第三章 第一話 軍事国家モンデル、到着
燃える王都を、俺たちは何度も振り返った。
振り返るたびに、火の手はまだ空を焦がしていた。
誰も、口を開かなかった。
開けば、何かが崩れてしまいそうな気がしたからだ。
地下水路を抜け、森を抜け、街道に出る頃には、夜はとっくに明けていた。
「――モンデルまでは、馬を飛ばして七日の距離ね」
セリーナが、皺だらけの地図を広げながら言う。
「路銀は、大丈夫なのか」
「褒賞金の残りと、私の貯えでどうにかなるわ。今は、それより急ぎましょう」
幸い、国境の湯治場で世話になった顔馴染みの馬商人が、事情も聞かずに馬を五頭、都合してくれた。
「持つべきものは、温泉で仲良くなった商人だな」
「呑気なこと言ってる場合ですか」
フィリアの声に、いつもの鋭さはなかった。
ただ、疲れているだけだった。
俺たちは、馬に跨り、来た道を急いだ。
道中、誰も多くを語らなかった。
いや、正確には――語れなかった。
レオナは、常に殿を務め、寡黙に周囲を警戒し続けた。
元副団長としての癖なのか、休憩のたびに地形を確認し、退路を頭に入れているのが分かった。
セリーナは、馬上でも器用に帳面を広げ、残りの路銀と食料を計算し続けている。
誰も彼女に頼んでいないのに、いつの間にか、旅全体の段取りは彼女が仕切るようになっていた。
エレナは、気丈に振る舞っていた。
昼間は。
だが、夜になり、火を囲む時間になると、決まって少しだけ離れた場所で、膝を抱えて座るようになった。
「――エレナ様」
三日目の夜、フィリアがそっと隣に腰を下ろすのを、俺は少し離れた場所から見ていた。
「......ごめんなさい。情けないところを」
「情けなくなんて、ありません」
フィリアの声は、静かだった。
「国が一つ、燃えるのを見たんです。平気な顔をしている方が、おかしいですよ」
「......でも、リリシアさんの方が、もっと辛いはずです。私なんかが」
「辛さは、比べるものじゃありません」
フィリアが、エレナの背に、そっと手を置いた。
「今は、比べずに、隣にいればいいと思います」
エレナが、声を殺して泣いたのは、それからしばらくしてのことだった。
俺は、その光景から目を逸らし、代わりに焚き火の向こうへ視線を移した。
リリシアは、一人、少し離れた岩に腰掛け、じっと星を見上げていた。
「......カイン様」
隣に座ると、リリシアが小さく呟いた。
「私、まだ実感がないんです。城が、燃えて、皆が、逃げ惑って......それなのに、今こうして、星が綺麗だなんて思ってしまう自分が、少し怖いです」
「それでいいんだよ」
俺は、なるべく軽い調子で言った。
「星を綺麗だと思う心まで、あいつらに奪われてやる必要はない」
「......カイン様は、変な慰め方をしますね」
「よく言われる」
リリシアが、微かに――本当に微かにだが、笑った。
その日の夜、俺は柄にもなく、言葉を選ぶことについて考えていた。
格好いい台詞なんて、俺には似合わない。
それでも、隣にいることくらいは、できるはずだった。
そうして七日が過ぎた。
「――見えたぞ」
先頭を歩くレオナが、足を止めた。
遠く、地平線の向こうに、灰色の城壁が見えていた。
イーティアの、水晶と光に彩られた街並みとは、まるで違う。
無骨で、分厚く、威圧的な壁だった。
壁の上には、等間隔に見張り台が並び、その一つ一つに、砲門らしき黒い筒が突き出している。
「あれが......軍事国家モンデル」
エレナが、呆然と呟いた。
「話には聞いていましたが......想像以上ですね」
近付くにつれ、独特の匂いが鼻を突いた。
鉄と、油と、微かな火薬の匂い。
イーティアの、花と魔力の香りとは、対極にある匂いだった。
城門の前には、長い列ができていた。
武装した衛兵が、一人一人の荷物と身分証を、恐ろしく厳格に検めている。
「サザンクロス王都ギルド、ギルド長セリーナ・グランツよ。これが証明書」
セリーナが、慣れた様子で書類を差し出す。
衛兵は、それを長々と睨みつけた後、隣にいる俺たちを、一人ずつ舐めるように見た。
「......目的は」
「観光と、しばらくの滞在。それと――安全の確保、ね」
セリーナが、いつもの営業スマイルを浮かべる。
衛兵は、それ以上何も聞かず、無言で通行証らしき金属片を五枚、六枚――俺たちの人数分、差し出してきた。
「規則だ。滞在中は常に携帯しろ。紛失すれば、拘束の対象になる」
「......物騒だな、おい」
俺の呟きに、レオナが小さく頷いた。
「いや、これは健全だ。国境の警戒が、これだけしっかりしているということだからな」
「さすが元騎士、見方が違うな」
門をくぐると、光景は一変した。
石畳の道を、蒸気を吐き出す鉄の車が行き交っている。
馬車ではない。馬もいない。
見たこともない機関が、車輪を独りでに回している。
「な、なんだあれ......!?」
「魔導ではなく、蒸気機関で動く車、でしょうか」
フィリアが、興味深そうに目を細める。
「イーティアが魔法の国なら、モンデルは技術の国、ということですね」
大通りの両脇には、鉄骨で組まれた無骨な建物が並び、その間を、揃いの制服を着た兵士たちが、規則正しい隊列で行進していく。
子供たちでさえ、玩具の兵隊を手に、真剣な顔で戦争ごっこに興じていた。
陽気な喧騒のイーティアとは、まるで空気が違う。
整然として、張り詰めていて――どこか、息苦しい街だった。
「......温泉は」
「まだ探してもいないのに、よくそんな質問が出てきますね」
フィリアの呆れた声にも、もはや慣れたものだった。
「文句を言うな。心の平穏のためだ」
「この街に、温泉なんてあるんでしょうか」
セリーナが、扇子で口元を隠しながら首を傾げる。
「軍事国家に、そんな悠長なもの――」
「あるわ」
言い切ったのは、意外にもリリシアだった。
「モンデルの南部に、一つだけ。負傷兵の療養施設として作られた温泉があると、外交の授業で習いました」
「本当か!?」
俺は、思わず身を乗り出した。
「療養施設なので、一般開放はされていないはずですが......」
「よし、行こう」
「行こうって、今、一般開放されていないと」
「聞こえなかった」
「都合の悪い話だけ聞こえなくなるの、いい加減にしてください」
フィリアの正論も、右から左に流れていく。
とにかく、俺たちは宿を取ることにした。
国境近くの宿場町とは違い、モンデルの宿は、どこか無骨で機能的だった。
装飾は最小限。だが、部屋は広く、清潔だった。
「今夜は、ここで休みましょう。明日から、当面の生活基盤を整えます」
セリーナの提案に、誰も異論はなかった。
夕食を終え、俺は自室の寝台に横になった。
長旅の疲れが、体の芯まで沁み込んでいる。
だが、なぜか、眠気は訪れなかった。
(......変な感じがする)
理由は分からない。
ただ、部屋の隅――誰もいないはずの暗がりから、何かに見られているような、そんな気配がした。
「......気のせい、だよな」
呟いた声に、返事はなかった。
当然だ。
誰もいないのだから。
――そのはずだった。




