07. 愛する人の血
――私の血を、飲んでください。
それは、私には到底受け入れられない提案でした。
「飲みま、せん……」
「何故ですか。飲めば楽になるんでしょう」
「愛する妻を、傷つけたく、ないから、です……っ」
首を振る私に、チェリーさんは背中からの抱擁を解き、私の正面へと移動しました。
そうして、私の頬を包み込むように、優しく両手を添えてくれたのです。
「キウイさん。私はあなたの妻です」
「ええ、ですから……」
「けれどキウイさんもまた、私が愛する妻なのですよ」
「……っ」
「あなたが苦しんでいるところを、私は見たくないのです。それに、できれば……側で、キウイさんを支えたいです」
「チェリー、さん……」
添えられた手を振りほどこうと思えば、できたはずでした。
けれど、それができなかった。
心のどこかで、チェリーさんの愛を享受したがっている自分がいたのです。
「……あなたの綺麗な肌に、傷がつくのですよ」
「そんなもの、気にしません」
「痛くて苦しいとチェリーさんが泣いても、止められないかもしれないのです」
「キウイさんは、そんなこと絶対にしません。私、信じていますから」
チェリーさんの瞳が優しく細められました。
「飲んで、くれますね?」
チェリーさんの透きとおったワインレッドの瞳。
それに射止められると、首を振ることなんてできませんでした。
「そんなふうに言われたら……断れないではありませんか」
私が観念したように微笑むと、チェリーさんはそっと、頬を包みこんでいた掌を離しました。
「……優しくしてくださいね?」
悪戯そうに微笑みながら、チェリーさんが肩にかかる髪をかきあげ、躊躇いなく細くて白い首筋を晒します。
私はその無防備な身体を抱き寄せ、震える唇を首筋へと寄せました。
「苦しかったら……私を、突き飛ばしてください」
「はい、そうします。ふふっ」
チェリーさんは私を受け入れるように、背中にそっと手を回してくれます。
私はゆっくりと息を吐き、尖った八重歯を、その柔らかな首筋へとそっと押し当てました。
――ぷちり。
皮膚を裂く微かな感触とともに、背中の布を掴むチェリーさんの指先が、ぴくりと小さく跳ねました。
「ん……っ」
漏れた小さな吐息に胸が痛みます。
そして私は、できる限りこれ以上の痛みを与えまいと、慎重にその傷口へと唇を重ねました。
傷口の奥で、とくとくと命を打ち鳴らす鼓動。
やがて、温かな蜜が、ゆっくりと舌の上へ流れ込んできました。
(――甘い)
昼間に舐めた一滴とは比べものにならないほど濃密で、優しく、どこまでも愛おしい味でした。
こくり、と喉を鳴らしながら一口飲み込むたび、頭の中を覆っていた不快な靄が少しずつ晴れていきました。
私を苦しめていた恐ろしい吸血衝動は静まっていき、代わりに押し寄せてきたのは、安堵と、そして激しい罪悪感でした。
妻を傷つけることで、私が救われてしまった――その事実が、何よりも恐ろしくて。
すぐに止めなければと思いながらも、チェリーさんが私の頭を優しく撫でてくれる温もりに甘え、あと一口だけ、あと一口だけと自分に言い訳を重ねては、チェリーさんの血を啜り続けました。
それは、単なる血液ではありません。
私へ向けられた、チェリーさんの無償の愛そのものです。
私は恍惚と罪の意識の狭間で揺れながら、愛する妻の温もりを、静かに受け入れ続けたのでした。




