第二章 第六話 王女様、冒険者になる
「――というわけで、路銀が底を尽きかけています」
宿の食堂、朝食の席で、フィリアが淡々と告げた。
「は?」
「褒賞金、あなたが道中で気前よく使いすぎたんです。串焼き、酒、土産物、賭け事」
「賭け事は一回だけだろ!」
「一回で全部溶かしましたよね」
返す言葉もない。
「というわけで、今日は久しぶりにギルドで依頼を受けようと思います」
「……久しぶりに働くのか、俺たち」
「あなたは温泉のことしか考えていなかったので、久しぶりも何もないと思いますが」
正論だった。
そんな話をしていると、エレナが妙に真剣な顔で手を挙げた。
「あの、私も同行してよろしいでしょうか」
「エレナ様が?」
「はい。……実は、ずっと考えていたんです。私は今まで、城の中で守られてばかりで、自分の力で何かを成し遂げたことが一度もありません」
エレナの声は、真剣そのものだった。
「せめて一度くらい、本物の冒険者として、依頼をこなしてみたいんです」
「……まあ、いいんじゃないか」
俺は軽い気持ちで頷いた。
「見た感じ、簡単な依頼っぽいしな」
ギルドの掲示板に貼られていたのは、近隣の森での薬草採取と、そのついでに出る雑魚モンスターの間引き、という、Fランク向けの依頼だった。
「危険はほとんどありません。ちょうどいい練習になるかと」
フィリアも頷き、こうしてエレナの「初めての冒険」が幕を開けたのだった。
――が。
「わっ……わあっ……!」
森に入って早々、エレナはさっそく足を滑らせ、盛大に転んだ。
「大丈夫ですか、エレナ様」
「だ、大丈夫です……木の根が……」
「木の根、避けるものですよ」
「知っています! 知っていますが、体がついていかなくて……!」
立ち上がったエレナの頬には、泥がべったりとついていた。
「まずは薬草採取からですね。この葉っぱが目印です」
フィリアが見本を示す。
「わ、分かりました」
エレナは真剣な顔で草むらに手を伸ばし――思い切り、毒々しい紫色の葉を摘み取った。
「エレナ様、それは違います。それ、痺れ草です」
「え」
「触れた指先が、しばらく痺れます」
「……もう痺れてきました」
「早いですね」
結局、まともな薬草を一本摘むまでに、エレナは痺れ草を三度、棘だらけの蔓を一度、正体不明のキノコを一度、誤って収穫することになった。
「わ、私、こんなに不器用だったなんて……」
エレナがしょげ返る。
「城では、こんなこと一度も」
「城では、誰かがやってくれていたんですよね」
「……はい」
「では、覚えればいいだけです」
フィリアは表情を変えず、エレナの手を取り、正しい葉の見分け方を一つ一つ、丁寧に教え始めた。
昼になり、野営の準備をすることになった。
「昼食は、私が作ります!」
エレナが意気込んで、鍋の前に立つ。
「お、いいのか?」
「王女教育の一環で、一応、料理の心得もあります!」
自信満々の宣言だった。
だが、十分後。
「……これは?」
鍋の中身を覗き込んだ俺は、言葉を失った。
黒い塊が、ぐつぐつと不穏な音を立てていた。
「野菜スープの、はずです」
「はず、なんだ」
「火加減の調整が、王城の魔導コンロと、野営の焚き火では、勝手が違いまして……」
エレナの声が、どんどん小さくなっていく。
「大丈夫です、エレナ様」
フィリアが横から鍋を覗き、冷静に言った。
「炭になったものは、次から気をつければいいだけです。今日のところは、私が作り直します」
「フィリアさん……」
「代わりに、味見だけお願いしてもいいですか。今回は、失敗しないように隣で見ていてください」
フィリアはそう言って、手早く新しい鍋を用意し、エレナに手順を見せながら、もう一度スープを作り始めた。
エレナは、その様子を食い入るように見つめている。
「……フィリアさんは、本当に何でもできるんですね」
「三年間、あの残念な主人の面倒を見てきましたので」
「誰が残念な主人だ」
「あなたです」
即答だった。
夕方近く、最後の仕上げとして、森の奥に出る小型モンスター――スライムの討伐に向かうことになった。
「エレナ様、いよいよ実戦です」
「は、はい!」
目の前に現れたのは、ぷるぷると震える、青いスライム一匹。
動きも遅く、Fランクの中でも最弱クラスの魔物だ。
「い、行きます! 『ウィンドカッター』!」
エレナが杖を構え、風の刃を放つ。
狙いは、スライムから大きく外れ――近くの木の幹を、綺麗に真っ二つにした。
メキメキと音を立てて、木が倒れていく。
「わ、私、何を……!?」
「木を切りました」
フィリアが冷静に実況する。
スライムは、何事もなかったかのように、のんびりとその場で震え続けていた。
「も、もう一度……!」
エレナが再び杖を構えたところで、俺はさすがに割って入った。
「ま、待て待て。危ないから、俺がやる」
スライムに近づき、剣で軽く一突き。
あっさりと討伐完了。
「……これで、依頼達成、ですか?」
エレナが、消え入りそうな声で聞いた。
「一応な」
「私、何一つ、まともにできませんでした」
俯くエレナの肩に、フィリアがそっと手を置いた。
「エレナ様」
「……はい」
「今日一日で、薬草の見分け方と、野営食の火加減と、風魔法の威力調整。三つも新しく学びましたよね」
「それは……失敗した、ということでは」
「失敗しないと、学べないことです」
フィリアの声は、いつになく優しかった。
「私も、最初は何もできませんでした。カイン様に拾われたばかりの頃は、剣も握ったことがなくて」
「フィリアさんが……?」
「はい。今のエレナ様と、同じくらい情けなかったと思います」
「エレナ様。次に来た時は、私が一から教えます。薬草も、料理も、魔法の加減も」
「……フィリアさん」
エレナの目に、じんわりと涙が滲んだ。
「はい」
「ありがとう、ございます」
二人は、森の中でそっと微笑み合っていた。
なんだかいい話になっている。
俺はといえば、討伐したスライムの死骸を片付けながら、少し離れた場所でその光景を眺めていた。
(……まあ、悪くない光景だな)
二人は意外と気が合うのかもしれない。
そんなことを思いながら、俺たちはギルドへの帰路についた。
もちろん、報酬は薬草採取分のみで、木を一本切り倒した分の弁償は、しっかりとエレナの懐から差し引かれることになったのだが。
「そ、そんな……私のお小遣いが……」
「王女様のお小遣いって、どんな額なんだ……」
誰もその質問には、答えてくれなかった。




