SPRINT 03:異世界にいることを確認する
マリトの口から、発せられる女性の声が続いた。
「賢者様、どうお呼びしたらいいのかわからないので、そう呼ばせていただきます」
「賢者様は、元いらっしゃった世界から一時的に、こちらの世界にお招きしました」
「あらかじめ了承を得ることなくお招きした失礼をお許し下さい」
そこで反応を探るように、一呼吸、置いた。
すでに自分の口から他人の声が発せられていることへの、最初の驚きを受け止めたマリトには、さらなる驚きの気持ちはなかった。
異世界転生という概念が、ここ数年、なじみの深いものになっていたこともあって、そういうことかもしれないという予感めいたものもあった。
あらかじめ了承がなかったことに対する怒りの気持ちもなかった。
おそらく、自分は元の世界では銃で撃たれるか、爆発によって死んでいたはずという確信があった。
なので、不自由な形ではあるが、生きているということへの感謝の気持ちの方が勝っていた。
暴走トラックに比べて劇的な転生ではあるが、その分、大きな心残りを残してきてしまったように思う。
声は続けた。
「賢者様は今、私の中の別人格として存在されています」
「私と賢者様とで、この身体を共有して使うことになります」
「今はまだ、動けませんが、少し練習すれば、賢者様にもこの身体を動かすことができるようになります」
「もちろん、ひとつの身体を二つの人格で共有しているので、どちらかが動かしているときには、もう一方は動かせません」
「切り替えは、私の方で行っていきます」とラミーシャは言う。
「君自身それでいいのか?自分の身体に他人が同居することに、納得できるのですか?」
マリトの問いにラミーシャは答えた。
「はい。私たちの学園は、賢者様を召喚するために作られた学園なのです」
「学園に通う生徒は、賢者様を召喚することを目標に、人格と魔法の技術を高めているのです」
「賢者様が私のところに来てくれて、本当にうれしく、光栄に思っています」
マリトの中に、心の底から光が放たれるような、そんな喜びの感情がわき上がった。
マリトは気付いた。この感情は、彼女のものだ。
それが自分の中にそのまま流れ込んでいるのだ。
感情の動きは脳内物質の働きに大きく影響されている。
そのため、身体だけでなく、感情面を彼女と共有しているのだ。
最初、彼女の声を聞いたときに喜びの感情が湧き上がったのは、彼女が「女神のような特別な存在」だったからではなく、彼女の方が「賢者様と話をできたこと」に、喜びを感じていたからなのだ。
マリトにはどうしても知りたいことがあった。
それは、今の自分が「本当はどこにいるのか」ということだ。
ラミーシャが話しているのは、紛れもなく日本語である。
そして、昨日聴いた歌は「ふるさと」だった。
元の世界とは別の異世界のようなことを言っていたが、これほど自然に日本語が話されていて、「ふるさと」まで謳われている場所が、本当に異世界なのだろうか?
日本のどこかと考えた方が自然だ。
少し耳慣れない訛りがあるが、おそらく方言の一種だろう。
「ここはどこですか? 日本のどこなのですか?」
そう問いかけた。
全く予想しなかった答えが返ってきた。
「ニホンというのは、地域や国の名前でしょうか?」
「私は聞いたことがありません。少なくともここは、そのニホンというところではありません」
「ここは、ボルディア最大の都市ソンリーチャにある、ブリヤ魔法学園付属病院です」
ボルディア? ソンリーチャ?
初めて聞く単語だ。日本の地名の響きではない。
それどころか、まったく何のことかわからない。国や地域の名前なのか?
極めつけは「魔法学園」だ。魔法なんてものがあるなら、それはたしかに異世界だ。
「お伝えしたいことはたくさんあるのですが、
お腹が減ってきたので、先に朝ご飯にしますね」
「起き上がります。少し目が回る感じかもしれませんが、辛かったらすぐに止めますので、教えてください」
そう言って、ゆっくりと首を起こした。
視界が、天井から壁にゆっくりと移っていく。
白い壁。距離は、2~3メートルほどか。
そして、ゆっくりと身体を起こす。
起き上がると同時に、白いケットが胸元から滑り落ちる。
右腕を左側に動かしてケットの端をつかむ。白くて細い女性の腕だった。
ケットを右の方へ引きながら、身体をずらし、左足から順に両足を床に下ろして、ベッドの端に座った。
ゆっくりだが、しかし無駄のない一連の動作だ。
足をベッドから下ろすときに、足の周りを覆っていた衣服がずれて、膝から先の素足が露わになる。
長く、しなやかで美しい足。
少しかがんで、ベッド脇のフックから、かかとのあるサンダル状のものを外し、床に置いた。
足を入れ、マジックテープを留める様にして、足に固定する。
そして、立ち上がった。
さすがに、自分が男だということを伝えないといけないのではないか、と思っているうちに。
ゆっくりと部屋を移動する。
やはり病室の様だ。
部屋の隅に物が置けるようになっている台と簡易な洗面台がある。
そこまで歩いていき、鏡の前に立つ。
まるでCGのように整った顔立ちの美しい少女が、こちらを見返していた。
年の頃は、十六、七歳といったところか。
身長はそれほど高くはない。
大きな丸い目に、空の色を思わせる明るい青い瞳、
卵形の、やわらかく整った頬の曲線。
ヨーロッパ系を思わせる、通った鼻筋に秀でた額。
白い肌には、ほんのり赤みが差している。
やや小ぶりな口元と、柔らかく閉じた唇。
長く伸びた髪は、光を受けて金色に輝く。
薄手の、ゆったりとした白いガウンをまとっている。
その柔らかな生地は、ほどよく発達した胸のラインを包み込み、谷間の影をくっきりと浮かび上がらせていた。
豊満というほどではないが、鏡に映る姿は、全体として女性らしい輪郭をはっきりと形作っていた。
首には幅三センチほどの白いチョーカーが巻かれていた。
無地で柔らかな素材のようだが、よく見ると、注意を払わなければ気づかないほど淡く、わずかに緑色の光を放っているようにも思える。
それが何であるかは見当もつかなかったが、その存在は少女のまとう雰囲気と調和し、どこか神々しさすら感じさせた。
あまりの美しさに息をのんだ。
実際には身体は動かないので、気持ちの上で、だが。
そして、「あの、ちょっと目のやり場に困るんですけど……」
目のやり場も何も、自分では制御できないのだが、と思いながら、つぶやいた。
「え?」
まったく何の話なのかわからないという反応が返ってくる。
かすかに眉をひそめて、軽く首をかしげる。
長い髪がふわりと動く、この仕草も優美で美しい。
「すみません、私は男なので、目のやり場に困っています」
どうやら、まだ長い文はうまく伝わらないようだ。
短く区切って話そう。
「私は」
「はい?」
「おとこ」「です」
#STATUS: SPRINT COMPLETED. PROJECT IN PROGRESS.
少しずつ舞台が異世界らしくなってきました。脳内物質によって感情がシンクロするという設定で、これまでの不思議な心の動きを伏線回収しています。お決まりのTS(性別転換)ですが、相手がなかなか気付きません。この種明かしは次回にて。




