ふたつの顔
「親の贔屓目をのぞいても良く出来た子でね。どこに出しても恥ずかしくない。おまけに王女にも引けを取らない美しさだ」
長い首の真ん中で品よく光る大きな粒のエメラルド。それに負けない自信にあふれた瞳。回廊の奥からその女が近づいてくると、ナリクレスト伯はコーネリアスの耳元で声を落とした。
「どうかな? 閣下の政務にも社交にも役に立つぞ」
彫刻のようなコーネリアスの横顔を見つめる伯爵は、内心苦々しい思いを抱えていた。
若くして辺境軍司令官。ゆくゆくは総司令官になる男だ。娘を未来の将軍夫人にと思っていたのに……前線から戻ってすぐ結婚とは。
「お父様、こちらの方は?」
「辺境軍司令官のアシュフォード大佐だ。閣下、これは娘のヴィヴィアン」
ナリクレスト伯爵令嬢ヴィヴィアンは、わざとらしく驚いてみせた。
「まあ、この方が! 先の戦功、お祝い申しあげますわ」
「恐縮です」
自慢の美しい娘に眉ひとつ動かさないコーネリアスを見て、伯爵は不満だったが目算をつづけた。
帝国で付くべきはバカ王より軍。将来の実権者と縁ができれば、議会がひっくり返っても家業は安泰だ。ナリクレスト家の刻印が刻まれた商船が港にずらりと並んでいるのが目に浮かぶ。
「司令官閣下がふさわしい妻を得れば、軍の威信は揺るがない。商いと武で手を結ばないか。ほとぼりが冷めたら王女とは……」
「離婚しろと?」
ピリ、と空気が変わった。父娘は一瞬固まったが、伯爵は平静をよそおって口角をあげた。
「王族の離婚さえも珍しくない時代だ。教会も異教徒との婚姻を解消するなら目をつぶるだろう。陛下が王女との結婚を許したことを教会は良く思っていないのだから」
「ご心配なく。さっきご存知だとおっしゃったではないですか。私が今しがた何をしてきたか。教会との摩擦は解消されますよ。陛下の采配でね」
ごくりと言葉をのむナリクレスト伯。
確かに、旧領統治のために既存の軍用費をあてて、国庫を危うくしないと言えば教会も矛を収める。しかし、バカ王への請願は軍部が勢力を広げるだけのためではないのか。一介の軍人がそこまで――
コーネリアスが低く笑うので、伯爵は我に返った。
「それに……政治のためとはいえ、私のような男に愛する娘を嫁がせたいのですか?」
ぽかんとしているヴィヴィアンに視線を流しながら、コーネリアスは伯爵に耳打ちした。
「変態趣味などと噂され自分でも恥じているのですが……アレはやめられなくて」
「!?」
「女はすぐ壊れるから長く楽しむのに苦労します」
静かに身を離したコーネリアス。伯爵は冷や汗が背中を伝うのを感じた。
アレ……!? まさか加虐趣味のことか!? どうせ下世話な噂だと思っていたが……!?
