第一章 第十一話(終章) 王城にて、のらりくらり
王都の象徴、天を衝く白亜の王城。その中でも最も絢爛豪華な「太陽の間」にて、魔人討伐の公式褒賞式が厳かに催されていた。
幾重にも重なるステンドグラスから差し込む光が、豪奢な謁見の間を彩る。左右には煌びやかなドレスを纏った貴族たちと、身じろぎ一つしない近衛騎士団が居並んでいた。
その中央、長く伸びる鮮やかなレッドカーペットの真ん中に立っているのが、俺、カイン・アークライトだ。
(早く終わらないかな……腰が痛い……冷えた黒ビール飲みたい……)
俺のすぐ斜め後ろには、相変わらず無表情なフィリアが影のように控えている。参列者の中には、白銀の式典用甲冑に身を包んだレオナ、扇子で口元を隠し怪しく微笑むセリーナ、そして昨夜からの謎の「胸の昂ぶり」に顔を赤くしながら盗み見てくるエレナ姫の姿もあった。
玉座に鎮座する国王が、重厚な声を響かせる。
「討伐隊の全滅を防ぎ、人類の天敵たる魔人ヴァルガスを討ち取った冒険者カインよ。お前が挙げた功績は国家——いや、人類全体に対する絶大な献身である」
「ははーっ(めちゃくちゃ適当)」
「よって王国は、お前に白金貨五十枚を授与する。さらにその卓越した武勇を讃え、王国騎士団の特別幹部としての地位を約束しよう」
白金貨、五十枚。家が建つ。いや、ちょっとした城や領地すら買える大金だ。脳内でジャラジャラと景気の良い金貨の音が鳴り響いた。
だが、国王は不敵に目を細め、重々しく言葉を続けた。
「——アンド、もう一つ」
「……ん?」
「お前が魔人を討ち取ったその力——父の形見と称する『光の剣』。あれほど危険な概念兵器を、一介の無名冒険者が個人で所有し続けることは、国家防衛上すこぶる危険である。よってその剣を王国へ献上し、正式に騎士団の一員となれ。さすれば褒賞を与えよう」
広間全体に、深く納得するような貴族たちの頷きが広がった。
「当然だな。あれほどの聖剣、国家の厳重な管理下に置くべきだ」
「宮廷鑑定士に預ければ、すぐにその真価と解析が進むだろう」
貴族たちが口々に囁き合う。鑑定士。その単語を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たい氷が走り抜けた。
——待て。冷静に考えろ、俺。
あの剣は、親父の形見の、ただの刃こぼれした鉄くずだ。鑑定にかけたところで、何の魔力も伝説の加護も出てくるわけがない。
出てこないなら——なぜ魔人を一撃で斬れた? 説明できるわけがない。俺自身が一番分かっていないのだから!
あの時、剣が勝手に発光して勝手に首が飛んだ。それだけだ。理由なんてこれっぽっちも知らない。
だが、宮廷鑑定士に「何の特別な力も検出されませんでした」と報告された瞬間、王国の偉い奴らは間違いなくこう問い詰めてくる。
——『では、貴様は一体どんな邪法を使って魔人を倒した?』
答えられない。答えられないまま王城の暗い地下尋問室にぶち込まれ、ネチネチと責め立てられる未来しか見えない!
面倒くさい。途方もなく面倒くさい! 二日酔いとは全く別の冷や汗が、全身から噴き出してきた。
脳みそを高速回転させろ。こういう時は、勢いだ。圧倒的な勢いと、それっぽい理屈で煙に巻くしかない!
