第3話 王都へ 4
4
「はい、お疲れさん」
離れた場所から届くハルの呑気な声。彼は焚き火の前に座り込んで、のんびりお茶をすすっていた。
「あ、アンタねえ……!」
背中の傷口の痛みと怒りで体が震える。人が死にそうな目に遭っているときに、一人でお茶飲んでるんじゃないわよ!……と、言いかけてから、彼の周囲に何体かのゴブリンが倒れているのを見つけた。明らかに、私の負わせた刀傷ではない。
「あー、ごめんごめん、最後の一体だけ間に合わんかったな。まあ、ええトレーニングになったやろ」
そう言いながら、ポーションの小瓶を手渡してくる。
「なかなかええ動きやったで。こんだけ暗い中でも、周囲にきちんと気を配ってるし、木の根っこにつまづいて転んだりもせんかった。あれだけできたら上出来やで」
褒められたうれしさよりも、痛みと恐怖のほうが大きい。私は震える指でポーションのふたを開け、中身を飲み干した。
ビリビリと全身に心地よい痺れが広がり、傷口の痛みが瞬時に治まる。消えたのは痛みだけではない。傷口そのものがきれいに完治していた。同時に体内に注ぎ込まれた毒の不快な痛みもかき消える。
「エリクサーや、もう心配いらんで。怪我も毒もなくなったやろ」
「怪我が治ったのはありがたいんだけど……、こんな高級品を当たり前に使うなんて、贅沢すぎて感覚がおかしくなりそうだわ……」
「まあええやん。金ならあるんやし」
「それは……まあ、そうなんだけど……」
簡単に使い切れないほどのお金があるとは分かっていても、一気に使うのは何となくもったいないし、エリクサーなんて高価すぎて手が出せないと、つい考えてしまう。我ながら、貧乏性がしみついていると思う。
「しかし……、真夜中とはいえ、こんな街道沿いに十数体ものゴブリンが出てくるっていうのは、ちょっと異常やな。これも、ギルドマスターが言うてた『不穏な兆候』の一つなんかもしれんな」
「確かに、そうかもね」
ゴブリンは通常、人里から離れた場所に住みつくことが多い。洞穴や遺跡などに住みついて繁殖し、数が増えすぎて集団生活が維持できなくなると、新しい巣を求めて移住することを繰り返す。生活している場所が違えば違う部族となり、時には安全な住みかや食料を巡ってゴブリン同士で争い合う。人間が多く行き来する街道沿いのエリアにまでゴブリンが出てくるのは、人里から離れた「安全な場所」がすでに他部族によって占拠されたためである可能性が高かった。
中央ギルドに行ったら、この件についてもきちんと報告しよう。私はそう思った。
初めて訪れたグラン・セリオンは、私にとって目にするもの全てが珍しかった。
まず、壮大な城壁が最初に私の目を引いた。街全体を大きな壁が取り囲んでおり、巨大な要塞になっているのだった。城壁の外にも民家や農地が広がっているが、戦争などの非常事態となれば、城外に住んでいる人たちも壁の中に避難するのだろう。街の中にも何カ所もの城壁が張り巡らされ、中央の王宮へたどり着くためにはそれらの防壁を突破しなければならない作りになっていた。
外の城壁に一番近い地域は一般庶民の住宅地や商店。そこから中央へ近づくにつれて住民の階層も上がっていく。王宮の周辺は貴族や行政機関などの建物があり、中央ギルドの事務所もそのエリアにあった。
「……何て言うか、すごいわね。冒険者ギルドなんて、依頼を斡旋してくれる場所っていうイメージしかなかったわ」
「まあ、地方のギルドはそんなもんやけどなあ。グラン・セリオンともなれば、各地から集まってくる冒険者の情報やランクの精査、クエストの褒賞金の管理、その他諸々の仕事がいっぱいあるんやで、きっと」
「ハルって、ギルドも存在しないような辺境に住んでたのよね……? そのわりには、妙にギルドの仕組みに詳しいんじゃない?」
「冒険者ギルドっていう組織はなかったけど、おっちゃんの国にも似たような仕組みはあったんや。せやから、何となくの見当はつくんよ」
「そういうものなの……?」
「そういうもんやで」
