その五
五
大観衆が息をのんで見守るなか、HOWのエース福住と、王者の四番屯倉、本日、三度目の対決が始まった。前二回は、ランナーがいない展開だったから緊迫感がなかったが、今回は違う、終盤七回、無死一、二塁、まさに、王者の大チャンスであった。 屯倉親智、打率自体は、三割一分ぐらいだが、シーズン半ばを過ぎて、すでに七十打点、ホームラン二十七本、ここぞというときには打っている男である。
球場内で、期待を込めたトランペットが鳴り響くなか、競羅が声を上げた。
「さあ、このあと、奴はどうするのだろうね」
「普通に考えたら、チームが勝つために打つんすけど。もし、ここで、逆転なんかしてしまったら、Sコースは台無しになるかもしれませんからね」
「となると、まずは、同点にすることから始めるか」
「ええ、そうすると思いますね。ヒットを打って、ノーアウトでランナーをためてしまったら、大量点になるかもしれませんからね。送るバッティングをするんじゃないすか」
ここで、観客たちの大きな、ためいき声が。屯倉の打った球が上空に上がった。だが距離はまったく伸びずセカンドへのフライだ。セカンドの境がフライを捕る構えをした。
とそのとき、セカンド塁審が手を上げて、アウトの宣告をした。
「インフィールドフライすね」
「懲りずに、また、長い横文字かよ」
「仕方がありませんよ。これも、野球用語すから、今みたいにノーアウト一塁二塁の時、内野にフライが上がった場合、その時点でアウトを宣告するんす。そうしないと、わざと落として、ランナーを三塁と二塁の両方でアウトにすることもできますから」
「なるほどね。そういう、ずるい行動は防がないといけないからね」
「やはり、姐さん、知らなかったんすね」
「ああ、今まではいつも、何とかなったからね。それよりも、こんな風に初球を内野に打ち上げるなんて、今日は調子が悪いのかね。まだ、打ってないしね」
「だから、様子をうかがっているのでしょう。おとついの試合では、五打数二安打、ホームラン二本、五打点をあげてますから。だいたい同点からでは、Sコースになりませんし」
「では、奴はSコースのためなら、チームが敗戦してもかまわないということか」
「言いにくいすけど、過去には、そういう試合もあったでしょうね」
「まったく、何て奴だよ!」
競羅は毒づいた。天美も厳しい表情である。
「でも、今日はいろいろと成り行きを考えていると思います。この七回、たとえ、このまま点が取れなかったとしても、六番で終わりますから。そのまま、八回が三人で終わったとしても、九回は一番から始まることになります」
「それでは、三番で終わって奴に回らないだろ」
「そうなんすけど、僕は回ってくると思いますよ。九回に一人でも出ればいいわけですし」
「けどね、HOWの投手の調子から見ると、それは、難しいよ」
「でも、九回に最低一人以上は出ないと、逆転サヨナラは成立しないんす。つまり、Sコースを達成するには、どうしても、その条件をクリアしなければならないんす」
「そうか、それで、その可能性にかけたと、けどね、奴が打たなくても、次の打者が・・」
競羅の言葉の途中、次の展開が、王者五番マーティが福住の初球シュートを引っかけた。ボールはショート真正面に転がり、六、四、三のダブルプレーが成立した。
王者の攻撃が終わり、湧き上がった球場が一瞬のうちに沈黙した。
「えっ、今のは?」
守備が引き上げたのが不審に思ったのか、天美が声を上げた。
「ダブルプレーす。一度に二人の選手がアウトになることす。一塁ランナーが二塁で封殺され、打ったバッターが一塁でアウトになるんす」
「そうだよ。今の場面は大事だよ。さっきは、成立しなかったから説明ができなかったけど、ゴロになったら、すぐに、走らないといけないのだよ。ボールが二塁の選手のグラブに入るまでに駆け込まないと、今のようにアウトになるからね。あとね、一塁二塁で、あんたが二塁ランナーの時、同じように三塁に駆け込まないと大変なことになるよ」
「ええ、トリプルプレーでチェンジすね。ですが、これは、めったに起きませんよ」
「何にしても、これで二人の選手が出ないと、九回、奴には回らなくなったね」
「そうすね。おそらく、屯倉選手は、このダブルプレーを回避したかったんすよね。だから、フライを打ち上げたんす。しかし、結局はそうなってしまいましたけど」
「まあ、物事はそんな計算通りにはいかないよ。これで、今日はもう成立はないね」
王者の先発、光岡も、初回の出会い頭にはホームランを打たれたが、それ以降の投球はすばらしく、八回の表も、HOWは三人で攻撃を終えた。
