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第1話 追放、そして遭遇 4

 4


 周囲を見回す。そこは、掃除の行き届いた個室だった。ガラスの入った窓から、ふんだんに外の光が入ってくる。ドワーフの工房で作られるガラスは生産量が限られているうえ、割れやすい。つまり、相当な高級品なのだ。このガラス窓だけを見ても、この宿がとんでもない高級宿だと分かる。しかも、この柔らかいベッドは……もしかして羽毛? 羊毛? そんな高級寝具を使ったことは一度もなかった。

「なんなのよ……アイツは……」

 ポツンと一人、部屋に取り残されて、私は途方に暮れた。

 ポーションにしても、サンドイッチにしても、この宿にしても、普通の冒険者が使うものではない。

 それに、あの尋常でない強さ。

 しかもそれは、ゴニョゴニョキロの私を抱えたまま、足だけで戦ってのことなのだ。

 もし、武器を持って万全の態勢で戦ったら、いったい、どれほどの強さなのだろう。

 そして、ふと気づいた。

「お礼はカラダで支払ってくれてもええんやで」とは言ったものの、実際には、彼は(ちょっとお尻をさわられたけど)手を出そうとしてこなかった。

 もしあの男が本気を出せば、私がどんなに抵抗したところでかなわないだろう。

「もしかして……意外と紳士、なのかな……」

 そう思った矢先、ガチャッと音を立てて部屋のドアが開いた。

「ごめんごめん、言い忘れてんけどなー」

「な、何!?」

「寂しかったら、おっちゃんがいつでも添い寝したるでー。遠慮はいらんからなー」

「馬鹿アッ!」

 枕を取り上げ、全力で投げつけた。

 前言撤回。やっぱりあれはただのスケベ親父だ。

 その後、私はしばらくドアを睨みつけたまま様子を伺っていたが、男が戻ってくる気配はなかった。どうやら本当に、私を部屋に放置して下の酒場で酒でも飲んでいるらしい。真剣に警戒するのが馬鹿らしくなって、私は鎧を外すことにした。

「嘘……。これ、お湯?」

 部屋の隅にたっぷりとお湯の入った木桶が置いてあった。まだほかほかと湯気が立っている。いつの間に運んできたんだろう。

 手拭いを絞り、服を脱いで体を拭く。何度も繰り返すうち、お湯は泥や砂塵、垢、皮脂などが溶け込んでドロドロに濁っていった。普段は真冬でもない限り、水で体を拭くのがせいぜいだ。こんなふうにゆっくりとお湯で体を拭くなんて、本当に久しぶりだった。

 体が温もり、さっぱりすると、途端に疲れが込み上げてきた。ベッドに入って清潔なシーツにくるまる。あまりにも心地よくて、私は意識を失うように深い眠りに落ちたのだった。


 翌朝。窓から差し込む朝日に照らされて、私は目を覚ました。

「おっ、目ぇ覚めたか。おはよー」

 少し離れた場所から、能天気な声がした。すがすがしい目覚めの気分が吹き飛び、一瞬にして警戒モードに切り替わる。

 部屋の隅に置いてあるソファに男が寝転んでいた。こちらを見て、無邪気にニコニコ笑っている。

「な、何がおかしいのよ……!」

「いやあ、かわいらしい寝顔やなーと思って」

 顔がかっと熱くなる。「変態!」と叫び、枕を投げつけようとして……私は振り上げかけた手を下ろした。

 衣服に乱れはない。

 体に妙な違和感が残っているわけでもない。

 少なくとも寝ている間に、何かをされた形跡はなかった。

 私を警戒させないよう、離れた場所にソファを置いて寝てくれたのだ。

 それに、本当にこの男が嫌なのだとしたら、さっさと出ていけばよかった。それなのに部屋に留まり、ベッドを占領して無防備に熟睡したのは私なのだ。

「はあ……。もういいわ。昨日からいろいろと、本当にありがとう。感謝してるわ」

「じゃあ、謝礼はカラダで払ってもらおうか」

「そんなこと言うけど、目の前で無防備に熟睡してた私に何もしなかったじゃない。もし、あなたが本当に私を弄ぶつもりだったら、いくらでも好きにできたでしょ」

「……まあ、そうやな」

 男は苦笑しながら頭をかく。

「あなたはいったい、何者なの? この宿も、昨日の食べ物も、薬も、あの強さも、何もかもが常識外れすぎるわ」

「そんなこと言われてもなあ……。昨日も言うたけど、ただの通りすがりの、お節介なおっちゃんやで」

「ただのお節介で、ここまでのことができるわけないじゃない!」

「まあ、ほら、おっちゃん金持ちやから」

「金持ちってレベルじゃないわよ! 貴族か王族!? それともどこかの大富豪!? そうでもなきゃ、こんな宿に泊まってハイポーションを使うような生活なんてできないわよ! そんな人がただのお節介でたすけてくれたなんて言っても、信じられるわけないじゃない!」

「いやあ、下心ありありやで? 若い女の子やから、えっちなことするつもりでたすけたんであって、男だったらそのまま野垂れ死にさせてたで?」

「でも、何もしなかったじゃない」

「これからするかもしれへんで?」

「って言うけど、そんなつもりはないんでしょう?」

「たはー。そこまでお見通しとはなあ……。まあ、そうやね。嫌がる子を無理やりっていうのは、おっちゃん嫌いやからな」

 男は肩をすくめた。

「そんなわけで、あなたは多分、悪い人じゃないと思うことにしたの。それに私、仲間から捨てられて、行き場がないの。だから当分、あなたと一緒に行動したい。もちろん、こんな高級宿に泊まるお金はないから、宿はどこか自分で探して――」

「ええやん、ここに泊まりや。一緒の部屋で寝るのはいらんやろうから、もう一部屋取ったるで」

 無造作に言い放つ。本当に何なんだ、この人は。この一部屋に一泊するだけでも、私が普段泊まっている安宿の10日分くらいの料金がかかるだろうに、それをもう一部屋?

「はい、ほな決まりな。遠慮せんでええで。どうしても気になるって言うんやったら、出世払いで返すか、カラダで払うか、どっちかにしてな」

「じゃあ、出世払いで。いつになったら返せるか分からないけど……」

「『ある時払いの催促なし』ってヤツやな。それでええよ」

 大雑把というか、適当というか、鷹揚というか……。だけど、朗らかに笑う男を見ていると、理屈抜きで頼ってもいいのだと言われているような気がした。

「……じゃあ、あらためて。これからよろしくお願いします。私はレイナ。レイナ・ローランよ」

「おっちゃんはただのハルやで」

「……ただのハル? 姓やミドルネームは?」

「ちゃうちゃう、姓がタダノ、名前がハル。だから、タダノ・ハルやねん」

「……なんだか、変わった名前ね。まあいいわ、じゃあハルね。よろしく、ハル」

 私は手を差し出した。ハルがその手を握り返す。ひょろひょろした手はやっぱり、どう見てもあんな力強さを秘めているように思えなかった。

 それでもこの握手によって、私とハルのハチャメチャな冒険譚が幕を開けた。

 なお、これから始まる大争乱を、後世の歴史家は「第二次魔界大戦」と記すことになる。しかし現時点の私が、そんなことを知るはずもなかったのだった。

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