↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハズレ=無能と追放された転生領主、辺境でだけ開花する【領地創造】チートで最果ての村を立て直す  作者: 夜凪レン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/79

第56話:二十年前の裁定書に、宰相の署名があった

 その朝、白原に霜が降りた。


 塩の白の上に、もう一つ薄い白が乗っている。手で触れると、指の熱ですぐ消えた。晩秋というより、もう冬の縁だった。


 カセルは石村に泊まった。宿は無いから、集会小屋の隅で外套を被って座っていただけだ。書記の二人が村の家に分かれて眠り、彼だけが起きていた。


 油紙は、机の上に置かれたままだった。


 夜のうちに開けることもできた。俺は開けなかった。あの男が懐に入れて持ち歩いたものだ。持ち主のいる場所で開けるべきだと思った。


 朝、俺たちは机を囲んだ。カセル、ヨナ、ミリア、そして俺。ガルドとステラとダンは、少し離れて立っていた。


「開けます」


 誰も返事をしなかった。


 紐は、ほどく前に切れた。


***


 中身は、三つ折りの一枚だった。


 紙は上等だ。黄ばみが薄い。王都の役所が本物に使う紙の質を、俺は指の腹で覚えている。右上に割印。本文は三行。末尾に一行だけ、判断が書いてある。


 ヨナが身を乗り出した。


「なんと書いてある」


 俺は読み上げた。


「東部セルヴァ盆地一帯、地脈の崩壊により回復の見込みなし。よって回復不能地に指定し、以後、王国の帳簿より除く」


「――帳簿より、除く」


 ヨナが繰り返した。


「そう書くのか。人が住んどるのに」


「住んでいる人は、書かれません。土地が消えると、そこにいた人も一緒に消えます」


 俺は言った。行政官だった頃、俺自身が扱った処理だ。


 そして、末尾の署名を見た。


 レギウス・ヴァルト。


 癖のある字だった。最後の一画が、真横に長く跳ねている。昔も、今も、同じ跳ね方をしているはずだ。俺は王都で、この署名を何度も見ている。


 自分を辺境へ送った紙の下にも、同じ字があった。


「――知っていた」


 カセルの声だった。


「その名は、私も知っている。驚くことではない。国の裁定に宰相の署名があるのは当然だ」


「はい」


「ならばこの紙は、私の側の正しさを――」


 彼はそこで止まった。


 俺が見ていたのは署名ではなく、その左にある日付だったからだ。


「監督官。昨日の綴りを、もう一度出してください」


 カセルは動かなかった。書記が代わりに鞄を開けた。


 俺は第一葉を開いて、裁定書と並べた。


 実地調査の日付。裁定書の署名の日付。


 その二つを、指で順に押さえた。


「調査は、裁定の十日あとです」


 カセルの喉が動いた。


「……なんだと」


「あなたが二十年守ってきた四・二倍という値は、この紙が書かれたときには、まだこの世に無かった」


 俺は指を離した。


「回復不能だから調べなかったんじゃない。調べる前に、回復不能と決まっていた」


 誰も何も言わなかった。ヨナが口を開けたまま、机の縁を掴んでいた。


 カセルは、二枚の紙を交互に見ていた。何度も見た。読み違いを探していたのだと思う。役人はそうする。俺もそうした。


 だが、日付は動かない。日付だけは、どうやっても動かせない。


「……順序が」


 彼の声は、小さかった。


「順序が、逆だ」


 俺は黙っていた。ここで言葉を足すのは、たぶん俺の仕事ではない。


「私は」


 カセルが言った。


「判断を、守っていたのではないのか」


 問いの形をしていたが、誰に訊いたものでもなかった。


「二十年、私は東部の秩序を預かっていた。この土地を無いままにしておくことが、正しい行政だと思っていた。厳しいが、必要な厳しさだと」


 彼は自分の手を見た。


「私は、判断のあとの土地を、番していただけだ」


 悔しがってはいなかった。怒ってもいなかった。ただ、踏んでいた床が、実は誰かが後から敷いた板だったと知った顔をしていた。


***


 監督府の早馬が着いたのは、昼過ぎだった。


 書付を一通、カセルに渡して、使いはすぐに引き返した。彼はその場で封を切り、読み、それから二度読んだ。


「更迭だ」


 顔も上げずに言った。


「東部監督官の任を解く。理由は――東部一円の管理不行き届き」


 ステラが小さく息を吸った。


