恥ずかしくなり、コーネリアスの様子を見ようとすると、彼はすでに腰をあげていた。テーブルごしにグッと手首を取られる。
「刺したのか」
「……え、と」
ルシナが何か言う前に、コーネリアスはサッとキャビネットに向かい、ガラスのデカンタとテーブルナプキンを手に戻ってきた。ルシナの隣に腰をおろし、
「手」
出せ、ということなのだろう。ルシナは彼にしたがった。コーネリアスはデカンタを傾けてナプキンにブランデーを染みこませる。それから、ルシナのぷくっと丸く血が浮いた指をその布で包んだ。
「そこまでしなくても……」
ぎゅっと力強く止血されて、ルシナは顔をしかめた。
「……いっ」
「痛がってるじゃないか」
「そ、れは……貴方の力が強いんです」
コーネリアスは一瞬ぽかんとした顔をして、「……これくらいか」と、指の力をゆるめた。
「はい。あの……大した怪我じゃないので、自分でやります」
「……手芸は終わりそうなのか」
コーネリアスは手元に視線を落としたまま淡々と切りだした。彼が指を離すつもりはなさそうだ。ルシナはあきらめて返事に集中した。
「はい、これはもう終わります。あと2つほど何か用意しようかと」
「そんなに。適当にやればいいだろう」
「そんなわけにはいきませんよ。主催の公爵夫人に悪いですから。時間もありますし」
「ご苦労なことだな。いびられに行くのにわざわざ土産が必要とは」
「……ネガティブなことを言っても、参加はやめませんからね」
「別に、そういうつもりで言ってない。好きにしていいと言っただろ。社交界を牛耳る夫人が敵国の王女にどう接するか興味があるだけだ」
コーネリアスはムッとした顔になった。また沈黙。
そんなこと言って、やっぱり嫌なんじゃない。
ルシナは呆れたが、軽く言い合いができたせいだろうか、不思議と悪い気分ではなかった。それどころか、この屋敷に来たばかりの頃とは比べ物にならない穏やかな雰囲気に、くすぐったいような心地だった。
「…………爪……変わらないな」
「え」
ふいにこぼしたような言葉。ルシナが驚いたのと同じように、コーネリアスもハッとした顔をしていた。
な、何? 変わらないって子供の頃と? 昔のことは忘れろと言ったくせに、自分は復讐だの思い出だの好きに持ち出すわけ?
頭の中ではコーネリアスに反発しながらも、ルシナの心臓は自覚するほどときめいた。
もう。外出を許されたくらいで、手当てをされたくらいで、少し……やさしくされたくらいで。そんな些細なことでどきどきしてどうするの。すっかり毒されてるじゃない。人でなしだし、怖いし、乱暴なのに、こんな人が好きだなんて。
「……止まったな」
コーネリアスが圧迫していた指を離したので、ルシナは我に返った。
「あ、りがとう……ございます」
「今日は片付けたらどうだ」
「そう、します」
また。そんな気づかうようなことを言わないで。
顔が赤いのが自分でもわかるので、ルシナは彼に早くどこかへ行ってほしかった。だが、コーネリアスはルシナの望みと反対に彼女の頬に手を添えた。
キス?
身がまえたルシナがピクっと肩をゆらすと、彼はスッと興味をなくしたように立ちあがった。
「部屋に戻って休め」
あ……拒んだわけじゃないのに。
「コ、コーネリアス」
背を向けようとする彼の手を掴んだ。
「あの、私……ふれられるのが嫌なわけじゃない、です」
彼がぴたりととまる。振り向く。
「貴方が嫌いで避けてるのではなく、その、私……夫婦のことをよく知らないし」
何言ってるの。どうしよう、彼の目を見られない。
「慣れてなくて不安なだけ。強くされるとびっくりするし」
どうしよう。また言ってしまう。
「だけど、好きなの。媚びてるとかじゃなくて、ただ貴方を好きなの。自分でも変だと思うけど、嘘じゃない」
コーネリアスが深くため息をつくのが聞こえた。
どうしよう。また怒らせてしまった。
ふわり、とあたたかい匂いがした。甘いブランデー。彼の指がルシナの唇にふれた。
「どうしてほしい?」
飲んでもいないのに、お酒の匂いと彼の言葉でグラっと理性が崩れる音がした。
「……ゆっくり、してほしい」
小さく声にしたルシナの前で、コーネリアスの膝が静かに床についた。ひざまずいた彼がルシナの耳元に口を寄せる。
「ゆっくり、な」
✦ つづく ✦




