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第三章 第二話 幽霊少女と、規格外の男

 翌朝。


「――カイン様、髪、ボサボサですよ」


「よく眠れなかったんだよ」


「らしくないですね。呑気なあなたが」


 フィリアの指摘に、俺は誤魔化すように頭を掻いた。


 昨夜のことを話すべきか、少し迷った。


 だが、疲れているだけだと言われて終わりそうな気がして、結局、口を噤んだ。


 その日は、当面の生活基盤を整えるため、朝から宿の周辺を回ることになった。


「まずは、両替と、当面の食料の確保からね」


 セリーナの号令で、俺たちは手分けをして街に繰り出した。


 俺とフィリアは、市場へ向かうことになった。


「これ、いくらだ」


 露店の主人に、干し肉を指差して聞く。


「銅貨五枚だよ、兄さん」


「――高くないか、それ」


 背後から、聞き覚えのない、幼い声がした。


「え?」


 振り返るが、誰もいない。


「どうしました?」


 フィリアが、不思議そうにこちらを見る。


「......いや。今、声が」


「聞こえませんでしたが」


「......そうか」


 気のせいか、と自分に言い聞かせ、俺は干し肉の代金を払った。


 だが、それから、妙なことが続いた。


「ねえねえ、あんたのその剣、変な匂いがするね」


 武具屋の店先で、また声がした。


 今度は、はっきりと聞こえた。


 幼い、悪戯っぽい声。


 だが、周囲を見回しても、それらしき人影はない。


「......誰だよ」


「私? 私はここだよ」


 声は、すぐ耳元でした。


「うわっ!?」


 俺は、思わず飛び退いた。


「カイン様!? 急にどうしたんですか」


 フィリアが、驚いてこちらを見る。


「い、今、声が、すぐ側で......」


「また、ですか」


 フィリアの目が、少しだけ心配そうに細まった。


「......お疲れなのでは。ここのところ、色々ありすぎましたから」


「いや、俺は正気だ! 絶対に聞こえたんだって!」


「はいはい」


 完全に、あしらわれていた。


 その日一日、俺には何度も声が聞こえた。


 だが、誰に話しても、信じてもらえなかった。


 レオナには「気疲れだろう、休め」と言われ、セリーナには「面白い冗談ね」と笑われ、エレナには「お大事に......」と本気で心配された。


 唯一、リリシアだけが、少し違う反応を見せた。


「......声、ですか」


 夕食の席で、リリシアが、考え込むように呟いた。


「イーティアの古い伝承に、こういうものがあります。『この世の理から外れた者の声は、特別な魂にしか届かない』と」


「この世の理から外れた者って、つまり......幽霊とか、そういうことか?」


「可能性としては、否定できません」


「おい、笑い話にしてくれよ、その反応」


 だが、心当たりが、なくもなかった。


 あの決闘領域も、光る剣も、この世の理から外れているという意味では、似たようなものだ。


 その夜。


 俺は、眠るのをやめ、寝台の上で、暗がりに向かって話しかけてみることにした。


「......なあ。もし、そこにいるなら、返事してくれ」


 しばらく、沈黙が続いた。


 諦めかけた、その時。


「――やっと、気付いた?」


 声と共に、部屋の隅の暗がりが、ぼんやりと淡く発光した。


 光の中から、ゆっくりと姿を現したのは――幼い少女だった。


 銀とも灰色ともつかない、不思議な色の髪。


 服も、髪も、体の輪郭さえも、どこか透けていて、向こう側の壁がうっすらと見えている。


「......幽霊か、お前」


「幽霊、ねえ。惜しいけど、少し違うかな」


 少女は、くすくすと笑った。


「私はクルル。世界の全部を知りたくて、その通りになった女の子。でも、代わりに、体も、みんなに見てもらう権利も、失っちゃった」


「......何言ってるか、半分も分からないんだけど」


「今は分からなくていいよ」


 クルルが、俺の顔を、じっと覗き込んだ。


「神様。天使。宇宙人。あとは――あんたみたいな、規格外」


「規格外?」


「あんたの魂、変な匂いがする。普通の人間の匂いじゃない」


 武具屋の店先で聞いた台詞と、同じだった。


「......それ、さっきも言ってたな」


