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第二章 第二話 弱いカインと、決闘領域の正体

 街道を三日も歩けば、さすがに景色にも飽きてくる。


 王都の喧騒は遠くなり、代わりに鬱蒼とした森が両脇に迫るようになった。


「イーティアまでは、あと五日ってところかしらね」


 セリーナが地図を広げながら言う。


「長いな……」


「文句を言わない。誰のせいで急な旅になったと思ってるんですか」


 フィリアの視線が痛い。


 反論できないので黙っておく。


 その時だった。


 森の奥から、獣の唸り声が響いた。


 一つではない。


 複数。


「――止まれ」


 真っ先に反応したのは、レオナだった。


 腰の剣に手をかけ、周囲の茂みを鋭く見回す。


「気配は五。距離、およそ二十メートル」


「は、早いな気付くの」


「元騎士団副団長を舐めるな」


 茂みが揺れ、姿を現したのは、灰色の毛並みをした狼型の魔物――ワーウルフの群れだった。


 牙を剥き出し、涎を垂らしながら、じりじりと包囲を狭めてくる。


「五対五か。悪くない数だな」


 レオナが不敵に笑い、剣を抜いた。


「よし、俺もやるぞ」


 魔人を一撃で葬った男だ。


 狼ごとき、負ける道理がない。


 そう思っていた。


「カイン様は、無理をしないでくださいね」


「大丈夫だって、俺だってあれから多少は鍛えてる。昔とはわけが違う」


 実際、剣を振るう手応えは、レベル5だった頃とは確かに違っていた。


 力も、速さも、多少は上がっている自覚がある。


「行くぞ!」


 レオナが地面を蹴った。


 一頭目のワーウルフが飛びかかってくるのを、最小限の動きで躱し、返す刃で一閃。


 悲鳴を上げる間もなく、灰色の毛玉が地に沈んだ。


 流石は元副団長。無駄のない、洗練された剣技だった。


「かかってきなさい」


 セリーナが、ドレスの裾から取り出した短剣を、優雅に構える。


「ギルド長がなんで戦えるんだよ!?」


「これでも元Aランク冒険者よ。現場を離れて長いけど、体は覚えてるものね」


 セリーナは踊るような足運びで二頭目の側面に回り込み、急所を的確に突いた。


「エレナ様、私が隙を作ります! 後方から!」


「わ、わかりました!」


 フィリアの指示に、エレナが慌てて頷く。


 震える手で、杖代わりの短杖を構えた。


「……風よ、刃となりて――『ウィンドカッター』!」


 詠唱と共に、緑がかった風の刃が放たれる。


 狙いはやや逸れたが、三頭目の側面を浅く切り裂いた。


「や、やりました!」


「見事です、エレナ様。今度は私が」


 フィリアが両手を組み、淡い光を纏わせる。


「傷ついた者に、癒やしを――『オールヒール』」


 レオナの腕にできていた擦り傷が、光と共に瞬く間に塞がっていく。


 攻撃も、支援も、回復も。


 この場の全員が、それぞれの役割を完璧にこなしていた。


「よし、俺も!」


 俺は四頭目のワーウルフに斬りかかった。


 確かに、以前より剣は速くなっている。


 一撃目は、狼の爪をしっかりと弾いた。


 だが。


「ぐわっ!?」


 二撃目を放とうとした瞬間、横合いから飛びかかってきた別の一頭に、思い切り肩を裂かれた。


(な、なんで気付かなかった……!?)


