伸ばす手②-③
「首領、無事ですか?」
「俺のことは気にするな!」
心配して尋ねたシルヴィナに、ザンダの怒声が返された。
「もはやこうなってしまっては、ミザリィの精神同調も通じないだろう。お前たちは安全な場所まで避難するんだ」
「だったらなおさら、私の分析のオールトが役に立つはずです!」
「シルヴィナ!」
聞き分けのない我が子を一括するように、ザンダの怒声が轟いた。
「頼む。ときには傍にいないほうが安心できる場合もあるのだ」
言外に『邪魔だ』と諭されて、シルヴィナは言葉を詰まらせた。
シルヴィナにとってその疎外感は二度めだ。一度めは彼女が幼い頃、父親が蒸発したとき。あのときは家族なんかいらないと言われた気がして、世界が真っ暗になった。シルヴィナの頭の中で、父親への憎しみと、それでも慕う心と、情けなさと無力感が混ざり合ってぐちゃぐちゃになる。
「っ! シルヴィナ!」
だからザンダに呼ばれるまで、ガイキルスBが自分たちを狙っていることに気付かなかった。ガイキルスBが翼を広げ、シルヴィナ目がけて一直線に飛んでくる。
一目散に逃げなくてはいけないと理解していても、シルヴィナは恐怖で動けない。その事実がザンダの言葉を裏付けているようで、シルヴィナを絶望させる。
しかしガイキルスBがシルヴィナたちを襲うことはなかった。進路に割りこんだヴェネンニアがガイキルスBを受け止め、その前進を押さえこむ。しかし即座にガイキルスBの両腕が広がり、抱擁のようにヴェネンニアが拘束された。
「しまっ」
ゼヒナスの口から失策の狼狽が漏れた。両の腕と肩当てを押さえられ、腰の主砲も脚のエネルギークローも体勢の問題でガイキルスBには当てられない。なんとか拘束を振りほどこうとするが、もがけばもがくほどガイキルスBの両腕が深く食いこんでいく。
そうこうしている間にもガイキルスBの両腕は徐々に狭められていき、ヴェネンニアの全身から骨格の軋む鈍い音が連続する。
ガイキルスBは手を抜くつもりがなかった。完全に反撃の手を封じられたヴェネンニアに向けて、口腔を大きく開いていく。
ゼヒナスは穏やかな動作で操縦桿から手を離した。全てが手詰まりだ。ゼヒナスの視線は強化硝子に囲われた最終装置に注がれていた。
「……リーゼリアさん、聞こえているか?」
『え? え、ええ。聞こえているわ』
通信用の小型画面の向こう側、名指しされたリーゼリアは困惑の顔を浮かべていた。
「今の内に謝っておくことと、確認しておくことがある」
『そんなことはいいから早く脱出して!』
「リーゼリアさん、あんたはジョハンスから全ての技術を受け継いだんだな?」
強い口調で、念入りに確認してくるゼヒナスに、リーゼリアは『え? ええ……』と思わず頷いていた。
間近に迫ったガイキルスBの口腔からは灼熱の息吹が漏れ出し、超高熱の放射体温と合わさって、ヴェネンニアの表面が徐々に熔けていく。
「それじゃあ、あんたに頼みがある」
『頼み?』
「ああ。僕は今から最終手段を使う。そうしたらヴェネンニアも無事じゃすまない。だからリーゼリアさん、ジョハンスの代わりにあんたがヴェネンニアを直してくれ」
リーゼリアの目から涙がこぼれた。ジョハンスをよく知るゼヒナスから指名されたことは、ジョハンス本人から認められたような気がしたのだ。なによりジョハンスの仕事を引き継ぐことは、ジョハンスを間近に感じられる瞬間でもあった。
『ええ! 私があの人に代わって絶対に元通り、いいえ、元以上にしてみせます! だからゼヒナスさん、存分に無茶してください!』
「ありがとうよ。これで心置きなく、最後の手段に打って出られる!」
ゼヒナスの拳が振り下ろされて強化硝子を破壊、内部に封じられた取っ手を握る。
「再誕システム起動! パージだぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
枷を破壊して取っ手が下ろされ、操縦室に警告音が鳴り響いた。画面が黒く塗り潰され、《ReBirth SYSTEM》の表示だけが映される。
ヴェネンニアの全身が発光し、爆発するように装甲が弾け飛んだ。至近距離で直撃を受けたガイキルスBはたまったものではない。全身に装甲の破片をめりこませ、思わずヴェネンニアを手放して後退する。
「ぐあああああああっ!」
ゼヒナスの喉から獣の叫びが放たれた。巨大すぎる意思がゼヒナスの中に流れこみ、脳が押し潰されるように意識が重くなっていく。巨大な意思に呑みこまれまいと抵抗すればするほどに苦痛は増していき、鼻腔から赤い筋が流れた。