「だって、本当に変なんだもん」


 クルルが、興味津々といった様子で、俺の周りをふわふわと漂う。


「あんた、何者? いや、多分、本人も分かってないんだろうけど」


 図星だった。何も言い返せない。


「まあ、いいや」


 クルルが、にんまりと笑った。


「しばらく、あんたについていくことにする。理由は――面白そうだから。それと私と会話できる人なんてめったにいないんだよ」


「勝手に決めるなよ」


「聞こえなーい」


 どこかで聞いたやり取りだった。俺がいつもフィリアに言われている台詞そのままだ。


「......お前、ちなみに、他の奴には見えないのか?」


「基本的にはね。普通の人間には、私の声も、姿も、届かない。あんたが聞こえてるのが、そもそも異常なんだよ」


「なるほど、それで俺だけ変人扱いされたわけか」


「面白い顔してたよ、あんた。市場のおばちゃんに二度見されてた」


「見てたのかよ」


「ずっと見てたよ。退屈しなかった」


 こうして、俺の傍らに、誰にも見えない同居人が一人、増えることになった。


 翌朝、俺はさっそく、この件をフィリアに報告した。


「......幽霊、ですか」


「正確には違うらしいけど、まあ、そんな感じの奴だ」


 フィリアは、しばらく無言で俺の顔を見つめた後、深いため息をついた。


「カイン様。それ、普通に聞くと、頭がおかしくなったと思われる話ですよ」


「俺も聞かれた時、そう思った」


「見て、フィリア。この人、本当に楽しい」


 クルルの声が、俺の耳元でくすくすと笑う。


「......ちなみに、今、何か言ったか?」


「いや、何も」


 フィリアには、聞こえていないらしい。


 証明のしようがないのが、なんとも歯痒かった。


 その日の昼、街の中心部で、ちょっとした騒ぎが起きた。


「どけどけどけぇぇぇ!!」


 暴走した蒸気馬車が、大通りを突っ切ってきたのだ。


 御者は振り落とされ、手綱を失った鉄の車体が、そのまま人混みへ向かって突っ込んでいく。


「危ないっ!」


 俺が動くより早く。


 一人の男が、暴走する車体の前に、涼しい顔で立ち塞がった。


 がつん、という鈍い音がした。


 鉄の車体が、まるで壁にぶつかったかのように、その場でぴたりと止まった。


 男は、片手で車体の先端を受け止めたまま、微動だにしていない。


「......おいおい、そう急ぐなよ」


 気だるげな声で、男が呟いた。


 黒い髪。人懐っこそうな、だがどこか常識の外にあるような笑み。


 見た目は、どこにでもいそうな青年だった。


 だが、その力は、明らかに常識の外にあった。


 群衆が、どよめきながら拍手を送る。


 男は、面倒臭そうにその拍手を手で払いながら、車体を路肩へ軽々と押しのけた。


 その視線が、ふと――俺の方へ向いた。


「......へえ」


 男の目が、僅かに細まる。


「お前、ちょっと変わってるな」


「......は?」


「魂の色が、こっち側のもんじゃない」


 男が、にやりと笑った。


「面白そうだ。今度、ゆっくり話そうぜ」


 それだけ言うと、男は、あっさりと人混みの中へ消えていった。


「......今の、誰だ」


 俺は、呆然と呟いた。


「さあ......。ですが、只者ではありませんね」


 フィリアも、珍しく声を硬くしている。


「ちょっと、あれ」


 俺の肩の上、誰にも見えない場所で、クルルが身を乗り出した。


「知ってるの、あいつ」


「知ってるも何も......」


 クルルの声が、心なしか、弾んでいた。


「この世界のルールの外にいる奴だよ。神様でも、天使でもない。もっと別の場所から来た、宇宙人ってやつ」


「宇宙人......?」


 俺は、思わず聞き返した。


「そんなのが、実在するのか」


「するよ。あんたみたいな規格外が実在するのと、多分、同じくらいにはね」


 クルルが、くすりと笑う気配がした。


「名前は、確か――ユウヒ、だったかな」


 その名前を、俺はまだ知らなかった。


 だが、いずれ嫌というほど、聞くことになる名前だった。


 こうして、モンデルでの日々は、規格外な同居人と、規格外な男との出会いと共に、静かに幕を開けたのだった。


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