「ああ、でも……」
と、コーネリアスは過剰なまでの笑顔を二人に向けた。
「ナリクレスト伯自慢の刻印が、娘を悪魔に売った悪徳商家の証として忌み嫌われることになるんですね。商売上手でけっこうです。ハハ、伯爵家ごとぶち壊せるなら楽しめそうだな」
目の前の男の異様さに言葉を失う父娘。コーネリアスは、ひとしきり笑ったあと息をついて、伯爵の肩に手をかけた。
「はー、冗談ですよ。魅力的な提案ですが、陛下の慈悲の象徴まで壊すのは論外です。私にもそれくらいの理性はあります。ですから」
ポンポン、と軽く肩を叩く。
「お互い我慢しましょう、ね」
伯爵の顔は屈辱で真っ赤だった。ヴィヴィアンはまだコーネリアスの気を引こうと、引きつった笑顔で見あげるが、彼は城門塔に身体を向け上着を整えた。
「この話はなかったことに」
二人の前を横切り、低く吐き捨てた。
「俺の妻は生涯ただひとりだ」
✧ ✧ ✧
「やっぱり捨ててたのね」
ルシナは封筒の束を手に思わずつぶやいた。
ハンティントン王国絡みの調べものは、アシュフォード邸の書庫では案の定、成果が出なかった。コーネリアスの口ぶりからすると、ルシナは自分が軟禁状態だろうと理解していた。これ以上の調査のためにはどうにかして屋敷の外に出なければ、と悩んだ彼女は、庭から外周をあてもなく散策しながら考えをめぐらせていたのだ。
キッチンにつながった勝手口が見えてきたとき、ルシナは外に面した小さなかまどがなんとなく気になった。おそらく、かつては調理のために使っていたものが役目を譲り、焼却炉になっているのだろう。近くにはゴミがまとめられている。紙束も。ちらりと目をやると、その文字が飛びこんできた。
「アシュフォード大佐……夫人……?」
私のことだわ。これ、私宛ての手紙じゃない。
ルシナは捨て置かれた紙束――封筒を手にして、冒頭に至る。
「やっぱり捨ててたのね」
ある意味記録的な結婚をした亡国の王女になら、社交界も興味を持って接触をはかるものだが、ルシナは祝状や招待状をひとつも受けとっていなかった。
大佐夫人ともなれば社交も重要だろうに、コーネリアスはあの調子だし、私に役目を与えずに飼い殺すつもりで隠したのね。
「燃やされる前に見つけられてよかった」
まずは一度でも外出のチャンスを得るのよ。全部もっていったらバレてしまうから……とびきり有名な人からの招待はないかな。今後も外出するために、できれば相手は社交界の大物がいい。
使用人に見つからないことを祈りながら、手早く送り主をチェックする。
「!」
ルシナは一通の封筒に手を止めた。スタンプされた大ぶりの紋章印は、盾の上に冠がほどこしてある形だ。
「この冠……公爵家! どなたかしら」
ビリッと封を開き中身に目を通しつつ、ルシナは頭をフル回転させた。
コーネリアスの目を盗んで返事を出さないと妨害されてしまうかも。使用人たちにも知られないほうがいいよね。でも……黙っているのが本当に正しいの? そのあとのことは? どうしたら――
突然、ギーッと低音が響き、ルシナは飛びあがった。慌てて手紙から顔を上げると、通用門から荷馬車が入ってきたところだった。
まずい。荷おろしがはじまる。人が集まる前に隠れないと。
物陰に退散しながら荷馬車に目をやると、荷台の板には小さくアストニア王家の紋章が入っている。
王室御用達なんだ。アシュフォード家も良い業者を使ってるのね。さすが名門だわ。
とりとめのないことが頭をよぎるが、ルシナはハッと我に返った。
「あ」
✧ ✧ ✧
インテリアの重たい色味が威圧感をにじませる書斎に声が響く。
「婦人会の復興支援バザー?」
椅子に深く腰かけたコーネリアスは、手紙をデスクに投げ出し鼻で笑った。
「許すと思うのか」
デスクを挟んで立ち尽くすルシナは身を固くした。彼女はコーネリアスがアストニア城に出向いていたことは知らなかったが、どこかから屋敷に帰ってきた様子の彼を訪ねたのだ。
「私に役目を与えず飼い殺したいのはわかっています。でも、『道具になれ』とも貴方は言いました」
コーネリアスは黙ってルシナの言葉を待った。
「大佐夫人として社交界に出ます。参加を認めてください。アシュフォード家に嫁いだからには大佐夫人の役目を果たして、アストニアの民にも屋敷の方たちにも認められたい。それが私に残されたわずかな誇りです」
「させないとわかっているなら、なぜわざわざ弱みを見せる。踏みつけてくださいとでも言っているようだな」
「ええ、そうしてくれてかまいません」
ルシナは緊張から唇をなめた。
「……ただし、それは婦人会に行ってから」
「?」
コーネリアスが眉をひそめた。ルシナはひと息ついて口をひらく。
「主催のホルム公爵夫人に返事を出しました。荷馬車に手紙をまぎれこませたの。今頃、御用商が公爵家に届けていますよ」
✦ つづく ✦




