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1564年 1月 足利家攻略

 前回は織田家の城をあらかた制圧した。今回は京へ上洛を目指そう。

 まずは、同盟を結んでいた六角家の対応を変える。

 織田家攻略のめどがついてきたので六角家とはもう同盟を結ばない。

 同盟どころか織田家と平行して攻略も開始する。

 1562年12月に六角最後の城清水山城を制圧し、滅亡させる。

 1563年1月に尾張の西部に位置する織田家の二つの城、鳴海城と沓掛城制圧を制圧する。

 その二つを制圧することで、尾張と美濃を含む濃尾平野から織田家はいなくなった。

 これで、神保家の東側はもう武田家しかいない状態になる。

 西進を開始する。琵琶湖南側に放置していた織田家の城がある。そこを手始めに攻略を始める。

 その城の内の一つ、観音寺城に伊賀の亀山城から三千の援軍が来る。山を越えをする大変な行軍だ。しかも、援軍を出した亀山城も神保家に攻めらている。

 敵ながら、必死さが伝わるが、我ら大軍の前では意味がない。

 1563年4月には観音寺城とその近くの支城、音羽城を制圧する。

 援軍を出して、最後の抵抗を見せた亀山城も1563年5月に制圧し、織田家が滅びる。


 織田家の織田信長や羽柴秀吉、柴田勝家など有力武将を登用することに成功する。後は、そのまま伊勢志摩に南下して徳川家を攻める。

 徳川家は、鳥羽城から出た徳川家康(当時は松平家康)が5000の兵で脅威的な粘りを見せるが、1583年7月松ヶ島城制圧する。制圧すると対抗する兵力がなくなり、1563年12月に鳥羽城を制圧し、徳川家を滅ぼす。これで、伊勢を統一する。


 織田家滅亡後、徳川戦と平行して畿内の攻略の準備に取り掛かっていた。

 1563年5月、畿内の諸大名を攻略するために、比較的力を持った三好家と同盟を結ぶ。

 倒すのに少し苦労しそうなので最後に倒すためだ。三好家は四国にも力を伸ばしている。畿内でもっと勢力がある所だ。

 他にも理由がる。本願寺の堅城、石川御坊を攻略をするには、三好家の城を通過するしかない。とうぜん、同盟を結ばないと通過することができない。同盟を結ばなければ、本願寺を倒す前に、三好家を倒さないといけなくなる。それを防止するために、同盟を結んだ。攻略中の敵に三好家が援軍を送ると面倒なので、送ることをできないようにするのも理由の一つだ。


 同盟を結んだ後の諸大名の攻略した城を話そう。

 北畠家は1563年5月に長野城を制圧するし、霧山御所を攻略を始めようとしている。

 筒井家は1563年6月に伊賀山城制圧し、残りは筒井城だけになる。

 そこで、足利家の攻略が始まる。


 足利家は昔に比べて、派手になったような気がする。堕ちても将軍家、今まででが地味過ぎたのかもしれない。今では大名の足利義輝が剣豪将軍と言う面を前面に出し、高い能力を備わっている。

勿論それを裏付けるエピソードがある。剣聖塚原卜伝から指導を受け、奥義「一之太刀」を伝授されている。その剣技を持って、壮絶な討ち死にをする。畳に刀を刺し刃こぼれしては、新しい刀を持ち直す。それを繰り返し、四方から迫る敵と戦った。最後は刀をすべて使い潰してしまい討たれる。


 城の立地についても話そう。足利家の城は縦一列に並んでいる。

 北から二条御所、槇嶋城、朝宮城と言う具合に。そのどの城の西側は、神保家の城と隣接している。つまり今の状態だと、攻略を始める城を選べる。

 今までだと、本城の二条御所から攻略を始めるけど、今回は朝宮城から攻略を始める。朝宮城に軍を出し、敵の兵を朝宮城付近に集めた所で、兵が少ない二条御所へ攻撃をし、楽に制圧するという作戦だ。

 問題は、本城は支城と比べて耐久力が高い。朝宮城に集まった兵が二条御所に集まる前に制圧できるかどうかということだ。二条御所に兵が集まってしまえば、今まで通り厳しい本城攻めになってしまう。


 織田家の観音寺城を制圧した兵で朝宮城へ進軍する。すかさず、足利家の各城の兵が集まり、決戦がおこった。

 観音寺城の攻略後というのもあり、兵力が低下している。こちらが不利なもよう。

 特に敵の二条御所の足利義輝は兵5000で持ち前の能力で大暴れをしている。

 これでは適わないと思い、後詰を次々に投入する。

 朝宮城はもちろん。がら空きになった二条御所にも攻撃を開始する。敵がいないのですぐに包囲をすることができた。

 朝宮城の兵の一部が、二条御所へ向かいだした。こちらも包囲している二条御所の兵を一部差し向ける。

 差し向けた兵で時間稼ぎをしつつ包囲を続行する。

 ここで後詰をさらに投入。槇嶋城にも攻略開始する。

 ここまでくればこちらが有利、敵兵をすべて排除しすべての城の包囲を開始する。

 包囲を開始した所で、同盟国の三好家が包囲に加わる。援軍要請などしていないのに。

 1563年9月に朝宮城を制圧する。その後、とんとん拍子にすべての城を制圧した。


 1563年10月 二条城を制圧

 1563年11月 槇嶋城を制圧


 他の周辺国と較べて抵抗が少し激しかったが、足利家を滅亡させることに成功する。

 最後に1564年1月に北畠家の霧山御所を制圧し、滅亡させる。

 これで摂津国を除く畿内は本願寺、三好家、筒井家になった。

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