八回の裏に入った。福住の投球も負けず劣らず冴えていて、王者は三者凡退であった。
「HOWの投手、本当にいい球を投げるね。まだ、王者はヒットなしだろ」
「ええ、スタンドが大きくざわついています。ノーヒットノーランまで、あと三人すから」
「長いけど、よく聞く言葉だね。これって、すごいことなのだろ。でもノーランって?」
「ノーランというのは点を取られていないという意味す。相手が0点でノーヒット、これがノーヒットノーランすね」
「完全試合とは違うものだよね」
競羅はそう尋ねた。
「ええ、完全試合は、エラーも四球もない試合を指します。これは、もっと難しいすよ。味方の協力も必要となってきますからね。今日の試合は、二つのエラー、一つの四球すか」
「では、三回にエラーがあったとき、そこで、消滅しているということか」
「ええ、そうすね。しかし、福住投手は本当にすごいすよね。相手を九イニング無安打無得点に抑えるということは、プロの世界ではとても難しいことなんすよ。これを間近で見られるなんて、今日の観客は幸せすよ」
「ちょい待ちなよ。そうなるとSコースというのは、どうなるのだよ?」
「今はそんなことを言っている場合ではありませんよ。大記録達成前なんすから」
「でも、屯倉っていう選手も、そんなことさせる気ないと思う。あそこで二人の選手と、何かこそこそ話し合ってるようだから」
ここで、天美が王者の一塁ベンチを指さして声を上げた。確かに屯倉を含めた三人の選手が、密談のようなことをしているのだ。そして、数弥は、
「そうすね。屯倉選手が何か指示をしているみたいす。一人は有吉選手すね。もう一人は背番号十番、あれは、大友選手すか」
「ああ、この先わからないよ。そんな記録なんて作られたら、王者の恥になるからね」
試合は進み、最終回、HOWの攻撃は三者凡退、その裏、王者、最期の攻撃となった。
【選手の交代をお知らせいたします。九番、セカンドの遠山に代わりまして、ピンチヒッター大友、背番号10】その球場内に流れたアナウンスの声に競羅が声を上げた。
「これだよ、これ! 代打代打!」
「姐さん、うれしそうすね」
「そうだよ、今日は一度もなかったからね。これで、この子にも説明ができるし」
「そういえば、姐さんは、ほとんどがピンチヒッターでしたか」
「そうだよ。この一打席に集中する心、これが何ともいえないよ」
そのピンチヒッターに入った大友選手はというと、福住投手の球を何度もカットしていた。その投球数十二球、ついに根負けしたのか、
『ボールフォア』
球審の声が上がり、大友選手は一塁に向かった。
九回裏、待望の先頭バッター出塁に球場は大きな歓声に包まれた。それを見た天美が、
「あれは、確か数弥さんの言ってた。えーと、一塁に行ける」
「ええ、フォアボールすよ。ストライクコースを離れたボールを四つ、バットを振らずに見送ると、ああやって一塁に行けるんす。今日見るのは初めてすね」
「そうだよ、だからこそ、ボールを見極めることは大事なのだよ。向こうも、三球までは、はずれた球を投げることができるからね。しかし、さっきの打者もよく選んだね」
競羅も説明に入ってきた。
「ええ、大友選手らしいすね。バッティングが、ねばっているというか、いやらしいんすよ。さすが、屯倉選手の信奉者の一人すか。チームではくせ者と言われています」
「つまり子分ね。あの密談をしていた、もう一人も、バントで塁に出ていたね」
「有吉選手すか。そうすね、彼も屯倉選手を尊敬しているみたいす。『屯倉さんみたいに、ゲームを支配できる選手になりたい』と日頃から言ってますから」
そして、その有吉選手が、ネクストバッターズサークルから、バッターボックスに向かった。一番の倉沢がバント失敗で倒れたので、ワンナウト一塁である。
大応援の中、有吉はバッターボックスに立つと、倉沢同様、送りバントの構えをした。
福住が初球を投げた。そのボールはバットに当たったが、ファールゾーンにころがった。
二球目、突然、有吉がバントの姿勢からバットを引いて、スイングをしたのだ。
「バスターす! 相手の意表をつく」
数弥は思わず声を上げた。観客の何人かもバスターと叫んでいた。
転がったボールは、前進してきたサード森崎の横を抜けていった。慌てたショートの渡瀬が回り込んで取ろうとしたが、前へ弾いてしまった。
渡瀬がボールをにぎったとき、有吉は、すでに一塁ベースを駆け抜けていた。スコアボードにはEのランプがついた。
ワンナウト一塁二塁、九回の裏、土壇場で王者にチャンスが回ってきた。
