1565年 9月 石山御坊攻略
前回は足利家を滅ぼした。今回は畿内一番の堅城、石山御坊を攻めよう。
本願寺の石山御坊は堀、塀、土居などで強化し、摂州第一の名城とか石山本願寺城と呼ばれるになる。
その呼び名に相応しく、織田家との合戦では約1年半に渡り、ほぼ無補給で篭城することができた。ゲームでも能力は高く迂闊に攻めることはできない。
三好家と同盟を結び、城を通過できるようになった。
これで、石山御坊の進行ルートができた。
足利家を攻略した兵でそのまま石山御坊に雪崩れ込む。そしたら、北陸で戦った下間頼簾が9000の兵で打って出てきた。あきらかに不利な情勢。もともとこちらの方が兵力が少ないのもあるが、それ以上に下間頼簾は強力だ。
でも、攻める前に想定した被害と同じ。一時的には劣勢になるが後詰が来ればすぐに逆転できるだろう。そう思っていたら本願寺に援軍が到着した。これは想像できなかった。海路、大阪湾を使ってやってきたからだ。援軍は赤松家からの兵は5000。
こちらが一気に不利になった。一端、後退し後詰の到着を待ち、態勢を立て直す。
兵を引くと、赤松家も引いた。次に攻める時は本願寺と合流させないぞ。
後詰が着たので攻略を再開する。
今度は、大阪湾に、あらかじめ兵を配置した。すぐに援軍が来るが、通路を塞いだ。
赤松家単体だと弱い。足止めどころかこのまま撃破できそうだ。石山御坊の方も攻撃を再開。先ほどの攻撃で敵の兵は減ってるし、後詰と合流した今、兵力は多い。このまま押しつぶせそうだ。
ところが、三好家の同盟が切れそうだったので、攻撃を中止する。
このまま、包囲していたら制圧できのはまちがいないけど、三次家と戦闘が起これば、退路がなくなり包囲殲滅する危険があるからだ。
引き返した所で、三好家と鈴木家が大和国の南の方で戦闘が起った。鈴木家が十市城に攻めたようだ。
兵力差で三好家が有利だが、神保家としては共倒れしてくれる展開がありがたい。しかしこちらも戦闘に巻き込まれそう。石山御坊に南から攻めるルートはぶつかるだろう。二条御所の北から攻めればいけるが、南と挟撃したいのでしばらく待つ。待ち時間を使い先に丹波の波多野家を攻めることにした。立地的に北側から攻略する兵を使う予定だ。
波多野家は弱小大名だったのでとんとん拍子に攻略できた。三次家と鈴木家の争いが終わり。三次家との同盟を結んだ。
余裕があるのでこのまま波多野家と本願寺の二正面で戦うことにした。
1564年5月に筒井家、1567年7月に波多野家を滅ぼす。
波多野家を滅ぼした兵はそのままを西進する。
そして、1564年8月に石山御坊を制圧し本願寺を滅ぼす。
ここで、毛利家と同盟を結ぶ。毛利家と戦う前に中国地方の大名を先に吸収する必要があるからだ。
一色家、別所家、赤松家、鈴木家を滅ぼす。
1565年9月に浦山家が滅亡すると周りに弱小大名はいなくなった。それと同じ月、毛利家との戦闘が始まる。
現在の西の最前線は毛利家の備中高松城と竹田城。




