ep73 揺らめき
ヤルグが目を開けると、懐かしい天井が見えた。
そこはヤルグの生まれ育った生家の天井。
「ここは・・・」
伸ばしたその手は人間の物だった。
つまりこれは夢・・・いや、走馬灯と言うやつか。
「いつまで寝てやがる。」
声の先を見ると、部屋の入口に蒼白い肌をもつ、端正な顔立ちの男が立っていた。
「・・・兄貴。」
ヤルグの兄、ドレガス。
「昨日の夜にゼメスラが来たぞ。お前が起きんから帰らせたが。」
ゼメスラ。それはヤルグが将来を誓った女。正確に言えば、誓うはずだった女。
「一度寝たら起きないその性分は、いい加減に何とかならんのか?」
ヤルグは無視して、ドレガスをまじまじと見た。
「何だ?」ドレガスが怪訝な顔をする。
「懐かしいな。」思わず口にした。
「懐かしい?まだ寝ぼけてるのか、お前は。さっさと起きて身仕度をしとけ。」ドレガスは呆れながら言った。
「身仕度?どういう意味だ。」
「アルスラ卿がデボルに攻め行った。親父も救援に行くらしい。場合に寄っちゃあ俺たちも駆り出されるかもしれん。」
「まさかっ!」ヤルグは驚き、身体を起こした。
「どうした?急に。別におかしな話ではないだろう。」
「いや、ああ。そうだな。兎に角、準備はしておく。」
「そうしろ。」言ってドレガスは出ていった。
ヤルグは空を見つめた。
アルスラ卿に救援に行く。つまり今日は親父か死んだ日か。
この夢は俺にとっての身近な死を追体験させるというのか。
ヤルグは何もせず、時が経つのを待った。
そうして、何時間か経った後、父親の死の一報が届いた。
あの日と同じく母親は泣き崩れ、兄が支えた。
時が戻った訳ではない。これは夢、或いは記憶。どうしたところで変わらない。揺らぐことのない過去。避けられぬ死。
次の瞬間、視界が暗転した。
そこは戦場であった。
目の前に2つの角と3つの目を持つ魔物がいた。
ラーグハット。こいつがいると言うことは、この日は・・・
「そこそこ腕をあげたな、ヤルグ。」
4本の腕で持つ曲剣の斬撃を下がって躱す。
俺はこいつに殺されかける・・・
ヤルグは切りかかる。
駄目だ。
心で思うが、先程と違い、身体の制御は聞かなかった。
ヤルグの攻撃を躱したラーグハットが横から蹴り飛ばす。
地面に転がるヤルグの周り魔方陣が浮かび、身体が拘束される。
「くっ!」
「さぁ、自分の命に別れを告げろ。」
ラーグハットが4本の剣を投げると、空中で止まり、全てがヤルグの方へ向く。
それが勢いよくヤルグに向かった瞬間。
「ヤルグ!」
飛び出してきたドレガスが身を呈して、ヤルグを守る。
4本の剣がドレガスの身体は貫く。
「ヤルグ、逃げろ。」
血だらけの身体でドレガスが力を入れると魔方陣がかき消された。
「兄貴っ!」
「いいから、生きて・・・お袋の元へ帰れ。」
「でも・・・」
「行けっ!!」
その声にヤルグは弾かれるように逃げ出した。
ドレガスは死んだ。
あの日から血の滲むような努力を重ねた。
決して負けぬ、圧倒的な力を欲した。
そして、気付けば魔王と呼ばれる立場になっていた。
再び、視界が暗転する。
父親、兄、と来れば次が誰か、ヤルグには分かっていた。
そこには見慣れた扉があった。
何度も見た夢。いや、うなされた悪夢。
この日、捕らえていた捕虜が逃げ出した。ただ、逃げ出しただけならば、良かったのだが。
ヤルグが扉を開ける。
そこには血の海に沈む、最愛の人がいた。
ゼメスラ。
ヤルグは思わず目を瞑る。
ゼメスラの隣にいた配下の魔物がヤルグを見て、頭を床に擦りつけながら、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら謝罪した。
「ヤルグ様、申し訳ございません。私がついていながら・・・」
声にならぬ声だった。
「サヴァン。お前を責めるつもりはない。」
サヴァンはそれでも尚、わなわなと肩を振るわせ続けた。
ヤルグの目に涙が滲む。
「二人きりにさせてくれ。」
返事をしたサヴァンがゆっくり立ち、部屋を出ていこうした時、ヤルグが肩にそっと手を置いた。
「皆に伝えろ。ガールゼンを見つけ出し。血祭りに上げろ。」
「必ずや。」
ヤルグは膝をつき、ゼメスラに触れた。
只でさえ、冷たかった体温が更に冷たくなっていた。
美しい髪も肌も服も、血で赤く染まっていた。
ここに連れてこなければ。
愛さなければ。
出会わなければ。
得なければ、失わない。哀しき理論。
ミリオンの言葉が浮かんだ。
ヤルグは目を閉じた。
恐らく、これが最後の記憶。
次は自身の死。やはり走馬灯なのだろう。
ゼメスラよ。
長く待たせたな。ようやく俺もそちらに行ける。
心残りが無いと言えば嘘になるが、ガフを倒した以上、後は奴らに任せればいい。世界を救うのは少なくとも俺の役目ではない。
「違います。」
声がした。女の声。
「ヤルグ様には世界を救う使命があります。」
そんなものはない。
ヤルグは目を開けた。
目の前には下がり眉の修道女がいた。
エミリア・・・
「私はヤルグ様の中に希望を見いだしました。」
そんなものはお前の勘違いだ。
「違います。私は。」
芯のある目をしていた。
エミリアがヤルグの手を握る。
「私は貴方を信じます。」
その瞬間、光が広がり、視界が白く染まった。
ヤルグは目を開いた。
青い空に雲が流れていた。
どれだけ眠っていたかは分からない。だが、肩の痛みは引いていた。
ヤルグはゆっくりと立ち上がる。
傍らにガフが倒れていた。
ヤルグは墓を掘り、ガフを埋めて弔った。
死は揺るがない。揺らいだのは俺自身の心か・・・
ヤルグは、こちらを面白可笑しく見ているだろう、ルトワの龍に向けて言った。
「死は揺るがぬとも、死に場所くらいは決めさせてもらう。」




