第一章 第三話 嫌な予感
嫌な予感というのは便利な言葉だ。
根拠がない。
説明もできない。
なのに当たる。
冒険者という職業を長く続けていると分かる。
人間は意外と馬鹿にできない。
頭は馬鹿でも。
本能だけは優秀なのだ。
俺は頭が馬鹿なのでよく分かる。
「カイン様」
「何だ」
「今、自分で自分を馬鹿と認めました」
「違う」
「違うんですか」
「頭脳派だ」
「そうでしたか」
フィリアは全く信じていなかった。
目が語っている。
嘘ですね、と。
ひどい。
少しは迷え。
「とりあえず調査だ!」
号令が響くと、街道上にいた人間が一斉に散った。騎士は森側へ、冒険者は街道の反対側へ回り、補給部隊は馬車を動かして道を空ける。
俺たちは森の縁に沿ってゆっくり歩き、倒木や茂みの陰まで目を配った。
問題の死体は森の入口付近に集中していた。
「三十人はいるな」
「もっといます」
「見ただけで分かるのか?」
「足りない部位があります」
「足りない部位?」
「はい」
フィリアは死体を指差すと、足元の泥を踏まないように歩みを止め、少し腰を落として覗き込んだ。
指先で触れることはしない。ただ視線だけを耳、口元、胸元へ順番に移していく。
耳がない死体、歯がない死体、足首がない死体……不気味だ。
そして何より。
「死体が新しいな」
「半日以内ですね」
昨日の夜か。
今朝か。
そんなところだろう。
レオナも、俺たちから数歩離れた場所で別の死体の前に立ち、調査していた。
片膝をつき、剣を抜くことなく傷口を確認している。周囲では騎士たちが森を警戒しているため、彼女の周りだけ不自然なほど静かだった。
真面目な顔だ。
さっきまで胸当てで怒っていた人とは思えない。
「何か分かったか?」
「いや」
レオナは眉をひそめる。
「妙だ」
「だから何が」
「傷跡だ」
死体を見下ろす。
確かにおかしい。
全て一撃。
急所のみ。
無駄がない。
「人間相手か?」
「それも相当な」
レオナの顔が険しくなる。
少し離れた場所から、甲高い声が飛び込んできた。
「すみません!」
声のした方へ振り向くと、木々の間から少年が駆けてきた。枝を避けながら走ったらしく、肩で息をしている。
そのまま俺たちの前で急停止し、靴底が湿った土を少し滑った。
若い男。
年齢は十六か十七くらい。
装備は安物だ。
初心者丸出しだ。
だが、目だけはまっすぐだった。
「これ、見てください!」
少年は何かを持っていた。
黒い布。
いや違う。
ローブの切れ端だ。
「魔族の物か?」
誰かが呟く。
空気が少し張り詰める。
少年は慌てて首を振った。
「分かりません! でも普通の布じゃないです!」
「お前、名前は?」
レオナが尋ねる。
少年は背筋を伸ばした。
「アレルです!」
元気だった。
無駄に元気だった。
「冒険者になって、二週間目です!」
「帰れ」
「え?」
「帰れ」
「えぇ!?」
当然である。
こんな場所にいるレベルではない。
俺だってそう思う。
俺はいるけど。
それは置いておく。
「大丈夫です!」
「大丈夫じゃない」
「頑張ります!」
「頑張るな」
「なぜですか!?」
元気だった。
とにかく元気だった。
若さって凄い。
俺にはない。
「カイン様」
「何だ」
「昔のカイン様みたいです」
「俺はもっと賢かった」
「そうでしたか」
また信じていない。
最近ひどくない?
俺、主人なんだけど?
だが、何かが引っかかった。
少年が前へ出るたび、俺は反射的に半歩だけ後ろへ下がった。
周囲の木々は静かだった。風が枝を揺らしているのに、葉擦れの音が異様に少ない。
ぞわり。
背筋が震えた。
寒気。
悪寒。
説明できない何か。
冒険者としての本能が叫ぶ。
逃げろ、と。
今すぐ、と。
「……?」
周囲を見回す。
森。
木々。
風。
何もない。
何もないはずだった。
だが。
気付いてしまった。
「おい」
俺は街道側へ半歩戻り、周囲を見渡した。さっきまで聞こえていた人間の声も、馬具の音も、森のざわめきに混ざって薄れている。
俺は近くの騎士を呼ぶ。
「何ですか?」
「鳥がいない」
騎士が空を見る。
そして顔色が変わった。
確かにいない。
一羽も。
鳴き声すら聞こえない。
森なのに。
あり得ないほど静かだった。
俺たちは森の縁に立っていた。目の前には木々が密集し、その奥は昼間なのに薄暗い。
なのに、枝の間から見える空は明るい。おかしいのは、音だけだった。
その静寂を破るように。
遠く。
森の奥から。
獣の遠吠えが響いた。
一匹。
二匹ではない。
何十。
いや、何百。
まるで軍隊の行進のように。
統率された咆哮だった。
そしてフィリアが呟く。
「来ます」
その声は、
今まで聞いたことがないほど硬かった。




