第43話 後日談 旅の一夜目
フェーン村を出て、最初の夜が来た。
俺たちは街道沿いの小高い丘に野営を張った。焚き火を囲むのは四人。ミリア、ガルド、ステラ、そして俺。
振り返れば、地平の彼方に村の灯りがまだ小さく見える。黄金の沃野に変えた、あの村が。
(……ちゃんと、置いてきたんだな)
「辛気くさい顔してんね、領主さま」
干し肉を齧りながら、ステラが言った。行商人の彼女は、旅には誰より慣れている。
「もう領主じゃない」
「じゃあ何て呼ぶの。元領主さま?」
「……アルトでいい」
「えー、それはそれで呼びにくいな」
ガルドが豪快に笑って、焚き火に薪をくべた。火の粉が夜空へ舞い上がる。
「呼び名なんざ、どうでもいいだろ。俺はずっと領主さまで通すぜ。今さら変えられるか」
「頑固だな、お前」
「お互いさまだろ」
***
ミリアが、温かいスープの椀を差し出した。
「アルトさま。冷めないうちに」
「ありがとう」
一口飲む。村を出る前にステラが仕入れた香草が効いていて、体の芯が緩んでいく。
ふと、ミリアが焚き火越しにこちらを見ているのに気づいた。
「どうした」
「いえ……」
彼女は少し迷ってから、小さく言った。
「村を出るとき、村長さんに言ってましたよね。“この村が守られる世界を作ります”って」
「ああ」
「私、あの言葉、好きです」
焚き火の光が、ミリアの頬を柔らかく染めている。
「だって、それって――まだ終わってない、ってことですから」
(……こいつは、本当に)
言葉ひとつの裏側を、いつも掬い上げてくる。
「終わってないさ」
俺は火の向こうの闇を見た。
「むしろ、まだ何も始まっちゃいない」
***
ガルドとステラが先に眠りについたあと、俺は一人、焚き火の番をしていた。
胸の奥で、ときどき、あの声が囁く。
(……眠れませんか)
レムナント。俺の内側に宿った、“もう一人の声”。
(少し、考えてただけだ)
レムナントは、少しの間を置いて言った。
(あの白面の使者のことを?)
俺は答えなかった。
あの戦いの日、王都軍も黒翼戦団も退かせた、白い面の存在。あれは俺の味方でも敵でもなかった。“迎えに来た”と言い、俺を連れて行こうとして――そして結局、何もせずに空へ溶けて消えた。
(迎えに来たはずのあいつが、なぜ、俺を置いて行った)
問いは、答えのないまま胸に沈んでいる。今は、それでいい。
(焦るな、と言いたいんだろ)
(いいえ)
レムナントの声は、めずらしく柔らかかった。
(あなたが、自分で問いを持てるようになった。それで十分です)
***
「……まだ起きてたのか」
毛布から顔を出したのは、ミリアだった。眠そうに目をこすりながら、俺の隣まで来て座る。
「アルトさまこそ。見張りは交代制でしょう」
「もう少しだけ、起きてたい気分なんだ」
しばらく、二人で黙って火を見ていた。
パチ、と薪が爆ぜる。遠くで夜鳥が鳴く。村の灯りは、もう見えない。
「ねえ、アルトさま」
「ん」
「これから、どこへ行くんでしょうね」
それは、村を出るときに彼女が口にした問いと、同じだった。
「……まだ分からない」
俺は正直に答えた。分からないことを、分からないと言えるようになった。それも、この村でもらったものだ。
「でも、歩いてれば、きっと見えてくる。答えのある場所が」
ミリアは少し笑って、こくりと頷いた。
「はい。一緒に、探します」
焚き火が、二人の影を地面に長く伸ばす。
俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
世界が何を企んでいるのかも、白面の使者が何者なのかも――何ひとつ、分かっていない。
それでも、足元の道だけは、確かに続いている。
(行こう)
俺は、夜明けの気配が滲み始めた東の空を、静かに見上げた。
――東の果てに、地図から消された土地がある。
そう聞いたのは、それから十二日後、ラントの宿でのことだった。
お読みいただきありがとうございます。
本編エピローグの“その夜”を、後日談として描きました。
物語の結末はそのままに、旅立った四人の最初の一夜だけを、そっと覗いた一話です。
彼らの旅がこの先どこへ向かうのかは、この続きから書いていきます。
次回から第2部「セルヴァ盆地編」。四人が最初に足を止めるのは、二十年前に王国が地図から消した土地です。
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