第三章 第七話 宇宙人、少し考える
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申し訳ございません。
モンデルの街には、朝が来るのが早い。
正確には――朝が来る前から、街が動き始める。
工場の煙突から煙が上がる。
蒸気を吐き出す機関車が、低い汽笛を鳴らす。
兵士たちが規則正しく通りを歩き、商人たちはその横で店を開く。
子供たちは眠そうな顔をしながら学校へ向かい、そのさらに向こうでは、巨大な鉄の塊が何人もの男たちによって運ばれている。
いつ見ても、忙しい街だった。
その街の片隅にある、小さな食堂。
そこに、一人の青年が座っていた。
黒い髪。
細身の身体。
どこにでもいそうな、平凡な顔。
ただし――彼の前に置かれた料理だけが、どうにも普通ではなかった。
「……多すぎないか?」
青年――ユウヒは、目の前に並んだ料理を眺めていた。
焼いた肉。
豆の煮込み。
パン。
スープ。
卵料理。
さらに、よく分からない揚げ物。
そして最後に、巨大なプリン。
「……俺、一人なんだけどな」
「兄ちゃん、若いんだから食えるだろ!」
厨房から店主の声が飛んでくる。
「いや、食えるかどうかじゃなくて……」
ユウヒは小さく息を吐いた。
「どうしてこうなった」
「サービスだよ!」
「サービスって量じゃないだろ」
「うちの店は、若い奴にはいっぱい食わせる主義なんだ!」
「そうか」
ユウヒは諦めた。
こういう時、無理に断る方が面倒だ。
彼はフォークを手に取り、肉を一切れ口へ運ぶ。
もぐもぐ。
「……うまい」
思わず呟いた。
「だろ!」
厨房から嬉しそうな声が返ってくる。
ユウヒは少しだけ笑った。
そしてまた肉を食べる。
一切れ。
もう一切れ。
スープを飲む。
パンを食べる。
卵を食べる。
気付けば、皿の半分以上が空になっていた。
「……意外と食えるな、俺」
誰に聞かせるでもなく呟く。
それから、ふと窓の外を見る。
兵士たちが歩いている。
二列。
三列。
一定の歩幅。
一定の間隔。
誰一人、列から外れない。
「軍事国家、か」
ユウヒは呟いた。
この街は好きだった。
少なくとも、嫌いではない。
鉄臭い。
うるさい。
煙たい。
魔法よりも機械を信じている。
何をするにも規則があり、何を買うにも身分証を求められる。
面倒なことこの上ない。
それでも――人間が生きている。
笑っている。
喧嘩している。
腹を空かせている。
恋をしている。
そんな光景が、妙に新鮮だった。
「……変だな」
ユウヒはスプーンを置いた。
本来なら、そんなことを考える必要はない。
自分が何者なのか。
何をしに来たのか。
何をするべきなのか。
全部、最初から決まっている。
少なくとも――そう教えられてきた。
「侵略」
その言葉を、頭の中で転がす。
自分たちは、この世界を奪うために来た。
それが目的。
それが使命。
それが、自分たちに与えられた役割。
簡単な話だった。
この星に住む生物を調べる。
戦力を把握する。
弱点を探す。
必要なら排除する。
そして――最終的には、この世界を自分たちのものにする。
それだけ。
何も難しくない。
なのに。
「……なんでだろうな」
ユウヒは、窓の外を眺めながら呟いた。
最近、その言葉を思い浮かべると、少しだけ胸が重くなる。
理由は分からない。
分からないからこそ、気持ちが悪い。
彼は窓から視線を外し、残ったプリンを見る。
「……これは関係ないな」
スプーンを取る。
一口食べる。
「うまい」
二口目。
「……うまいな」
三口目。
「これ、持って帰れないかな」
そこで初めて、自分が何を考えているのかに気付く。
ユウヒは、しばらく黙った。
「……持って帰る?」
誰に。
どこへ。
そもそも――帰る場所とは、どこだ。
その問いが浮かんだ瞬間だった。
「……くだらない」
ユウヒは、頭を振った。
考えるのをやめる。
そういうことは、考えない方がいい。
考えれば考えるほど、面倒になる。
面倒なことは嫌いだった。
争いも。
戦争も。
命令も。
責任も。
全部、嫌いだ。
だからこそ。
あの男が気になった。
「……カイン、か」
昨日、街中で見かけた男。
蒸気馬車が暴走した時。
普通の人間なら、逃げる。
当然だ。
あれだけの重量がある鉄の塊が突っ込んでくれば、避ける以外に方法はない。
なのに。
あの男は違った。
ユウヒが車体を止めた瞬間。
群衆は歓声を上げた。
誰もがユウヒを見ていた。
ただ一人を除いて。
カインだけが――ユウヒではなく、その「後ろ」を見ていた。
正確には。
ユウヒの魂を見ようとしていた。
そんな人間は、初めてだった。
「普通じゃない」
ユウヒは、そう思った。
ただし、それは強いという意味ではない。
強さだけなら、もっと面倒な奴はいくらでもいる。
そうではない。
あの男は――世界に馴染んでいない。
まるで。
「こっち側じゃない」
自分と同じように。
ユウヒは、残ったプリンを一口で食べた。
「……やっぱり、気になるな」
その時。
店の外から声がした。
「おーい! 兄ちゃん!」
「ん?」
振り返ると、店の前に小さな男の子が立っていた。
