第5章 シドの見た夢
シドは、今までちゃんと鏡を見たことがなかった。
顔を洗うのも適当だし、お風呂も烏の行水で、自分の姿を確認したことがなかった。
夢の中で、シドは魔鏡の前に立っていた。
「お前、誰だ!」
いきなり現れた黒っぽい人影に、緊張しながら、シドは叫ぶ。
館にシドの声だけが木霊した。
「無視しないでよ! お前誰? どこからきたのさ!?」
諦めずに、シドは魔鏡に語りかける。
緑がかった金髪の、耳の長い、黒っぽい肌の男の子は、答えなかった。
それどころか、声は聞こえないけれど、何か自分に話しかけようとしているように見えた。
「話があるなら聞くよ?」
男の子は答えない。
「君も闇エルフなの? お日様に近いところに住んでいるの? 僕は闇エルフの村を探して旅をしているんだ。お友達を作る旅なんだよ。で、君は闇エルフなの?」
一生懸命、シドは話しかける。
男の子は答えない。
でも口をぱくぱくさせているように見える。
よく見ると、自分の真似をしているのだ。
シドが手を挙げると、男の子も手を挙げる。
試しに火を呼び出してみると、男の子の手にも火が宿った。
「やっぱり君も闇エルフなんだ! 僕とおんなじだ! お友達になろうよ!」
赤い瞳をきらきらさせて、シドは鏡に駆け寄った。
ごん、と鏡にぶつかる。
「痛ぁ……」
おでこを押さえて顔を上げると、男の子も同じようにおでこを押さえていた。
「な、なんだよ! ばかにしているの?」
むっとしてシドは鏡を蹴った。男の子も勿論、同じところを同じタイミングで蹴ってきた。
「やるかぁー!? 言っとくけど僕、喧嘩は容赦なしだからね!」
シドは鏡に向かってあらん限りの攻撃を仕掛けた。
「てやてやー!!」
パンチ、キック、平手、突き飛ばし、体当たり……どれもこれも見えない壁に阻まれた。
悔しいことに、壁の向こうの男の子も、同じ攻撃方法で仕掛けてくる。
「ふん、当たってないやい!」
自分の攻撃も相手に当たっていないのだが、シドは構わずに喧嘩をつづけた。
「はぁ、はぁ、はぁ……どうだ! 観念したなら出てこい!」
肩で息をする。相手も肩で息をしている。
同じ早さで、同じポーズで。
見えない壁をいっぱい叩いたり蹴ったりして、シドの手足はひりひりと痛み出していた。
「まだやるかぁ?」
ファイティングポーズをとると、相手も同じく真似をする。
「お前、人の真似しか出来ないの? 僕と同じことしても無駄だってわからないの?」
ぷんすかと怒りながら、シドは挑発した。
「その壁の向こうからこっちへ出て来いよ!!」
相手も同じように挑発してきたようだった。
手招きして、こっちへ来いとジェスチャーしたのだ。
シドが今しているように。
「だから、真似するなー!」
シドは痛む足でキックした。相手も同じようにキックしてきた。
冷たい壁の感触だけが、じいんと足を痺れさせた。
「ふふ……くく……ふふ……」
突如知らない声が聞こえて、シドは「誰だよ?」と周囲を見回した。
壁の向こうの男の子も、同じようにきょろきょろしている。
「きみは、鏡を見たことが無いんだね」
知らない男の子の声だった。シドはこれが壁の向こうの、闇エルフの声だと思った。
「そこに写っているのはきみだよ。きみはさっきから、自分の影に喧嘩を売っているんだ」
暗転。
気が付くとシドは狭い空間に転移していた。
目の前には、流木のような乾ききった妖精の亡骸を抱きしめさせられ、ぽたりぽたりとあちこちから血を流している、人間の男の子(少し年上っぽいかな?)がいた。
かなり暗かったが、闇エルフであるシドには、十分すぎるほどよく見える。
「ぼくはジューバル。きみは?」
「シド」
答えて、シドは御伽話を思い出した。
「ジューバルって、御伽話の王子様じゃないの?」
「そうだよ」
「生き埋めにされたんだよね?」
「うん。ここは館の地下なんだ」
ジューバルは狭い穴ぐらで、身動きも取れないようだった。
どこにシドが入る隙間があるのか分からない。夢だからこそ、ここにいられるのだろうか。
「ぼくを死なせて」
唐突にジューバルが懇願した。
「君はとっくに死んでいるんじゃないの? だってヴェドって、もうとっくに滅びているよ。町も荒れ放題だったし、どこもかしこも朽ちていたし、この館だって」
シドは首を傾げた。
「この妖精の亡骸を抱えているせいで、半端にしか死んでいないんだ。ぼくはこの妖精を通じて、あらゆる魔鏡と繋がっちゃっている。ヴェドでヴィーエが作り出した魔鏡の全てが、ぼくの目になっているんだ。見たくないものも見えるし、情報がいっぱい頭に流れ込んできて気が狂いそうだよ」
辛そうにジューバルは続けた。
「鏡が割れると、ぼくの目にずしんと衝撃が走るんだ。勿論、高価な魔鏡を割ろうなんて人はそうはいないけれど、事故とか不注意で割れることはあるからね」
「どうしてあげたらいいの?」
シドは率直に尋ねた。
「ぼくを見つけ出して、妖精と別々に埋葬して欲しいんだ」
「君は地下にいるんだよね?」
「うん。でも地下っていっても、どこなのか分からないんだ。君なら見つけられるよ……くれぐれも、母上に悟られないようにね」
「ヴェドの女王も、とっくに死んじゃったんじゃないの?」
シドはジューバルが不思議なことを言うと思い、更に首を傾げた。
「それが、居るみたいなんだ、この館に。剣を持っていて、ぼくの血で真っ赤になったスカートを穿いた母上が……」
ジューバルの言葉に、シドは怖い想像をした。
それが、ジューバルの中に流れ込んできた、ラリサの夢の内容だとは、ジューバル本人も含めて、誰一人わからない。
「僕、剣を持った女の人と、上手く戦えるかわからないけれど、見つからないようにやってみるね」
「有難う。よろしくね」
突然、エステレルに借りていた指輪がきらきらと光り、シドは眩しくて目を閉じた。
次に目を開けた時、そこには、どこか沈んだ顔のラリサと、テントからのんびり這いだしてくる途中のエステレルが見えた。
「ああ、お2人とも無事に起きられましたね。なら、指輪を返してくださいな」
エステレルはそう言って、にっこり微笑むと、2人に向かって手を差し出した。