第一話 交通事故
けたたましく家の電話が鳴った。
「はい、東でございます。」
夕飯の準備中だった静江は、濡れた手をエプロンで吹きながら電話の受話器をとった。
「もしもし、こちら北沼警察署の太田と申します。ご主人の東賢二さんについてご連絡がありまして、お電話いたしました。」
突然、警察と名乗られ静江の心臓がドクドクと高鳴る。
「主人がどうかしたんですか。」
「本日、賢二さんが交通事故にあわれ、北総合病院に搬送されました。ご家族の方に病院へお越しいただきたく存じます。」
病院へ搬送と言われ、受話器が手から滑り落ちそうになる。
「主人は大丈夫なんですか?ケガをしているんですか?」
気が動転し、半ば叫ぶように尋ねる。大丈夫、軽いケガですという返事を期待して。
「今は何とも言えません。とにかく病院の方へお願いします。」
「わかりました。すぐに向かいます。」
心臓の高鳴りが止まない。どうかひどいケガでないといいが。
「おばあちゃん、今警察から電話があって、賢二さんが事故にあってしまったって。」
口に出すと不安が増した。
それを聞いたおばあちゃんも顔色が変わる。
「賢二が。ケガしたの?」
「まだわからない。病院に来てくださいって言われたから、これから行ってくる。子供たちを見ててもらっていいですか?」
「もちろんだ。静江さんも気を付けて行ってよ。」
自分がしっかりしなければと言い聞かせ、ハンドルを握る。神様、どうか大きなケガでありませんように、お願いします、お願いします。夜道を走りながらずっと祈り続けた。
「お電話いただいた、東賢二の家のものです。主人は。」
病院の救急入口には数名の警察官が待機していた。
消毒液の匂いが鼻をつく。
「東さんの奥さんですか。」
一人の警察官が沈痛な面持ちで静江に向き合う。
「ご主人はこちらです。」
と言って、処置室の一角に案内された。
恐る恐るカーテンを開けると、賢二はベットに寝かされその顔には、白い布がかかっていた。
それがどういう意味かすぐに静江にもわかった。腰が抜けその場にしゃがみ込む。
「大丈夫ですか?」
先ほどの警察官が駆け寄り、心配そうに静江に声を掛ける。
これは何か間違いではないか、
「これは…、」
そう言いながら、警察官の手を借り、ベットに近寄る。
この白い布を取ったら、誰か知らない人かもしれない。静江はそんな期待を込めてそっと布をとった。そこにあったのは目をつむり、土気色になった賢二の顔だった。
「お父さん、お父さん。」
肩をゆすり声をかける。“起きて、起きてよ、お父さん。”
いくら声をかけても、賢二はそこに横たわっているだけだ。
医者が入ってきて、死亡時刻や事故による損傷について説明していたが、話は全く耳に入ってこなかった。
続いて警察が事故の状況を説明する。
「赤信号を無視した車がご主人の車側面に衝突しました。詳しい状況は現在調査中です。わかり次第またお知らせする予定です。」
時間が遅かったのでその日は一度帰宅し、明日葬儀社を介して遺体の移動などを検討することになった。
静江はハンドルを握り自宅に向かっている。
これは夢なのではないか。目が覚めれば、家族みんなが元気ないつもの日常に戻るのではないか。そんな希望的観測を考えては、家に着いたらおばあちゃんに何と言おう、子供たちに何と言おう、現実に目を向け途方に暮れる。そうこうしているうちに家に着いた。
車の音を聞きつけて、家族が皆外に出てくる。大丈夫だった。軽いケガだったと、皆聞きたいのだ。
真っ先に浩太が声を出した。
「お父さん、大丈夫だった?ケガしてた?」
いつもケラケラ笑っている朗らかな息子が今にも泣き出しそうな顔だ。
「ねえ、お母さん、どうだったの?大丈夫だったんでしょう?」
すぐに返事をしない静江にしびれを切らし、真理子が尋ねる。
静江が何も言わないことで、おばあちゃんとおじいちゃんは何かを感じ取る。
静江は言葉を出そうとするが、声にならない。
うつむくとこらえきれず涙が頬を伝った。
「お父さん、死んじゃった。」
絞りだすようにそう言った。
その時の家族の顔を、静江は一生忘れることができないだろう。