ガイキルスBは敵意に燃える視線でヴェネンニアを睨んで、しかし、そこにもはやヴェネンニアの姿はなかった。あるのは皮も肉もなくした巨大な骨格だ。直立する二足歩行の怪獣、そこに作り物の頭と腕が取りつけられて、別々の人形を繫ぎ合わせたように奇妙な姿となっていた。
その作り物の頭と腕も外れて落下し、肩甲骨ごと後ろに開いて副腕となっていた両腕が体の左右に接続される。胸部に収納されていた頭部が起き上がり、頭部を収めるため不自然に膨らんでいた肋骨も正位置に戻された。
骨格の全身には夥しい数の顔、顔、顔。眼窩と口腔と牙を有した造形が、肩や腕や脚だけでなく、肋骨の一本一本から指に至るまで、ありとあらゆる部位に形作られていた。
眼球の存在しない両目に宿るのは、オールトの鈍色の輝き。
「はぁ、はぁ……相変わらず、油断も隙もあったもんじゃねえな」
その操縦室で荒い息を吐き、ゼヒナスは画面に映るガイキルスBを睨みつけた。
「さあて、四千年振りの大暴れだ! いくぞ相棒!」
「ギィアアアアアアアアアアアアアッ!」
全身に広がる顔が口を開き、〔百面凶獣ベルカダス〕が高らかに再誕の産声を叫んだ。
ベルカダスとガイキルスBが接近し、それぞれの拳が突き出される。長い頭部にも見えるベルカダスの腕、その口腔からさらに五つの小さな頭部が伸びたようにも思える指が握られ、ガイキルスBの胸部を殴りつけた。
ガイキルスBの拳もベルカダスの腕と交差し、胸部を殴って肋骨を折る。
「ぐあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ゼヒナスの喉から苦痛の絶叫が放たれた。ゼヒナスの絶叫と比例するように、ベルカダスの折れた肋骨が急速回復。ベルカダスが自身の回復のため、ゼヒナスのオールトを強制的に吸い上げていた。
「…………それでいい。僕に構うな……」
しかして、憔悴しきったゼヒナスの口から出てきたのは納得の言葉だった。
「生半可な覚悟じゃこいつとは戦いにすらならないんだ。だったら、最初から全部出しきる覚悟でいってやるよ!」
ベルカダスが了承したように唸り声を出し、ガイキルスBと向かい合う。
ガイキルスBの胸郭が膨張し、口腔が発光。その瞬間を狙いすましてベルカダスはガイキルスBの懐に飛びこんだ。ガイキルスBは即座に溶岩流から格闘に変更。腕を振るい、前脚を繰り出す。
しかしそれすらもベルカダスには読まれていた。ベルカダスの姿が掻き消えてガイキルスBの攻撃が空を切り、ベルカダスはガイキルスBの背後に出現。
ガイキルスBの弱点は分かりきっている。それは不自然なL字に折れ曲がり、体重が一点に集中した背骨の中心だ。ベルカダスの踵落としがガイキルスBの背骨に突き刺さり、直角のL字だった体が鋭角にへし折られたように見えるほどの衝撃が襲う。
ガイキルスBが回転。体を捻り、腹を上に向ける。翻った四本の脚が背中側にいたベルカダスの頬、肩、脇腹、腿を蹴りつけ、ふっ飛ばす。
地面に叩きつけられたベルカダスは地表を二回三回と跳ね転がり、四肢を大地に突っ張って減速。骨格に入った亀裂を修復する間も惜しく、即座にガイキルスBへと走る。
ベルカダスを動かすたびに、ゼヒナスは急速に消耗していった。頬がこけ、目元は落ち窪み、唇はひび割れ、肌からは張りが失われていく。星霜を生きた老人のような出で立ちとなり、それでも眼光の鋭さは失われない。
ガイキルスBの顔が天空を向き、口腔から火成岩の鋭い槍が天空へと撃ち出された。槍は上空で反転し、一直線に下降。ゼヒナスは最初、その槍が自分たちを狙っているのだと思った。しかし違った。
槍は上昇時と同じ軌道を描いて下降、そのままガイキルスBの肩に突き刺さり、背中から抜け出る。さらに後ろ半身の背中に突き刺さり、同じように腹部から抜け出た。
信じられぬことに、ガイキルスBは自らを串刺しにして、折れた背骨の応急処置を施したのだ。それは垂直の柱に斜めの柱を組み合わせて、強度を補強する様にも思えた。
その時点でゼヒナスは正常な判断力を失っていたのだろう。ガイキルスBの異常性に呑みこまれ、さらにオールトの低下が思考を鈍らせていた。
突進してくるベルカダスへとガイキルスBの腕が伸ばされ、額を鷲摑みにした。ガイキルスBの膂力によって足が地を離れ、体が宙に浮き上がる。




