第三章 第三話 クルルと、街の幽霊騒動
「――なあ、暇だ」
朝食を終えたところで、クルルが俺の肩の上に寝そべりながら、気だるげに呟いた。
「知らんがな」
「ねえ、遊ぼうよ」
「お前、幽霊のくせに元気だな」
「幽霊じゃないってば」
誰にも見えない、誰にも聞こえない少女と、一人ぶつぶつ喋る男。
傍から見れば、相当な不審者だった。
「カイン様、また独り言ですか」
フィリアの、生温かい視線が痛い。
「独り言じゃない。会話だ、これは」
「はいはい」
完全に病人を見る目だった。
その日、俺たちは特に予定もなく、モンデルの街を見て回ることになっていた。
当面の生活基盤も整い、ようやく落ち着いて観光ができる。
「退屈なら、大人しくしててくれ。頼むから」
「んー、考えとく」
クルルの返事は、明らかに聞く気のないものだった。
嫌な予感がした。
その予感は、昼過ぎに的中した。
「――た、大変だ! 中央広場の噴水が、勝手に噴き上がってる!」
「し、しかも、水の形が、人の顔みたいに......!」
街の中心部が、にわかに騒然としていた。
「な、なんだ、あれ」
俺たちが駆けつけると、噴水から吹き上がる水柱が、確かに、不気味な人の顔を象っていた。
ぐにゃぐにゃと歪みながら、笑っているようにも見える。
「ひぃぃ、呪いだ! 呪われた噴水だ!」
「衛兵! 衛兵を呼べ!」
群衆が、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
「......クルル」
俺は、肩の上の気配に、低い声で問いかけた。
「お前だろ」
「へへ、バレた?」
悪びれる様子もなく、けらけらと笑う声が返ってきた。
「水の形を変えるくらい、朝飯前だからね」
「やめろ、街がパニックになってるだろうが」
「面白いからいいじゃん」
「よくない!」
俺は慌てて水柱に近づき、噴水の縁を軽く叩いた。
「大丈夫だ、みんな! これはただの――」
「魔導装置の誤作動だ! すぐに直す!」
咄嗟に、それらしい嘘をついた。
群衆が、僅かに落ち着きを取り戻す。
「クルル、今すぐ元に戻せ」
「はーい」
水柱が、不満げにゆっくりと収まっていった。
だが、それだけでは終わらなかった。
その後も、街のあちこちで、奇妙な現象が続発した。
誰もいないはずの路地から、笑い声が響く。
閉まっているはずの店の扉が、独りでに開閉する。
夜には、宿の廊下を、誰の足音とも知れぬ音が、行ったり来たりする。
「し、幽霊が出るらしい......」
「モンデルに幽霊なんて、聞いたことがなかったのに......」
街の空気は、日に日に不穏になっていった。
「クルル」
俺は、宿の自室で、暗がりに向かって静かに呼びかけた。
「なに?」
「これも、お前か」
「......ばれたか」
「全部だろ、これ」
「うん」
悪びれる様子は、相変わらずなかった。
「悪気はないんだよ? ただ、この街、退屈そうにしてる人が多いなって。ちょっと驚かせて、賑やかにしてあげようと思っただけ」
「ありがた迷惑にもほどがあるだろ」
「そう? 結構、みんな楽しそうだったよ。噂話に花を咲かせてたし」
「怖がって花を咲かせてたんだよ!」
俺は、頭を抱えた。
放っておけば、この街はいずれ本格的なパニックになる。
「なあ、クルル。頼むから、もうやめてくれ」
「......やだ」
「は?」
「だって、私、人と関われるの、久しぶりなんだもん」
クルルの声が、僅かに沈んだ。
「何百年も、誰にも見えなくて、誰にも聞こえなくて。ずっと一人だった。だから――ちょっとくらい、はしゃいでもいいでしょ」
その声には、隠しきれない寂しさが滲んでいた。
俺は、少し黙ってから、口を開いた。
「......分かった。はしゃぐのはいい」
「ほんと!?」
「ただし、俺と一緒にな」
「......え?」
「一人でこそこそやるから、街の奴らが怖がるんだ。堂々と俺と一緒に遊べばいいだろ」
俺は、にやりと笑ってみせた。
「今夜、街の広場で花火でもやるか。魔導具屋で、それっぽいのが売ってたんだよ」
「花火......」
「お前が起こす不思議な現象も、花火の演出ってことにすれば、誰も怖がらない。ただの、賑やかな夜になる」
クルルは、しばらく沈黙していた。
「......いいの? 私と、一緒に」
「駄目な理由があるか?」
「......ない」
声が、少しだけ震えていた気がした。
その夜、俺たちは広場で、有り金をはたいて買った花火を打ち上げた。
クルルの力で、花火の光は、いつもより何倍も鮮やかに、複雑な形を描いた。
「わあああ......!」
「綺麗......!」
街の人々が、集まってきては、歓声を上げる。
「なあ、見えてるか、クルル」
「見えてるよ」
誰にも見えない少女が、俺の隣で、花開く光を見上げていた。
「......ありがとう、カイン」
小さな、小さな呟きだった。
「別に。礼を言われるようなことじゃない」
「フィリア、あなたのご主人様、たまにいいことするよね」
「たまに、ですか」
フィリアが、隣で苦笑する。
その表情から、俺は察した。
フィリアにも、今のクルルの声が、少しだけ届いたのかもしれない。
翌日から、街の幽霊騒動はぴたりと止んだ。
代わりに、「昨夜の花火は良かった」という噂が、しばらく街を賑わせることになった。
誰も、あの花火が、幽霊の正体だったとは、気付かないままに。




