第三章 第六話 レオナ、らしくない
朝の鍛錬中、レオナの様子が、どうにもおかしかった。
「レオナ、隙だらけだぞ」
俺の一撃を、危うく避け損ねる。
「――ッ、す、すまん」
「珍しいな、お前がそんなミスするの」
「なんでもない。続けるぞ」
そう言う割に、視線がやたら泳いでいる。
三年間、色んな女に振り回されてきた俺だが、こういう「なんでもない」ほど、なんでもなくない時はないと、経験上知っていた。
「――カイン様、少しよろしいですか」
鍛錬を終えた後、フィリアが妙に神妙な顔で俺を呼び止めた。
「なんだ、改まって」
「レオナさんのことなんですが」
「ああ、俺も気になってた。最近、様子が変じゃないか?」
「気付いていたんですね」
「そりゃな。今朝も、俺の顔見て急に赤くなって、変な声出してたし」
「......それに気付いていて、原因に気付かないの、ある意味才能ですね」
「どういう意味だよ」
フィリアは、それ以上何も言わず、ただ深いため息をついた。
その日の午後、俺は水を汲みに、宿の裏庭へ向かった。
井戸の陰から、聞き覚えのある声が漏れ聞こえてきた。
「――というわけで、少し、相談したいことがある」
レオナの声だった。
「あら、珍しいわね、あなたが誰かに相談だなんて」
セリーナの声も、聞こえる。
俺は、なんとなく、声をかけそびれてしまった。
「ある人物のことで、悩んでいる」
「へえ」
「戦えば、誰よりも頼りになる。だが、普段は驚くほど締まりがなく、女にだらしなくて、金遣いも荒い」
「随分、はっきり言うのね」
「事実だからな」
(誰の話だ、それ)
俺は、聞き耳を立てながら、内心で首を傾げた。
「なのに、いざという時は、迷わず前に出る。自分よりずっと強い相手にも、怯まず立ち向かう」
「ふうん」
「以前、決闘の稽古をつけた時――正直、驚いた。あの目は、本気で私を倒しにきていた。手加減も、遠慮もなかった」
「あら、それは、ときめいちゃうやつね」
「な、ときめいてなどいない! ただ、剣士として、あの覚悟は素直に評価するべきだと――」
「はいはい」
「聞け!」
(誰だそいつ。俺の周りに、そんな奴いたか?)
俺は、ますます分からなくなった。
「それに、あいつは、無自覚に人を助ける。狼の群れの時も、私を庇って前に出た。庇われる側の気持ちなど、これまで考えたこともなかったのに」
「へー」
「あの時、少しだけ――胸が、変な音を立てた」
「あらあらあら」
セリーナの声が、露骨に楽しそうになった。
「なあ、セリーナ。これは、一体何の感情なんだ」
「レオナ、それ、恋よ」
「――は?」
「間違いなく、恋してるわね、あなた」
沈黙が落ちた。
しばらくして、レオナの声が、震えながら聞こえてきた。
「い、いや、待て。ありえない。あんな、だらしなくて、締まりのない、隙だらけの――」
「でも、いざという時は頼りになって、迷わず前に出て、無自覚に人を助けて、剣に本気で向き合ってくれる。さっき、あなたがそう言ったのよ」
「......くっ」
「誰のこと言ってるか、私にはもう丸わかりなんだけど」
「言うな! 絶対に、誰にも言うな!」
「本人には?」
「絶対に、駄目だ!」
叫び声が、井戸の陰から響いた。
俺は、水桶を抱えたまま、いまだに状況を理解できずにいた。
「......結局、誰の話だったんだ、あれ」
「さあ?」
いつの間にか肩に乗っていたクルルが、くすくすと笑う気配がした。
「あんた、たまに凄いよね。ここまで分かりやすいのに、気付かないなんて」
「何がだよ」
「別に」
クルルは、それ以上何も教えてくれなかった。
夕食の席で、レオナはやたらと俺を避けるように、対角線の席に座った。
「レオナ、なんで今日そんな遠いんだ」
「べ、別に、理由はない」
「変なの」
「うるさい」
いつもよりつっけんどんな態度に、俺は肩をすくめるしかなかった。
「フィリア、レオナ、機嫌悪くないか?」
「気のせいだと思います」
「そうか?」
「はい。放っておいてあげてください」
フィリアの目が、なぜか優しかった。
俺には、その優しさの意味が、まるで分かっていなかった。
夜、部屋に戻る途中、廊下でレオナと二人きりになった。
「......あの」
「ん?」
「今日の稽古、悪かったな。動きが雑だった」
「別に、いつものことだろ」
「......いつもの、か」
レオナが、なぜか少し寂しそうに笑った。
「なあ、カイン」
「なんだ」
「お前は、狼の群れの時、私を庇っただろう」
「ああ、あったな、そんなこと」
「なぜだ」
「なぜって......そこにいたから、としか言いようがないな。深い理由はない」
「......そうか」
「変なこと聞くんだな、急に」
「いや、なんでもない」
レオナは、そう言って、逃げるように自室へと戻っていった。
残された俺は、廊下で一人、首を傾げるしかなかった。
「――なんだったんだ、今日一日」
誰も、答えてくれなかった。
ただ、部屋の隅で、クルルだけが、やけに楽しそうに笑っている気配がした。