十歳くらいだろうか。
手には、壊れた玩具の車を持っている。
「これ、直せる?」
「俺に?」
「昨日、鉄の車を止めた人だろ?」
「ああ……まあ」
「じゃあ、これも直せる!」
「理屈がおかしいな」
ユウヒは苦笑した。
玩具を受け取る。
車輪が一つ外れている。
軸も少し曲がっている。
「……これなら簡単だ」
「ほんと!?」
「ああ」
ユウヒは指先で軸を押さえ、軽く力を加えた。
ぐに。
元の形に戻る。
車輪を取り付ける。
「ほら」
「すげえ!」
男の子が目を輝かせる。
「ありがとう!」
「別に」
男の子は何度も頭を下げると、嬉しそうに走っていった。
ユウヒは、その背中を眺めていた。
そして。
「……侵略、ねえ」
また、その言葉が頭に浮かんだ。
この子供を。
この店を。
この街を。
この国を。
この世界を。
全部。
奪う。
「……」
ユウヒは黙り込んだ。
胸の奥に、妙な違和感が残っている。
痛いわけではない。
苦しいわけでもない。
ただ――嫌だった。
何が嫌なのかも分からない。
だから、余計に嫌だった。
「……まあ、いいか」
ユウヒは立ち上がった。
代金を置く。
店主が目を丸くする。
「兄ちゃん、もう帰るのか?」
「ああ」
「また来いよ!」
「気が向いたら」
「絶対来いよ!」
「分かった分かった」
店を出る。
外は、相変わらず騒がしい。
蒸気。
鉄。
油。
人の声。
その全部が混ざり合っている。
ユウヒは、しばらく歩いた。
目的地はない。
ただ歩く。
大通りを抜ける。
工場地帯を抜ける。
やがて、街の外れまで来た。
そこには小高い丘があった。
ユウヒは丘の上に腰を下ろす。
モンデルの街が、下に広がっている。
煙突から伸びる煙。
小さく見える人々。
走り回る機械。
その向こうには、青い空。
「……綺麗だな」
思わず、そう呟いた。
すぐに、自分で笑ってしまう。
「俺、何してんだ」
世界侵略に来た宇宙人が。
異世界の街を眺めながら。
「綺麗だな」なんて。
「……笑える」
ユウヒは仰向けに寝転がった。
空を見る。
青い。
どこまでも青い。
自分がいた場所の空も、同じ色だっただろうか。
「……覚えてないな」
故郷。
仲間。
自分がここへ来るまでのこと。
もちろん、覚えている。
覚えているはずなのに。
なぜか、今は思い出したくなかった。
代わりに。
昨日の男を思い出す。
「カイン」
あの男の目。
あの男の魂。
あの男が持っている、妙な匂い。
自分と同じ。
いや。
正確には――もっとおかしい。
「俺より、よっぽど変だろ」
ユウヒは笑った。
そして。
「……面白い」
その言葉を口にした瞬間。
自分でも驚くほど、気持ちが軽くなった。
そうだ。
それでいい。
侵略とか。
使命とか。
そういう面倒なことは、とりあえず置いておけばいい。
面白いものがあるなら、見に行けばいい。
自分は、そういう性格だった。
「もう少し、見てみるか」
丘の上から街を眺める。
その視線の先。
遠くの宿屋から、一人の青年が出てきた。
黒髪。
だらしない歩き方。
隣には、小さな灰色の髪の少女。
少女は何かを喋っているらしい。
だが――青年以外の人間は、誰も少女を見ていない。
「……あれか」
ユウヒは目を細めた。
クルル。
そして。
カイン。
二人とも、世界の中にいるようで。
どこか世界の外にいる。
「なるほど」
ユウヒは立ち上がった。
追いかけるつもりはない。
今はまだ。
ただ、覚えておく。
あの男が何者なのか。
あの少女が何者なのか。
そして。
自分自身が何者なのか。
それも含めて。
「……そのうち、聞けばいいか」
ユウヒは丘を下り始めた。
その足取りは、軽かった。
だが。
街へ戻る途中。
ふと。
足が止まった。
「……あれ?」
何かが聞こえた。
風の音ではない。
蒸気機関の音でもない。
人間の声でもない。
もっと遠く。
もっと深い場所から。
誰かが。
自分を呼んだような気がした。
『――ユウヒ』
「……」
振り返る。
誰もいない。
「……気のせいか」
そう呟いて、歩き出す。
もう一度。
『――ユウヒ』
今度は、はっきり聞こえた。
ユウヒは立ち止まった。
空を見る。
何もない。
街を見る。
何も変わらない。
それでも。
確かに。
誰かが呼んでいる。
「……誰だ?」
返事はない。
しばらく待つ。
やがて。
ユウヒは、小さく笑った。
「まあ、いいか」
それ以上は追わなかった。
ただ。
この街に来てから初めて。
ユウヒは、自分から歩く方向を決めた。
カインたちがいる宿とは、反対側。
街の外。
さらにその先へ。
「ちょっと出てくるか」
誰に言うでもなく。
そう呟いて。
青年は歩き出した。
その背中を。
遠くから見つめるものがあった。
人間には見えない。
クルルにも。
カインにも。
まだ見えない。
ただ一つだけ。
世界のどこかで。
何かが、静かに目を覚ました。
そして。
それはまだ。
誰にも知られていなかった。
――ユウヒが、この世界へ来た本当の理由も。
彼自身が、それを忘れていることも。
そして。
彼を呼んだ「声」が。
誰のものなのかも。
まだ。
誰も知らない。