うおおおおおお! うおおおおおお! 次々と津波のように、せまりくる観客の声が響いてきた。競羅も思わず声を上げた。
「おいおい、来ちゃったよ来ちゃったよ」
「ええ、最後の最後にすごい場面が来ましたね。しかし、ここでバスターを仕掛けるなんて。あっ、バスターというのは今みたいなことを言うんす。バントを防ごうとして相手が前進してきたら、すかさず、バッティングに切り替えて打つことすよ」
「そういえば、さっきも、この有吉という選手だったね。エラーを誘ったのは」
「そうでしたね。彼もけっこう、くせ者すね。それより姐さん、あの、さっきのショートの動きどう見ます? もしかしたら、わざと球を弾いたような感じがしませんか」
「では、あいつも八百長の仲間か」
「いや、ノーヒットノーランを達成させるために弾いたと思うんす。有吉選手は足が速いので、あのまま一塁に投げても微妙なタイミングでしたからね」
「確かにそういう可能性もあるね。何にしても、この状況で、二打席連続出塁をするとは。さすが、屯倉の子分というか、あんたは、ここまで、よんでいたのかい」
「絶対的な自信はありませんけど、一人は出るような感じはしました」
そして、三番オルソンがバッタボックスに入った。それを、見た競羅は、
「さっき、ゴロを打った外人さんだけど、まさか、併殺打ということはないよね」
「それはないでしょう。先ほども回避しましたように、有吉選手は、かなり、足が速いすから、だいたい、そんなことになったら試合が終わりますから。見てください、あの構え、オルソン選手、どうやら、サヨナラホームランを狙っていますね」
「ここで、ホームランで試合を決めるつもりか」
「ええ、外国人の選手は、このようなとき、アッパースィングをすることが多いんすよ。ボールを下から、すくう様に打つという、姉さんも、そうすよね」
「ああ、剣道の応用だよ。下から、相手の竹刀をすくいあげ、上に飛ばして突きを打つ」
「そうすね、すざくい流の本流を、姐さんは守ってますし」
「今は危険で使えないということだろ。だから、大会には出たくないのだよ。いろいろと面倒だから。それよりもね、今は、こっちの方の試合だよ」
「そうでしたね。アッパースイングは姐さんぐらいでないと、ミートは難しいすよ。でも、その方が、かえっていいと思います。中途半端にゴロで進塁して、二、三塁になったら」
「そうだね、あれか、この子に見せる機会でもあるけど、Sコースも、今日はなくなるね」
競羅はなんとも言えない顔をして答えた。
結局、オルソンはアッパースイングがたたり三振であった。
その様子を確認した屯倉は余裕の表情を浮かべて、バッターボックスに向かった。競羅たちには、それが、薄笑いにも見えた。
【四番センター屯倉 背番号8】
アナウンスの声に、もう球場の熱気は最高潮だ。キャッチャーの道尾、そして、内野手たちが福住投手のもとに集まってきた。しかし、HOWベンチの方は動きがなかった。
「ベンチとしては、ここで塚間投手に代えたいのですけど、さすがに、この状況では代えることはできませんね。エースですし、ノーヒットノーランがかかっていますから」
「ああ、そうだね。非常に難しいとこだね」
一方、この試合展開をバックネット裏から、にやりと笑って見ていた人物がいた。天美が気になったというサングラスの男性だ。その男は、
「やりますなー、屯倉君。塚間投手が出なくても、Sコースが成立するような展開に持っていくとは、これは、もう恐れ入りました。しかし、こんなことになるとわかっていたら、二日間とも、賭けの対象にすればよかったわい」
やがて、内野手たちが持ち場にもどり、試合が再開した。
福住が屯倉を見つめ、初球を投げた。快音が走った、シュートをたたいたのだ。ボールは三塁の頭を越えて、そのまま三塁線をフェンスに向かって転がっていった。
「あ、あれは、確か数弥さんの!」
天美のつぶやきをよそに二塁ランナー大友、続いて一塁ランナーの有吉が三塁ベースを回った。ボールは、ようやくHOWのレフトの藤代がつかんだところだ。
喜びの表情をした大友がホームを駆け抜け、有吉が両手を挙げながらホームベースを踏んだ。王者のベンチからも、歓喜の表情を浮かべた選手たちが飛び出してきた。
《ゲームセット》
主審が右手を挙げて、試合終了のコールをした。
その様子を見ながら、競羅は悔しそうな顔をしてつぶやいた。
「やられたよ。奴がここまで、すごいとは思わなかった。奴と奴の息のかかった連中だけで試合を決めてしまったよ」
天美の方は、悔しいというよりも狐につまままれたような顔をしていた。




