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ハズレ=無能と追放された転生領主、辺境でだけ開花する【領地創造】チートで最果ての村を立て直す  作者: 夜凪レン


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第76話:三年、待っていただけの領主 ベルナ視点

 私の朝は、父の机から始まる。


 三年経っても、まだ父の机だと思っている。天板の右端に、羽根ペンの軸で削れた窪みがある。父の癖だ。考えごとをするとき、軸の頭でそこを叩いていた。


 私は同じ場所を叩かないように気をつけている。同じ癖を持つ資格が、まだ無い気がするからだ。


 机の上には、いつも同じ三つの束が置かれる。


 領内の報告。ハーレンの市の記録。そして、王都からの書状。


 王都からの書状は、たいてい一年に二度しか来ない。春に一度、秋に一度。中身も毎年ほとんど同じだ。


 ――カルド領は寒冷被害の継続が認められる。よって本年も冷害補填を継続する。


 額は、毎年同じだ。銀貨六千枚。麦の相場でいえば、六百石ぶんにあたる。


 この領がいま穫れているのが三千石だから、二割ほどを王都に補われている勘定になる。


 それだけの紙が、この領を三年、生かしてきた。


***


 父が死んだのは三年前の冬だった。


 流行り病で、五日寝込んで、あっけなく死んだ。私は十七だった。母は私が幼いころに亡くなっている。兄弟はいない。


 葬儀の翌日から、私はこの机に座っている。


 最初の年、私は毎日畑へ出た。


 鍬を持ったことも無いのに、畝の間を歩いて、農夫に話を聞いた。何が要るのか、何が足りないのか。聞くたびに、答えは同じだった。


 ――冷えるのが早いのです。それだけで。


 それだけで、と皆が言った。だからどうにもならない、という意味の「それだけ」だった。


 二年目に、王都から書状を出した。技師を寄越してほしいと書いた。返事は半年後に来て、寒冷地の測量は費用がかさむので当面は補填で対応されたい、と書いてあった。


 三年目に、私は畑へ出るのをやめた。


 行っても、済まないと言って帰るだけだからだ。あれは慰めではなく、傷を増やす行為だと気づいた。


 私が三年でやったことは、補填の申請書に印を押すことだけだった。


 父の書類は、まだ半分も片づいていない。


 先月、書庫の奥から古い箱が出てきた。中には、父が書いた申請書の控えが二十年ぶん入っていた。


 私は一枚ずつ読んだ。


 最初の年の申請書には、細かい数字が並んでいた。作付が何枚減って、何石失われて、そのために何人が村を出たか。父の字は角ばっていて、読みやすい。


 三年目あたりから、数字が減っていく。


 十年目には、様式に沿った短い文だけになる。


 ――本年も寒冷被害の継続を確認せり。


 同じ文が、そこから十年続いていた。


 私は、その束を膝に置いたまま、しばらく動けなかった。


 父は諦めたのだと思った。


 けれど、何度か読み返して、別のことに気づいた。


 補填を受け取り続けるには、被害が続いていると毎年書かなければならない。もし途中で「回復の兆しあり」と書いたら、その年から補填は減る。


 直しかけの土地は、いちばん割に合わない。


 直りきるまでは収穫が戻らないのに、直しかけと書いた瞬間に金が止まる。


 父は、それを知っていた。知っていて、二十年、同じ一行を書き続けた。


 それは諦めなのか、判断なのか。


 私には、まだ決められない。


 箱の底に、父の手控えが一冊あった。


 申請書に添えるための下書き帳で、清書されなかった文がそのまま残っている。ある年の頁に、こう書きかけて消した跡があった。


 ――回復の見込みにつき、


 そこで消えている。その先は書かれていない。


 書かなかった年の作付は、三百枚を超えていた。いまより五十枚も多い。


 父はあの年、書こうとした。書けば補填が減ると気づいて、やめた。


 やめた次の年から、作付はまた減っている。


 私はその頁を長いこと見ていた。父を責める気にはならなかった。二十年、三百枚の麦と、確実に届く補填の荷と、どちらを取るかを毎年一人で選ばされていたのだ。


 ただ、私は思った。父は誰にも相談していない。


 この土地には、相談できる相手が一人もいなかった。それが、この領のいちばん寒いところだ。


***


 畑を見に行ったのは、五日前だ。


 村から早馬が来て、炉ノ村の下の畑に霜が降りなかったと言った。使いの言葉が要領を得なかったので、私は自分で馬を出した。


 霜野は白かった。いつもの秋の朝の色だ。


 その中に、一枚だけ黒い畑があった。


 畦を一本挟んで、白と黒が分かれていた。


