天下統一
いよいよ毛利家と決戦が始まった。
主に山陽と山陰の2ルートで進行する。
山陽側は備中高松城に攻めるが、毛利家も兵が集まり膠着状態になる。
山陰側は逆に兵力が少なく、竹田城と鳥取城を楽に落とすことに成功する。
鳥取城から山陽側へ通じる津山城は制圧がむづかしく、南下できずにいる。しかたなく西進を続ける。羽衣石と高田城を制圧する。高田城を落とした1566年5月から敵の圧力は弱くなる。
1567年3月にやっと備中高松城を制圧。ここで毛利が総崩れ、本州からほぼ毛利家を追い出す。
本州の次は四国と九州だ。九州では毛利家が大友家を滅亡させている。現在は島津家と争っている。できれば、島津家が滅びる前に毛利家が抵抗できないぐらいに兵を削りたい。四国は変化なく西に毛利家と東に三好家がいる。
四国と九州に攻め始める。四国側の毛利家の兵は積極的に本州の備中高松城に兵を送っていたため力がなく攻略はスムーズにできた。
九州側は兵力の大友と争っていた割りに兵の損失が少なく、本州の最西端の櫛崎城に大量の援軍を送っている。神保家は無理な進軍を繰り返してきたためかそれに対抗できない。しかたがないので兵力の集結を待つことにする。
四国攻略中に三好家と同盟が切れる。三好家とも戦闘になる。畿内の三好家はcomに任せて、四国にいる兵は毛利家共々倒す。
1569年10月に三好家滅亡する。その後すぐに四国を統一する。四国から九州を攻めれるようになった。
四国の兵で中津城を制圧し、九州の足がかりを作る。その後、西進し、九州を北と南に分断する。分断後、北の櫛崎城に援軍の兵力が減るなどの成果が出た。九州各地をとんとん拍子に攻略できた。
1574年1月に原田城制圧し、毛利家を滅亡させる。
肝付城だけになるとなぜか攻められなかった、島津家を1574年3月に滅亡させる。
北の戦線は春日城から上杉謙信を初めとした大量の兵が富山城に攻めてきた。こちらは防戦一方だ。
武田家が進
島津家が滅亡した月に武田家の武田信玄が亡くなり、婚姻同盟が切れる。休む暇もなく戦闘が始まった。
武田家は北の南部家を滅ぼし、さらに成長している。今現在、北の武田家、関東の北条家、南の神保家の三家のみが生き残っている。
武田家と北条家は同盟を結んでいるので、事実上、神保家対武田家と北条家の図式になっている。
最前線にある敵城は、北は春日城、南は安詳城などがある。もちろんその間に信州のいろんな城もある。
行してくる道は悪く、一本道しかない。当然渋滞が起った。このまま米糧切れを狙う。
飛騨の松倉にも攻めてきたがこちらも防戦。越前から援軍が来れば盛り返すだろう。
飛騨の南、濃尾平野の東にある苗木城と岩村城を制圧した部隊がいるが、ここで停滞してしまった。その東の飯田城は攻めれない。
なぜなら、北条家の援軍が大量に来ていて、攻めにくいからだ。取りあえず、新野と治部坂に城を作り、敵が東海方面に進めないようにした。
さらに南、東海方面を攻める兵は、安詳城を制圧し、岡崎城に東海から集まった武田兵と激突するが少し分が悪い。
そこで、駿河湾を越え、田原に城を建てた。その北の吉田城を制圧し、さらに北の森(地名)に城を建てた。これで岡崎城と東海地方の城の道を遮断する。援軍もこれず、撤退もできない岡崎城の兵を殲滅し、岡崎城を制圧する。後は兵力が少なくなった東海地方の城を次々に攻略していくだけだ。先ほどの苗木城と岩村城の部隊が信州からの兵をブロックしているので、援軍もこない。楽に制圧することができた。
北条家と婚姻同盟を結ぶことに成功。成功後すぐに飯田城を攻撃。北条家の兵が邪魔で進軍しづらかったが、敵兵がいないので楽に制圧。
ここから信州の各城を制圧。そのまま東北まで上り、1583年5月に武田家を滅ぼす。
最後に、北条家と同盟を破棄し、北条家を攻め、滅亡させる。
これで天下統一。




