▽/姉上と宗一さん
〈 ▽ 〉
日曜。
シャロ姉とお互いの呼び方を変えて、俺だけが恥ずかしくなるという事件があったあと、シャロ姉は『ニゴちゃんとも呼び方変えちゃうごっこしましょう!』とか言いながらニゴ姉がいる二階に上がっていった。
ソファに座ってニゴ姉が来るまで束の間の休息を楽しんでいると、瞬間移動してくる影がある。
秘姉だ。
なぜか目に涙をいっぱい溜めている。
「え、どうしたの秘姉」
「あ、えと、これは……シャロおねえちゃんがかわいそうで……」
姉さんはさっきからぐしぐしと忍装束の袖で涙を拭いている。
「でも現代に来てちゃんと名前で呼ばれるようになって、幸せになれてよかったなって……」
見られてたのか……秘姉ならいいけど……
よくわからないけれど、秘姉も忍者の任務中にはコードネームで呼び合ったりしてたんだろうか、と思う。共感するところがあったのかもしれない。だが俺は『コードネーム“S”、応答せよ』とか言われてみたい派だ。
「そうだ秘姉、さっきシャロ姉と俺がやってたみたいに、お互いの呼び方変えてみない?」
「え……?」 「なんか、忍者の間で使ってたコードネームとかないの?」 「べ、別に……ない、よ」 「ああ、そう……」
「あ、でもね」
秘姉は俺を失望させたと思ったのか、慌ててポニーテールの黒髪をぴょこぴょこさせる。
「ぼく、呼び方を変えるなら、やってみたいことが……」
秘姉から提案されるというのは珍しい。これは姉を大事にする弟として受けない手はないだろう。姉を大事にするとか言ってると俺が虐げられる場合も多々あるが、秘姉に限ってそんなことはない。
「うん、どんなこと?」
「あ、あのね……その、そうちゃんには、これを着て欲しいの……」
「え?」
〈 ▽ 〉
それからは侍の時代にタイムトリップしたかのようだった。
俺は秘姉の忍術で袴を着せられ、リビングは秘姉の忍術で和の装いに早変わり。障子から差すやわらかな光が畳を照らしている。
「また幻術なのか?」
「宗一さん」
「あ、はい、姉上」
俺が『姉上』と呼んだ秘姉は、俺を『宗一さん』と呼ぶ。
どうやら時代劇みたいなことがやりたかったらしい。俺と姉上は畳に座って向き合っていた。
姉上は戦国時代の女性が着そうな地味めの和服に身を包んで、姿勢よく正座している。髪型まで戦国時代の女性風なわけではないが、とても様になっている。
「宗一さん、どうしてもゆくのですか?」
「え? えっと、はい、ゆきます、姉上」
「あなたの目を見ればわかります。あなたには強い決意があるのですね」
姉上は前髪を地味な色のピンで留めていて、綺麗な瞳がよく見える。
「宗一さん……あなたならば必ず、暴虐の将・豊臣秀吉を討ち取れると信じています」
なんだこれ……
俺はげんなりしかけるが、姉上の迫真の演技に当てられて背筋を正してしまう。
演技というか、もはや完全に碑戸々木家当主・宗一の姉君だ。たぶん時代劇のような何かの見すぎだと思う。
「え、えーと、では姉上、戦場へ行って参ります」
俺は立ち上がり、この大河ドラマを展開させる。
と、姉上もスッと立って、逡巡ののちに――俺の胸に飛びついてきた。
「わっ、姉上!?」
両手と額を当てて寄りかかり、嗚咽を漏らす姉上。
「宗……一さんっ……わたくし、本当は行ってほしくないのです……」
その振る舞いは、時代小説の女性が憑依しているとしか思えない。
「ひぐっ……本当は、宗一さんともっと一緒にいたい……宗一さんのために毎晩、夕餉を作ってあげたいのに……」
「姉上……」
「必ずっ……必ず無事で帰ってくるのですよ……宗一さん、大切な弟……うぅ……」
そのまま姉上は俺の胸でしくしくと泣いている。
なんだか、自分でも意外なくらいに切なくなった。それは二人だけの世界にいるからだろう。
俺は役になりきっているわけではなく、謎ドラマに感動しているわけでもない。けれど、本当に悲しんでいる秘姉を見ていると、弱々しく震える肩を包んで守ってあげたくなる。秘姉と俺は、少し変則的ではあるけど、今だけは二人だけの純粋な世界で姉弟愛を確かめ合っているのだ。
しかし途中で、姉上は雷に打たれたようになり、我に返った。
さすがに秘姉の自我(?)が残っていて、それが目覚めたのかもしれない。
俺も現代人の思考に戻り、我が家のリビングの空気を吸い込む。いつの間にか部屋は元通りで、服も普段着に戻っていた。
「あ……あぁ……」
「秘姉、大丈夫?」
「う……」
当然、大丈夫なはずがない。秘姉は真っ赤になって、両手で顔を覆ってしまう。
「その……ちがくて……これは……宿っちゃったっていうか……」
久しぶりに猛烈に恥らう秘姉。ちょっと泣きそうになっている。
小さくわたわたとしている様は見てると楽しい。
秘姉は時々暴走するから面白いよなーと思いながら笑っていると、姉さんはポンッと煙に包まれたのちに物言わぬ地蔵に変身していた。「ごめんごめん、もう笑わないよ」と地蔵を撫でると、再び煙と共に秘姉が姿を現す。
「ほ、ほんとに……わらわない……?」
「うん。さっきのことも忘れる」
秘姉は何かを許されたように安堵した様子で、にぱーっと笑った。細められた目から涙が一筋あふれた。
素直で可愛いなあ、と思うが、それを言うとこの笑顔を見られる時間が減りそうなのでやめる。




