○□☆▽/ダーリンvsサンドバッグ
〈 ○□☆▽ 〉
「じゃあ、『ヒビにゃん』はどうかしら?」
「さっきから思ってたけど、にゃん付けは甘ったるすぎて嫌な感じだと思う」
日曜。
『呼び方変えちゃうごっこ』が一段落したかと思えば、今は響の呼び方を変えたらどうなるかをシミュレーションする遊びに巻き込まれている。
リビングにはシャロ姉とニゴ姉、秘姉、そして俺がいる。姉貴はおらず、何でもかんでも言い放題だ。
俺に嫌な感じと言われて、しゅんとするシャロ姉。
「えぇ~、だったら『ダーリン』とか?」
「なんでシャロ姉は熱々のカップルみたいなのしか思いつかないんだ……」
「だってカップルって素敵じゃない? お姉ちゃんだって恋をしたいんですもの」
家族の中で一番乙女なこの姉さんが、少なくとも今現在は恋をしていないとなると、ニゴ姉や秘姉は大丈夫なのだろうかと心配になる。不健全な恋をしているゆら姉も別な意味で心配だ。
姉貴に加えてゆら姉も今ここにはいない。二階の自室で漫画でも読んでいるのだろう。
「あ、でもお姉ちゃん、ニゴちゃんに恋してたわ! ぎゅーっ」
「シャキロイア姉さん、そういうのはいいです。離れてください」
「ニゴ姉の呼び方が一番いいかもね。『響さん』って」
俺はテーブルの真ん中にある皿のクッキーをつまむ。
シャロ姉をいなしたニゴ姉は、幼児用の椅子からこちらを見る。
「ニゴは響さんのことをその呼び方以外で呼ぼうと思ったことはありませんでした。ただ、そのことについて思考するのも楽しいですね。宗一さんが響さんのことを『お姉様』と呼ぶのもよさそうです」
俺が姉貴をお姉様と呼んだときのことを想像してみる。
呼ばれたお姉様は一瞬ぽかんとしてから凶悪な表情になり、サディストっぷりを遺憾なく発揮することだろう。たぶん「へえ? おまえも遂におれを敬うようになったか」とか言いながら足で踏んでくる。お姉様は俺を「下僕」と呼ぶようになり、そこに古代ローマの奴隷制社会が再現されるのだ。
「いやいやいや、絶対無理」
「ですが、響さんのことですから、お姉様と呼ばれて恥ずかしがるかと思います」
想像してみる。
『……なあ、さっきからお姉様呼ばわりしてくっけど、飽きたからもういいって』
『でも、お姉様』
『だ、だからやめろって言ってんだろ! なんか……キモいんだよ、そう、キモい。いつも通り「姉貴」でいいんだよ』
『はい、お姉様』
想像の中の俺が姉貴にコブラツイストを食らったところで考えるのを打ち切る。
「恥ずかしがったら恥ずかしがったで、姉貴が暴力姉であることには変わりないからなあ……」
「ふふっ、それはヒビちゃんの愛情表現じゃない。可愛いわよね~、ヒビちゃん」
「宗一さんが迷惑がっているのが難しい点ですね」
「ニゴちゃんは難しく考えすぎなのよ~。そうだ、ひめちゃんはどう? 呼び方変えちゃうごっこ・宗ちゃん×ヒビちゃん編」
「ふぇ!?」
俺の隣のテーブルで黙々とアイスココアを飲んでいた秘姉が、突然矛先を向けられ狼狽する。
「えと、えーっと、うーん……」
「ゆっくりでいいよ、秘姉」
「あ、ありがと……やっぱり、響おねえちゃんは強くてかっこいいから……女へんに且つの『姐さん』はどう、かな?」
俺が姉貴を姐さんと呼んだときのことを想像してみる。
着物を花魁のようにはだけさせ、胸にはサラシを巻いた姐さん。異名は『血飛沫狼の響』。ドンパチから生き延びてボロボロの姿のまま現れた弟分の俺を見て、姐さんはキセルから煙をくゆらせながら言うのだ。
『よく頑張った。あとは全部おれに任せろ。あんな雑魚共、おれ一人で十分だ』
長ドスを引っ掴み、姐さんはゆく。弱きを助け、強きをくじき、弟分を守り抜く――その信念を胸に秘め。
「いや誰だよ……」
「そ、そうちゃん?」
「ああ、うん。まあ、姐さん呼びも面白そう。姉貴も意外と喜んだりして」
俺は牛乳のおかわりを注ごうと、席を立ちながら言う。
「姉貴、気持ち悪いほど花魁の衣装が似合いそうだし……あ」
「なんだ? おれの話か?」
姉貴が二階から下りてきた。いつも通り、赤く染めた髪は寝癖のようになっているのに清潔感があるという謎の事態になっていた。好奇心を滲ませながら歩いてくる。
シャロ姉が「あら、ヒビにゃん」と笑い、ニゴ姉が「おや、お姉様」と乗っかり、秘姉が「あ……えっと……」と戸惑うので、俺もキッチンへ歩く途中で仕方なく片手を上げる。
そして言った。
「よっ、ダーリン」
腹部に衝撃。姉貴によるねじ込むようなボディブロー。胃が凹む感覚の数瞬後、足が床から離れ、そして――俺は姉貴には勝てないことを知る。




