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○□/ニゴちゃんと宗一お兄ちゃん

〈 ○□ 〉



 日曜。

 シャロねえに連れてこられたニゴ姉が、僅かに浮遊しながら俺を見上げて言った。


「そ……宗一お兄ちゃん」

「え?」






〈 ○□ 〉






 それから俺は怖々とニゴ姉の呼び方を変えて話し続けた。

 先ほどから続いている、いわゆる『呼び方変えちゃうごっこ』だ。


「ニゴ……ちゃん」

「なんでしょうか、宗一お兄ちゃん」

「その……牛乳が欲しいなっていうか……」

「…………」

「怒ってる……?」

「怒ってなどいません。牛乳ですね。少々お待ちください、お兄ちゃん」


 いつもなら、ニゴ姉がキッチンにいるときは飲み物を頼むと快く注いでくれる。今もこのちんまりメイドロボ姉さんはキッチンで浮遊していたので牛乳をお願いしたけど、運んでくるニゴちゃんはいつも以上に無表情だ。


 タン、といつもより強めにコップを置かれる。トゲのある声色で、

「どうぞ、『お兄ちゃん』」


「あ、ありがとう……」


 ツンとしてキッチンへ戻っていくニゴちゃんに何か言葉をかけようかと迷ったのち、ソファに座るシャロ姉とひめ姉をすがるように見る。

 シャロ姉はにこにこしながらこちらを見返して、頑張れ、というふうに拳を握る。秘姉はそんなシャロ姉の陰から、怒っているらしいニゴちゃんを震える瞳で見つめている。


 ニゴちゃんは、俺に「ちゃん付け」で呼ばれることと、俺を「お兄ちゃん」と呼ばせられていることに憤慨しているようだ。

 確かに俺もそう呼び呼ばれているとむずむずしてくる。ニゴちゃんは五歳児並みに小さくて、当たり前のことがわからなかったりするけれど、俺の姉だ。尊敬する相手だ。それは呼び方を変えただけで逆転するはずもなく、違和感ばかりが襲いくる。


 そして初めて知った。ニゴちゃんは不機嫌だと怖い。


「お兄ちゃん」

「うあっ、はい」

「シャキロイア姉さんのクッキーがありますが」

「ああうん、いただこうかな。あ、俺が取りに行くから」


 ニゴ姉を「ニゴちゃん」と呼ぶのはどうか、と提案したのは確かに俺だ。けれどニゴ姉に俺のことを「お兄ちゃん」と呼ばせることにしたのはシャロ姉だ。幸せそうに笑っていないで、シャロ姉には責任が自分にもあることを自覚してほしい。


 だがこうして「ニゴちゃん」「お兄ちゃん」と呼び合っていると、なんだかニゴちゃんがとても可愛らしい妹に見えてこなくもない、気がする。頭を撫でてやりたくなるのを必死でこらえ、牛乳に口をつける。


「お兄ちゃん」

「なに、……ニゴちゃん」

「お兄ちゃんは、ニゴのことをどのような人だと思っていますか?」


 俺は考えて、キッチンのニゴちゃんの問いに答える。

「そりゃ、ニゴちゃんのことはいつもクールで、その、いい感じだなーとか思ってるよ」


「そういうことではありません」

 ニゴちゃんはキッチンから出て、ふわふわと浮きながら、リビングのテーブルについている俺の前まで来る。

「お兄ちゃんはニゴを家族内でどう位置づけているかということを訊いているのです」


「それはまあ、あー、えー、うーん、」

 俺は『俺の姉だよ』と答えようとしたが、この遊びの趣旨を思い出す。

「妹……かな?」


 言ってしまった。「と、とか言って……」などと呟きながら後悔する。

 シャロ姉は笑っているかと思いきや、真面目な顔でニゴちゃんに視線を送っていた。どうしたのだろう。


 そう思っていると、ニゴちゃんはすいーっと俺の目と鼻の先まで浮いてきて、慣れない手つきで俺の両頬をつまむ。ひんやりとした細い指。


「へ?」

「確か響さんはこのように引っ張って……」

「ふぇぁ、痛いいひゃい、ニゴひゃんやめて! 力の加減して!」


 ニゴちゃんは慌てて手を引っ込めると、

「ごめんなさい。ですが、わかってもらいたかったのです」

 少し泣きそうな表情をしながらもこちらをまっすぐに見つめて、言った。


「ニゴは宗一さんの姉です。お姉さんです。そのことに誇りを持っていますし、いつでも宗一さんのことを弟として愛したいと思っています。だから宗一さんは宗一さんなのです。お姉さんは、お姉さんなのです」


 庭への大きな窓から差す日光がにわかに明るくなる。雲が晴れたのだろう。

 部屋中の暖かみを感じつつ俺が口を開きかけたとき、金色の髪がなびいた。

 金髪と銀髪が擦れ合い、日光を照り返してきらきらする。

 シャロ姉がニゴ姉を後ろから抱きしめたのだ。


「ごめんねニゴちゃん、ニゴちゃんのことをもう少し考えてあげればよかったわ。むりやり押し付けてごめんなさい」

 ニゴ姉の頭を胸にうずめさせるシャロ姉。

「ニゴちゃんは宗ちゃんの立派な、りぃーっぱな! お姉ちゃんよ。そうよね、宗ちゃん?」


 俺はがさつなアネキしか知らなかった。俺の姉が姉貴一人だった頃『おしとやかなどこかのお姉さんとこいつを交換してくれ』と何回思ったか知れない。そんな俺にとって、何事も丁寧にこなすニゴ姉が現れたのは夢のような出来事だった。

 もちろん姉貴にもいいところはある……あるといえばある……けれど、ニゴ姉のような姉さんが現れるのをずっと夢見ていたのは確かだ。


「うん。ニゴ姉は……たぶん、ニゴ姉が思っているよりずっと、俺の姉さんだよ」


 僅かに頬を染めたニゴ姉は、ミニチュアのような口元をふにゃりとさせる。たぶん、幸せなときの表情だ。

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