「早すぎない? あんた、昨日ここに来たばっかりでしょ」


「早すぎる」


 カセルは書付を裏返して、日付を見せた。


「私がラントを出るより前の日付だ」


 誰かが息を呑んだ。


 つまり、この紙は俺たちがここで何をしようと関係なく、もう用意されていた。盆地に麦が実り、外の帳面にその記録が残った時点で、切るべき指が決まっていたということだ。


 カセルは書付を丁寧にたたんで、懐へ入れた。油紙が入っていた場所に。


「争わないんですか」


 俺は訊いた。


「争う根拠がない」


 彼は言った。


「管理は不行き届きだった。二十年、測らなかった。それは事実だ」


「その理由で切られるのは、違います」


「違うだろうな」


 カセルは薄く笑った。この男が笑うのを見たのも、初めてだった。


「だが、私が違うと言ったところで、どの帳面にも載らない」


 書記の二人が、荷をまとめ始めていた。若いほうが何度もこちらを盗み見て、そのたびに手元へ視線を戻す。彼らも来月には別の土地で、別の綴りをめくっているのだろう。


「なあ」


 ダンが小声で言った。


「あの役人、これからどうなるんだ」


「分からない。だが、東部の帳面に不備があったことにされる」


「……それ、全部あいつのせいにするってことか」


「そうだ」


 ダンは舌打ちをして、それきり黙った。彼はカセルを嫌っていた。嫌っていた相手の始末のつけ方が気に入らない、という顔をしていた。


 俺は裁定書をもう一度手に取った。


 三つ折りの折り目。右上の割印。本文三行。末尾の一行。


 俺を辺境へ送った紙も、同じ形をしていた。読み上げられただけで手元には来なかったが、あのとき役人が持っていた紙の折り目の位置を、俺はまだ覚えている。


「スキル欄、空白。国家運営に資する能力を認めず。よって当人を辺境ルーナ領へ遣わす」


 同じ様式だ。同じ字だ。同じ位置に、同じ一行がある。


 土地を消すのと、人を捨てるのとで、書式は変わらない。


(――同じ手が書いている、というだけのことだ)


 それ以上のことは、この紙からは分からない。恨みも、企みも、紙には書かれていない。書かれているのは、判断と、日付と、名前だけだ。


 俺の手元には、光の枠は開かなかった。当たり前だ。紙は領地ではない。


「アルトさま」


 ミリアが横に来た。


「手」


 言われて気づいた。裁定書の端を、指が白くなるほど強く摘んでいた。


 俺は指を開いて、紙を机に置いた。皺が一つついていた。それだけだった。


「大丈夫だ」


「はい」


 ミリアはそれ以上訊かなかった。訊かないでいてくれる相手がいるというのは、ずいぶん楽なことだった。


***


 カセルは、その日のうちに盆地を出た。


 石村の外れまで、俺たちは並んで歩いた。見送りではない。彼が「歩きながら話す」と言ったからだ。


 白原の縁で、彼は馬の手綱を取った。


「期限のことだが」


「はい」


「あれは監督府の名で出ている。私が消えても消えない。残りは三十二日だ」


「分かりました」


「後任が誰になるかは知らん。だが、二千石は二千石だ。数字は人に合わせて動かん」


 それは、この男が言える精一杯の言葉だったと思う。


 少し離れたところに、ヨナが立っていた。杖をついて、ずっとこちらを見ていた。


 カセルは、初めてそちらを向いた。


「……年貢の件は」


「もうええ」


 ヨナが言った。


「わしの帳面を、はじめて読んだのはあんただ。それだけで、二十年ぶんは足りる」


 カセルは何か言おうとして、口を開き、そして閉じた。


 役人の返す言葉は、たぶん一つも用意されていなかった。


 彼は鞍に足をかけ、それから思い出したように振り返った。


「アルト・フェーン。一つだけ言っておく」


「はい」


「お前がこれから相手にする男は、お前を憎んでいない。悪意もない。それを期待するな」


 風が白原を渡っていった。霜はもう溶けている。


「あの人は土地を見ていない。数字を見ている」

お読みいただきありがとうございます。


二十年ぶん番をしていた床が、後から誰かに敷かれた板だったと知る回でした。カセルという人は、悪人として書き始めたわけではありません。彼は与えられた紙をきちんと守れる人で、この物語ではそれが最も残酷に働きました。


次回、盆地は期限の日を迎えます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。