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第三章 第五話 フィリア、迷子になる

「――では、私は市場で夕食の買い出しをしてきます」


 朝食の席で、フィリアがそう申し出た。


「一人で大丈夫か? この街、道が入り組んでるって聞くけど」


「大丈夫です。地図も見ましたし、迷うわけがありません」


 フィリアは、いつになく自信満々だった。


 それが、そもそもの間違いだった。


 夕方になっても、フィリアは戻ってこなかった。


「......遅いな」


「そうですね」


 リリシアも、心配そうに窓の外を見る。


「フィリア様に限って、まさか」


「いや、正直、嫌な予感しかしない」


 俺は、静かに立ち上がった。


 三年間、フィリアと一緒に旅をしてきて、一つだけ、彼女に関する重大な事実を知っていた。


 フィリア・アルトレイン。


 家事万能、回復魔法特化、真面目で有能。


 だが――致命的な方向音痴だった。


「捜索するぞ」


「フィリア様が方向音痴、というのは、本当なのですか」


 エレナが、半信半疑な顔で聞いてくる。


「本当だ。前に、隣町まで一本道だったのに、なぜか逆方向の森に辿り着いたことがある」


「それは、もう才能ですね」


 セリーナが、扇子で口元を隠しながら、感心したように呟いた。


 こうして、俺たちは手分けをして、街中の捜索に乗り出した。


「フィリア様ー!」


「フィリアさーん!」


 名前を呼びながら歩くこと、小一時間。


 最初にフィリアを発見したのは、意外にも――クルルだった。


「見つけたよ」


「本当か! どこだ!」


「軍需工場の裏、資材置き場」


 俺は急いで、教えられた場所へと向かった。


 そこは、市場から見て、明らかに逆方向――工業地区の外れだった。


「フィリア!」


「......カイン様?」


 資材の山に埋もれるように座り込んでいたフィリアが、力なく顔を上げた。


「な、なんでこんなところに」


「......それが、私にも分からないんです」


 フィリアの声は、珍しく弱々しかった。


「市場に向かって、真っ直ぐ歩いていたはずなんです。真っ直ぐ、歩いていたはずなのに」


「真っ直ぐ歩いて、なんで工業地区に着くんだよ」


「分かりません......本当に、分かりません......」


 フィリアが、両手で顔を覆う。


「途中で、道を尋ねたら、余計に迷って。もう一度尋ねたら、もっと迷って。最終的に、なぜか工場の警備の人に、不審者として声をかけられました」


「不審者て」


「潔白は証明できましたが、道は、結局分からないままでした」


 どうやら、三時間近く、この街を彷徨っていたらしい。


「よし、帰るぞ」


「......はい」


 俺が手を差し出すと、フィリアは、素直にその手を取った。


 いつもの、しっかり者の彼女らしくない、しおらしい態度だった。


「情けないところを、見せてしまいました」


「別に、いいだろ、それくらい」


「よくありません。いつも、あなたの世話を焼いている身として、これでは示しがつきません」


「誰も、フィリアに完璧を求めてないと思うぞ」


 俺の言葉に、フィリアが、驚いたように顔を上げた。


「......そうでしょうか」


「そうだよ。むしろ、こうやってたまに情けないところ見せてくれた方が、俺は安心する」


「安心、ですか」


「フィリアが完璧すぎると、こっちが惨めになるからな」


「それは、私のためではなく、あなたのための発言では」


「バレたか」


 フィリアが、小さく吹き出した。


 久しぶりに見る、彼女らしい表情だった。


 宿に戻ると、心配していた面々が、一斉に駆け寄ってきた。


「フィリア様、ご無事ですか!」


「良かった......本当に良かった」


「無事に見つかって何よりよ」


 エレナ、リリシア、セリーナ、レオナ。


 それぞれが、口々に安堵の言葉をかける。


「ご心配をおかけしました」


 フィリアが、深々と頭を下げる。


「今後は、一人での外出は控えます」


「いや、控えなくていいから、地図をちゃんと見てくれ」


「地図は、見ていたつもりだったんです」


「つもりが一番怖いんだよ、お前の場合」


 結局その夜、夕食の買い出しは、セリーナが代わりに済ませてくれることになった。


 食卓を囲みながら、レオナがふと、真剣な顔で切り出した。


「......フィリア。今度から、迷った時のために、これを持て」


 差し出されたのは、小さな笛だった。


「緊急用の呼び笛だ。吹けば、それなりに遠くまで音が届く」


「レオナさん......」


「私も、若い頃、演習で似たようなことがあってな。人のことは言えん」


「レオナさんも、迷子に?」


「......森の中でだけだ、いいか、森限定だ」


 レオナが、珍しく気まずそうに視線を逸らした。


「な、なんだよ、お前も方向音痴だったのかよ」


「森限定だと言っている!」


 賑やかな笑い声が、食卓を包んだ。


 こうして、フィリアの迷子事件は、笛一つと、小さな笑い話を残して、幕を閉じたのだった。


 ――ちなみに、その二日後。


「......あの、ここ、どこでしょうか」


 フィリアは、笛を吹くことすら忘れて、再び迷子になっていたのだが。


 それはまた、別の話である。



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