 多少強くなった程度で、油断していたのかもしれない。


 いや、それだけじゃない気がする。


 狼相手に、こんなにも手こずるのはおかしい。


 あの時――ヴァルガスを一撃で倒せたはずなのに。


「危ないッ!」


 フィリアが割り込み、咄嗟に展開した光の盾がワーウルフの牙を防いだ。


「カイン様、無茶はしないでくださいと言ったはずです」


「……すまん」


 結局、最後の一頭もレオナの剣によって片付けられ、戦闘はものの数分で終わった。


 俺は、多少の傷を負っただけで、大した戦果も上げられなかった。


「……はぁ」


 フィリアが治療をしながら、深いため息をついた。


「カイン様。あなた、魔人を一撃で倒した『英雄』なんですよね」


「……一応な」


「なのに、狼相手にこれですか」


「うるさい。自分でも納得いってない」


 本当に、納得がいっていなかった。


 昔よりは確実に強くなっているはずなのに、狼一匹まともに仕留められない。


 なのに、あの時――魔人ヴァルガスだけは、一撃で葬れた。


 辻褄が合わない。


「……ちょっと待てよ」


 俺は剣を抜き、切っ先を見つめた。


「光の剣。なぜあの時だけ光ったんだ?」


「試してみればいいのでは?」


 フィリアが、至極冷静に言う。


「お、おう」


 俺は剣を構え、気合いを込めた。


「光れ!」


 何も起きない。


「……光れ、光ってくれ! 頼む!」


 剣先を睨みつけながら念じてみるが、鉄くずはただの鉄くずのまま、微動だにしない。


「なあ、剣自体に語りかけるとか、そういう感じか?」


「気持ち悪いのでやめてください」


 フィリアの視線が、いよいよ生温かいものに変わっていた。


「くっ……振れば光るのか?」


 俺は近くの木に向かって剣を振り下ろした。


 ただ、木の幹に刃が食い込んだだけだった。


 光る気配は、欠片もない。


「……駄目だ、全然光らない」


「当然です。傍から見ていて、羞恥心で死にそうになりました」


「お前が勧めたんだろうが!」


 レオナが呆れた顔で腕を組んだ。


「何か条件がありそうだな」


「……そうみたいだな」


 俺は剣を鞘に収め、肩を落とした。


 剣が特別なのだと思っていた分、余計に肩透かしだった。


 だとすれば、あの光は一体何だったのか。


 その夜、野営の焚き火を囲みながら、レオナが腕を組んで切り出した。


「――カイン。前々から気になっていたんだが」


「何だよ、改まって」


「お前、本当に魔人を倒したのか?」


「お前も見てただろ?」


「だが、今日の狼相手には、驚くほど弱かった。剣自体にも力はなかった」


 ぐうの音も出なかった。


「私も気になっていました」


 フィリアが焚き火の炎を見つめながら言う。


「カイン様は、魔人と戦う直前、妙な魔法を使っていましたよね。眩い光の壁で、自分自身を閉じ込めるような」


「あれは『決闘領域』だろう」


 レオナが即答した。


「一般的な低級魔法だ。冒険者なら大半が使える。正式な一対一の勝負を挑む時に、横からの妨害を防ぐための結界魔法だぞ」


「……初歩の基礎魔法だ。俺が使える唯一の魔法だ」


 俺は頭を掻いた。


「私の部屋に忍び込んだあの夜も、同じ魔法を口にしていましたね」


 エレナが思い出したように言う。


「『決闘領域』と」


「あ……」


 俺も思い出した。


 そして、あの夜の――エレナとの一件。


(でも、決闘領域魔法にそんな効果があるなんて聞いたことがない)


