06. 吸血衝動
「う、あ……っ」
口元の八重歯が熱を帯びて疼き、昼間舐め取った甘美な鉄の味が舌の上に鮮明に蘇りました。
額にはじんわりと脂汗が浮かびます。
「キウイ、さん……?」
気づけば、異変に気づいたチェリーさんの心配そうな瞳が、私をまっすぐに捉えています。
私は思わず、ぐいっと、その華奢な身体を跳ね除けました。
「ち、近づかないで……くださいっ」
それだけ言うのが精一杯でした。誘惑の紅い蜜から目を逸らすように、チェリーさんに背を向けます。
(ああ……これは判断を誤ってしまいましたね。飲みたい。血そのものを『視認』しなければ大丈夫だと思っていたのに、まさか皮膚の下の血管の存在を『認識』しただけでこのような反応を示してしまうとは、想定外でした。チェリーさんの血。しかし血液を直接見たわけではないからか、昼間ほどの衝動ではありません。甘い甘い紅い蜜。まだです、ぎりぎりのところでまだ、私としての思考が残っています。チェリーさんの首筋を噛み切れば飲める。だめです、そんなことは、絶対にできません。飲みたい。落ち着きましょう。血管を噛み切って飲みたい。衝動が過ぎ去るまで、耐えることが……できれば。今すぐチェリーさんの血を。耐えられる、はずです。紅い血。甘くて美味しい。私は、チェリーさんを、傷つけたく、ないのです……っ。チェリーさんの血。温かくて愛おしくて甘い。愛して、いるの、ですから。飲みたい飲みたい飲みたい。愛しい、チェリー、さんを――)
私は理性を保とうと必死に抵抗していました。
しかし、無慈悲にも思考は少しずつ蝕まれ、徐々にまともな考えを形にすることさえ難しくなっていったのです。
――その時。
嗅ぎ慣れたヘアオイルの香りとともに、柔らかな温かさに包まれました。
「キウイさん、大丈夫ですか!? 落ち着いて、深呼吸はできますか?」
「チェリー、さん……」
気づけば私は背中越しに、チェリーさんに優しく抱きしめられていました。
「ただの、発作、ですっ。だから、離れて……」
「発作って、例の病気の?」
チェリーさんの心配そうな声が背中に響きます。
もう、隠し通すことはできないと悟りました。
「そう、です。名は、吸血症……」
「吸血……?」
「愛する人の血を、飲みたくなる、病、です……っ。ですから……っ」
背後で、チェリーさんが小さく息をのむ音が聞こえました。
妻の温もりと優しい声のおかげで、霞がかっていた脳にわずかに思考が戻ってきた気がしました。
私は震える息を肺に入れ、なんとか吐き出しました。
「少し、落ち着いて……きました。私は今夜、リビングのソファで寝ます。チェリーさんは、このまま寝室に……」
「こんな状態のキウイさんを、一人にできるわけがないじゃないですかっ!!」
私の言葉に反発するように、チェリーさんは抱きしめる腕に力を込めました。
「ダメですっ。近くにいたら、私はチェリーさんの首筋を……噛み切って、しまいます……っ」
「血を飲めば楽になるのですか?」
「それ、は……」
古文書には確かに、吸血を行えば一時的に発作はおさまると書いてありました。
ですが、それを伝えればチェリーさんがどういう行動を取るかなど、火を見るより明らかです。
私は答えられませんでした。
ただその沈黙だけで、チェリーさんには十分だったのでしょう。
「――私の血を、飲んでください」
迷いのない静かな声で、チェリーさんはただ、そう告げたのでした。
途中、キウイの心の声が読みにくかったかもしれません。
そういう演出なので、ご容赦くださいませ……!




