第4章 消えた兄貴
朝が来た。マルリーンが目を覚ますと、テリーの姿は何処にも無かった。
「あれ? 兄貴、何処?」
捜し回るが、影も形も見当たらない。
「また朝っぱらから博打か女遊びにでも行っているんでしょう、しょーもないばか兄貴っ」
冷たく考えたマルリーンだが、飼い葉を与えに馬舎へ行って、彼の馬が居ないのを見た途端、顔色が変わった。
「えっ……何で?」
呆然と立ち尽くし、マルリーンはバケツを取り落とした。
彼女は部屋へ走って戻り、ジョギングを終えたばかりのクズーに泣きついた。
「どうしよう、クズー! 兄貴何処行っちゃったんだろう! もしかして突然遠くの町へ女に会いに行ったとか、博打公認の町にやりに行ったとか、それとも昨日の勝ちを自慢しに……」
おろおろとマルリーンは、思いつく限り挙げて見た。
どれもテリーならやりそうなことだ。
その時、彼女の脳裏を昨夜のことがよぎった。
「……まさか……! まさかボクが昨日、兄貴に酷いコト言ったから……!」
マルリーンは蒼ざめた。あれは完全に八つ当たりだ。
普段ならあんなことは絶対しないのに、と彼女は自分を責めた。
「荷物がある。必ず戻るはずだ」
テリーの荷物がそのままになっているのを見たクズーが言葉少なく答えた。
不安な顔で落ち込むマルリーンの頭にごつい手を乗せ、クズーはもう一言呟いた。
「大丈夫だ」
マルリーンは胸を押さえたまま、こっくりと頷いた。
不安は消えないが、テリーを信じて待つしかない。
彼女はクズーと二人で、いつものように一日を過ごした。
馬の世話、馬車の修理、部屋の掃除、繕い物、買い物や同業者とのつき合い……。
気を紛らわせるように彼女は雑用に励んだ。
いつものように笑顔で明るく努めていたが、時折耳に飛び込む星祭りの話も、マルリーンの心を沈ませた。
太陽が沈み、とうとう夜が更けてきた。テリーは帰って来ない。
一応、酒場も賭場も、花町までも、こっそり窺いに行ったが、テリーの行方は分からなかった。
勿論、馬がいないということは、町の外に行ったということなのだが……。
マルリーンは心配でたまらなくなり、窓の外を頻りに窺った。
「ねえ、戻って来ないよ。どうしよう」
不安と心配が絶頂に達し、彼女は部屋の中をうろうろと歩き回った。
「……見て来るか」
クズーが手回り品を担ぎ上げ、ゆっくりと立ち上がった。天井に頭が届いて見える。
「ボクも行く!」
マルリーンは上着をひっ掛けた。
その時、蹄の音が微かにしたと思うと、やがて廊下をけたたましい足音が近付いてきた。
「ただいま、キャロータ!」
ばたんと扉が開かれ、大きな包みを抱えたテリーが駆け込んできた。
その顔を見た途端、マルリーンはどっと全身から力が抜けた。
心配が怒りに変わり、彼女はきつい口調でまくし立てた。
「このばか兄貴! こんな時間まで一体何処で遊んでいたんだ……よ?」
その言葉を遮るように、マルリーンの腕に、大きな包みが押しつけられた。
マルリーンはぽかんと口を開けたまま、まばたいて兄を見上げた。
テリーは微笑みを湛えて自分を見ている。兄の額には汗の玉がびっしりと浮いていた。
「これ……何?」
「いいから、開けてみろよ」
額の汗を拭い、大きく肩を弾ませてテリーは上着を脱ぐと勢いよく椅子に投げた。
マルリーンは不思議なものを見るように兄貴を見ると、不安そうに包みを開く。
「……あ……ああ……!」
声にならない声を上げ、彼女は口をぱくぱくさせた。
クズーがその様子を見て少しほっとしたように笑う。
「どうだい? お気に召したかい妹姫」
革の手袋とバンダナを外し、テリーはゆっくりマルリーンの元へ歩み寄った。
マルリーンは目を丸くしたまま、声を絞り出した。
包みをおそるおそる取り除き、そっと広げると……色とりどりの刺繍が至る所に散りばめられた、美しいニットのドレスだった。
「ど、どうしたの兄貴、これ……一体?」
「明日の成人祭おめでとう、マルリーン」
優しい瞳でテリーは言った。
いつもはアダ名で呼ぶ兄が、久しぶりに呼ぶ本名。マルリーンの顔に血が上った。
「あ……ありがとう兄貴……」
マルリーンは、ドレスに頬を埋めて赤らんだ頬を隠した。
急な展開に胸がバクバク響いている。
不安と後悔の直後、突然天地がひっくり返ったような感じで、彼女はまだ混乱していた。
それゆえ、体面もプライドも麻痺したまま、マルリーンはただ呆然とドレスを抱き締めた。
懐かしい臭いがする。
満足した様子でテリーは微笑んだ。故郷に妻と子供がいるクズーも、心なしか優しい表情だ。
衝撃から時間が経つと、徐々にマルリーンは冷静さを取り戻した。
同時に恥ずかしさがこみあげてきて、彼女はドレスから視線を逸らした。
「……でも、こんな派手なの、ボクには着られないよ。キラキラし過ぎてるって言うか、あんまりボクみたいな、がさつな子が着る服じゃないって言うか……あ、折角買ってきてくれたのは嬉しいよ、でも……」
マルリーンはしどろもどろに言いながら、兄にドレスをつき返そうとした。
「大丈夫、ガラじゃないなんてコト、絶対ないって。まぁがさつなのは否定しねーけど、成人祭の時くらい、綺麗になったっていいじゃん? 一生の記念だろ?」
テリーは明るく笑った。
「それに……な。それは世界にひとつしかない、そしてお前に世界で一番似合うドレスさ。何しろお前の母さんが大切にこしらえたもんだからね」
「……お母さんが……?」
「そうさ。……行き倒れていたお前と、お前の母さんを俺の親父が助けたろ。お前の母さん、逝っちまうまで病床でずっとこれを編んだり、刺繍したりしていた。娘にせめて贈り物を残していきたいって言ってね……だから、世界で一番お前に似合う、いやお前にしか着られない服なんだ」
マルリーンはドレスに目を落とした。丁寧に施された刺繍。細かく編み込まれた模様。
死んだ実母が、そんなものを残していたなんて、今まで全然知らなかった。