 セリーナが扇子で自分の顎を叩きながら言う。


「その『決闘領域』を、あんた自身が発動させた時だけ、何か特別なことが起きるんじゃないの?」


「……まさか」


 胸の奥で、あの時の閃光が蘇った。


 もし、あの力の正体が剣ではなく――俺自身にあるのだとしたら。


 だが、否定しきれない。


 狼の群れの時は、その魔法を使っていない。


 ヴァルガスの時と、エレナの部屋の時は、俺自身が使っていた。


「検証してみるか」


 レオナが立ち上がり、剣を抜いた。


「は?」


「私と、お前で。今から一対一の決闘だ。もちろん、『決闘領域』を使ってな」


「正気か!? お前、人類最強クラスだろ!?」


「正気だ。ただの低級魔法一つで結果が変わるとは思えんが――むしろ、それほど都合のいい検証もあるまい」


 フィリアたちも、興味深そうに頷いている。


 断れる空気ではなかった。


「……分かったよ。やればいいんだろ」


 俺は覚悟を決め、手を掲げた。


 あの夜と同じ呪文を、今度は自分の意志で唱える。


「『展開・決闘領域』」


 ブワッ、と光が弾け、俺とレオナの周囲に、あの見覚えのある光の壁が立ち上った。


「――ただの低級魔法にしては、随分と大仰だな」


 レオナが、僅かに眉をひそめる。


「来い、カイン。手加減はしない」


「望むところだ……のはずなんだけど、俺、大丈夫か……?」


 不安を抱えたまま、俺は剣を構えた。


 だが。


 構えた瞬間――体の芯から、何かが変わるのを感じた。


 重かったはずの剣が、羽根のように軽い。


 視界が、やけに鮮明になる。


 レオナの一挙一動、筋肉の僅かな動きすら、手に取るように見える。


「うおっ……!?」


 レオナの斬撃を、体が勝手に躱していた。


 考えるより先に、体が動く。


 まるで、何年も彼女と剣を交えてきたかのように。


「――なッ!?」


 レオナの目に、驚愕が浮かぶ。


 ふと、刃の表面に――ごく微かな光が灯っているのに気付いた。


 ヴァルガスと戦った時の、視界を焼くような閃光とは比べ物にならない。


 目を凝らさなければ気付かないほどの、淡い燐光。


(光った……? あの時と、同じなのか……?)


 考える間もなく、レオナの剣が迫る。


 互いに斬り結び、火花が散る。


 拮抗した攻防が、しばらく続いた。


 だが、僅かに――ほんの僅かにだが、俺の剣がレオナの剣を上回り始めていた。


「くっ……!」


 最後は、レオナの剣を弾き飛ばし、切っ先を喉元に突きつける形で決着がついた。


「……そこまで、だな」


 レオナが、荒い息のまま、苦笑した。


「私の完敗だ」


 光の壁が消え、いつもの静かな夜が戻ってくる。


「今のは、明らかに普通じゃなかったな」


 レオナが息を整えながら言う。


「お前が唱えた瞬間、様子が一変した。私が普段組み手をしている連中とは、明らかに動きの質が違った」


「でも、圧勝ってわけじゃなかったですよね」


 フィリアが冷静に指摘する。


「レオナさんとは、ほとんど互角の勝負でした」


「そういえば」


 俺は思い出して口を挟んだ。


「剣も、心なしか薄っすら光ってた気がする。ヴァルガスの時みたいに眩しくはなかったけど」


「言われてみれば、確かに」


 レオナが頷く。


「……確かに」


 セリーナが顎に手を当てる。


「レオナが相手だと接戦でしたね。魔人を一刀両断した脅威的な強さとは言えませんね。剣の光も微かな光だけだったようですし、カイン殿の強さの秘密はまだまだ未解明ですね」


「間違いない」


 レオナが剣を収めながら頷く。


「今わかっているのは、カイン、お前が『決闘領域』を発動させた時にだけ、何かが起きる」


 俺は、地面に転がったまま、呆然と天井――ではなく、夜空を見上げていた。


「……つまり、これからは」


「お前自身が、自分の意志で決闘を挑む。それが条件ということだ」


 レオナが淡々とまとめた。


「お前が、自分から相手を格上と定めて、真っ向から挑む時にだけ――化ける。普段は雑魚だがな」


「厄介な仕様だな、おい……」


 だが同時に、腑に落ちる部分もあった。


 俺は、決して圧倒的な英雄なんかじゃない。


 ただ、自分自身の意志で挑む一対一の決闘という、限られた舞台でだけ――化ける力を持っているに過ぎない。


「なら、これからの戦い方は決まりましたね」


 フィリアが、焚き火の炎を見つめながら言った。


「強敵と出会った時は、無理に多人数で叩くのではなく――カイン様自身が、自分から一対一の決闘を挑む。それが、私たちの一番の武器になります」


「群れや、数の多い敵は、私たちが引き受ける」


 レオナが力強く頷く。


「本当に厄介な相手だけ、お前に譲る形だな」


「……悪くない役割分担かもな」


 少なくとも、何も分からないまま怯えているよりはずっといい。


 俺は小さく息を吐き、初めて自分の力と向き合う覚悟を決めた。


 俺は、剣を鞘に収めながら呟いた。


 正体不明だった自分の力に、ようやく一つの答えが出た夜だった。


 ――なお、この時誰も気付かなかったが。


 俺が発動させた『決闘領域』の結界は、レオナが本気で叩き込んだ一撃を受けても、僅かに軋んだだけで、決して破れることはなかった。


 本来、この魔法の結界は、発動者の力を上回る一撃を受ければ壊れる程度の、脆いものだったはずなのだが。


 そのことに、この場の誰も――俺自身すら、気付いていなかった。


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