そんなことを話しながらいくつもの門を抜け、私たちは中央ギルドへとたどり着いた。
受付で預かってきた報告書と紹介状を見せる。受付の女性はその書類を持って奥に入った。しばらくして戻ってきた女性は、
「ありがとうございます、書類を確認させていただきました。報告会は2日後に開かれますので、その日の午前中にこの事務所へお越しください」
「それまで、ワシらが何かやっとくことってあるん?」
「いえ、特にありません。いつでも連絡が取れるように、宿泊先が決まっていたら教えてください」
「まだ決まってへんねんけど」
「では、お決まりになったら知らせてください。直接来なくても、宿の人を通してこちらに連絡していただければ結構です」
「はーい。ほなレイナちゃん行こか」
ハルはアッサリと答えると、そのままギルドを後にした。
「ね、ねえ、ハル! ちょっと!」
「んー? どしたん?」
「さっきは周りに気を取られて気づかなかったんだけど、あなた、ここに来たことがあるの? 明らかに土地勘のある歩き方よね?」
「あー、うん。500年前に初めて来てから、何度も来たことあるねん」
「……はあ?」
思いっきり怪訝な声が出てしまう。またその話なの? バルフォードがどうとかってやつ? あきれ返る私をよそに、ハルはそれ以上何も言わず、王宮に近い高級繁華街をサクサクと歩いていく。やがて、彼は一軒の建物の前で立ち止まった。
「ここに泊まるで」
見上げるような高さのレンガ造りの建物。片隅には教会の大聖堂を思わせる尖塔が立ち、ステンドグラスが午後の光を浴びて燦然と輝いている。どう見ても貴族たちが使うような、私たちには場違いとしか思えないような高級宿だった。
気後れする私のことなどお構いなしに、ハルはズンズン中に入っていく。ドレスや礼服で着飾った人たちがいる中で、彼の貧相な後ろ姿はひときわ目立っていた。
「何日になるか分からんのやけど、しばらく泊まりたいねん。ええかな?」
ハルは受付の男性に何かを手渡して、そう話した。
ぜ、絶対ダメに決まってるでしょ!? こんな高級宿なんて、予約して一泊するだけでも大変そうなのに、いきなり来て受け付けてもらえるわけが――
「かしこまりました。いつものお部屋でよろしいですか?」
って、受け付けちゃうのー!?「いつものお部屋」ってどういうこと!? ハルってここの常連なの!? え、まさかとは思うけど「説得」スキルで受け付けてもらってるわけじゃないよね? 犯罪だよ、それ!……と頭の中でツッコミが響き続けるが、驚きすぎて言葉にならない。
「あ、うん、あとツレのために隣の部屋も一つ用意してもらえる?」
「かしこまりました」
ハルは受付の男性とニコニコと和やかな雰囲気で話している。二人のやり取りにスキルを使っているような不自然さはなかった。
「あの……、ハル、さっき何を見せていたの?」
私はハルがポケットに戻そうとしていたものを指さした。ハルは無造作にそれを取り出す。手のひらぐらいの大きさのプレートだった。銀色のプレートに文字が刻まれ、縁が金で飾られている。
「『特別優待証』……?」
不思議そうな顔をする私。ハルの代わりに、受付の男性が説明した。
「そちらは、私共が特別なお客様にお渡ししているものです。これをご提示いただいたお客様には、いつでもお部屋をご用意させていただいています」
「そういうことやねん。おっちゃん、ここの常連なんやで」
私はあっけにとられて言葉を失う。とはいえ、ハルのことでいちいち驚いていたら身が持たない。ハルに関しては、もう何が起きても事実として淡々と受け入れるしかないのかもしれない。
「ほな、レイナちゃん。部屋の準備ができたら荷物を置いて、観光に行こうか。買い物もしたいから、現金はちゃんと持っといてな」
黙り込んだ私に向かって、ハルはニコニコ笑いながら言った。
「あ、もしかして部屋……、おっちゃんと一緒のほうがよかった?」
「そんなわけないでしょ、馬鹿ァッ!」
私の口からようやく出たのは、怒鳴り声だった。