 私は畦を端から端まで歩いた。三度歩いた。何度歩いても、境目は同じ場所にあった。


 湯気が、畝の上を薄く流れていた。手をかざすと、温かかった。


 その温かさが、私はしばらく理解できなかった。


 三年間、私はこの土地を「どうにもならないもの」として扱ってきた。どうにもならないものが、二十日でどうにかなっていた。


 それを、王都の技師でも、学者でもない男がやった。


 自分で無能と名乗った男が。


 私は何も言わずに帰った。


 言葉が出なかったからだ。あの場で口を開いていたら、たぶん、みっともないことを言った。


 帰り道、私は自分に腹を立てていた。


 あの男が最初に館へ来たとき、私は用件を三十秒で切った。土地を寄越せと言われたからだ。四人に裏切られた三年ぶんの警戒が、勝手に口を動かした。


 けれど、あの男は前金を要求しなかった。


 思い返せば、彼が求めたのは金ではなく、直した分の土地を預かることだった。直せなければ何も手に入らない条件を、自分から出していたことになる。


 詐欺師は、そういう条件を出さない。


 私は馬の上で、三年前の自分に言い聞かせるように考えた。人を見る目が無いのは仕方がない。十七だったのだから。


 だが、二十歳になっても同じ目のままでいる理由には、ならない。


***


 その五日のあいだに、館へ客が来た。


 ドルガ商会の会頭だった。


 彼は挨拶と、冬の荷の話を丁寧にして、それから世間話のような顔で言った。


「谷で、湯路を掘り返している方がおられるとか」


「聞いています」


「あれは古い仕掛けでございます。二十年前に王都のお役人が塞いだものを、素人が開けている。もし何かあったとき、責めを負われるのは領主さまです」


 私は答えなかった。


「お止めになるのが、賢明かと」


 彼は微笑んで、荷の日程の話に戻った。


 帰り際に、彼は思い出したように付け加えた。


「今年の冬の荷でございますが、薪を少し減らさせていただくかもしれません。山の出が悪うございまして」


「山の出が」


「はい。木こりの手が足りませぬ」


 私はその場では何も言わなかった。


 言えなかった、というほうが正しい。この領には、薪を自前で用意する仕組みがもう無い。二十年前に、そちらのほうが安いという理由で手放したものだ。


 手放したものを取り返すには、何年もかかる。彼はそれを知っていて、微笑んでいた。


 脅しではなかった。心配してみせただけだ。だからこそ、はっきりと分かった。


 あの人は、あの畑を止めたがっている。


 止めたがるということは、あれが効くということだ。


 家令が扉を叩いた。


「谷から使いが。道具が足りぬので、館の蔵にある鶴嘴と鏝を貸してほしいと」


 私は羽根ペンを置いた。


「貸すのではなく」


 声が、思ったよりも低く出た。


「持っていきなさい。蔵の道具を全部。それから、館の粟と塩を三日ぶん」


「よろしいのですか」


「よくはありません。冬の備えが減ります」


 私は立ち上がった。


「けれど、三年ぶんの備えを持ったまま、四年目も同じことを書くのは、もう嫌です」


 家令は何か言いかけて、頭を下げて出ていった。


 私は窓から谷の方角を見た。


 あの男に、まだ土地は渡さない。渡す渡さないの話をするのは、私がこの領のことを本当に分かってからでいい。


 だが、道具は貸す。


 貸したものは、返してもらう。返してもらうということは、次に会うということだ。


 私は机に戻った。


 今年の申請書の下書きが、いちばん上に載っている。様式に沿った短い一行が、父の字を真似た私の字で書いてある。


 ――本年も寒冷被害の継続を確認せり。


 私はそれを火にくべた。


 燃えるのを見ながら、代わりに何と書くのかは、まだ決めていないと気づいた。


 回復の見込みあり、と書くには早すぎる。黒い畑は一枚しかない。


 それでも、去年と同じ紙を出すのは、もうできなかった。


 私は新しい紙を広げて、一行目だけ書いた。


 ――本年、領内において、地の熱の再利用の試みあり。経過を追って報告す。


 嘘は書いていない。補填が減るかどうかは、王都が決めることだ。


 羽根ペンを置いて、私は父の窪みを見た。


 初めて、そこを軸の頭で一度だけ叩いた。

お読みいただきありがとうございます。


冷害補填という仕組みは、途中でやめると損をする作りになっています。直しかけの土地がいちばん割に合わない、というのは現実の制度でもときどき見かける形で、この話の敵の一つはそれです。顔はありませんが、顔のある人が三人ぶら下がっています。


次回、谷に王都の使いが来ます。用件は、古炉に火を入れたのは誰か、です。

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