「……あー、陛下。大変言いにくいのですが、その件につきまして」
俺はわざとらしく神妙な、悲痛な顔を作ってみせた。
「この剣には、実は我がアークライト家に代々伝わる恐ろしい掟がありまして」
「掟……だと?」
「はい。『満月の夜以外に他人にこの剣を手渡すと、譲った者も受け取った者も七代先まで呪われる』という凄まじい血の言い伝えが……」
「聞いたこともないぞ、そのような不吉な話!」
「ド田舎の辺境にしか伝わっていない極秘の掟ですので」
国王の眉間に、深い皺が刻まれる。
「……それと、騎士団の幹部任用の件ですが。俺、実は昔から——極度の胃弱でして」
「胃……だと!?」
「ええ。貴族様方の揃うエリート集団の規律正しい生活……俺の繊細な胃袋には刺激が強すぎて、血を吐いて死んでしまいます」
「胃弱で国家の重職を辞退するバカがどこにいるか!」
「ここにいるんです、これが」
苦しい。自分でも胃が痛くなるほど苦しい言い訳だ。だが、こういうハッタリは堂々と押し切るのが鉄則だ。三年間の借金逃れで培った、俺の唯一の生存戦略である。
国王はしばらく殺気立つような目で俺を睨みつけていたが、やがて「ハァ……」と深いため息を漏らした。
「……よかろう。では満月の夜、正式に剣を献上せよ。騎士団の件も、体調が整い次第……ということにしておく」
「寛大なご処置、感謝いたします! あ、ところで褒賞金の白金貨は先にいただいても?」
「……どこまでも図々しい男だ」
だが、白金貨のズッシリと重い袋は無事に手に入った。勝った。この程度の茶番ならいくらでもお付き合いしてやる。
俺は内心で盛大にガッツポーズをしながら、恭しく頭を下げた。
式が終わり、絢爛な廊下を歩いていると、後ろから扇子の硬い先でチョンチョンと肩を突かれた。
「ねえ、カイン」
振り返ると、セリーナが目を極限まで細めてこちらを見つめていた。美しい笑顔は完璧に保たれている。だが、目の奥が笑っていない。完全に獲物を追う猛獣の目だ。
「先祖代々の恐ろしい掟、ねぇ。ギルドが保有するあなたの家系の記録には、そんな伝承、ただの一行も残っていなかったけれど?」
「……か、家伝の極秘事項ってやつですよ」
「ふうん?」
セリーナはパチンと音を立てて扇子を閉じた。
「私、気になった謎は徹底的に調べ上げないと夜も眠れない質なの。今度、あなたの生まれ故郷にも調査員を出してみようかしら」
「や、やめてくださいよ! 何もないですよ、ただのド田舎ですって!」
「何もない場所にわざわざ調べに行くのが、大人の道楽というものよ?」
にっこりと微笑むギルド長。背筋が凍りついた。こいつ、絶対に嘘を見抜いているし、調べるのを諦めない目だ。
(……やばい。これは思っていた以上に、この街に長居するのは危険すぎるぞ)
満月の夜まで適当にごまかして逃げるつもりだった。だが、そのぬるい計画は——たった今、完全に灰燼に帰した。
第一章 最終話 夜逃げと、賑やかなる旅立ち
その日の夜。月明かりすら届かない暗い宿の一室で、俺は急ピッチで荷物を鞄に詰め込んでいた。
「カイン様。本当に、今夜のうちに街を発つおつもりですか」
フィリアがいつもの淡々とした声で尋ねてくる。
「満月まで待ってたら絶対バレる。間違いなく首が飛ぶ」
「何がバレるのですか?」
「知らん! とにかくあの剣の秘密を追及されたら俺の人生は詰む! 長年の勘がそう叫んでるんだよ!」
「ただの経験則ですね」
「そう、命がけの経験則だ!」
三年間、借金取りと治安維持隊と怒らせた女たちから逃げ回り続けてきた男の野生の勘だ。馬鹿にはできない。
「面倒な厄介ごとの匂いがしたら、脇目も振らずに逃げる。それが俺の唯一の生存戦略だ」
「立派な生き方ですね。皮肉抜きで感心します」
「……ねえ、それ本当に褒めてる?」
「心の底から呆れています」
荷物は極めて少ない。白金貨の詰まった袋と、最小限の着替え、そして親父のポンコツ剣が一本。これで十分すぎる。どうせ隣国の有名な温泉街に高飛びして、死ぬまでダラダラと遊んで暮らす予定なのだから。
俺たちは深夜の静寂に紛れ、気配を殺して南門へと向かった。街はすでに丑三つ時を過ぎ、酔っ払いの歌声すら聞こえない。こういう高飛びの時だけ、俺の足取りは羽のように軽い。
南門の巨大な影が見えてきた、その時だった。
「——待て、カイン」
背後からかけられた凛とした声に、俺の足がピタリと凍りついた。
振り返ると、そこにはフル装備の旅装に身を包んだレオナが、巨大なリュックを背負って立っていた。
「レ、レオナ!? なんでこんな夜中にそんな格好で!?」
「門番から報せを受けた。『カイン殿が頭に鍋のようなものを被ってこそこそ南門へ向かっている』とな」
「筒抜けかよ! あと鍋じゃない! フードだ!」
変装のセンスに対する反論は虚しいので却下する。時間が惜しい。
「私は本日付けで王国騎士団を正式に辞職した」
「はあぁぁぁ!?」
「あの日、お前が魔人を斬った瞬間を、この目で見た」
レオナは真剣な目でこちらを見据えた。
「物心ついた頃から剣を振るい、王国最強の一人だと自負してきた。だが——理屈も、剣筋すらも、何一つ見えなかった。生まれて初めてだ、剣士として『負けた』と思ったのは」
「い、いや、それは俺にも分から——」
「黙って聞け」
有無を言わせぬ迫力に、俺は口を噤んだ。
「答えを見るまで、私は騎士には戻れん。それに」
レオナはニヤリと不敵に笑った。
「まだお前とは、正式な決着をつけていないからな。ここで見失っては困る」
「うわぁ……最高に面倒くさいことになった……」
「あら、私を置いていくなんて冷たいじゃないの、英雄様」
街道沿いの樹木の影から、艶やかな旅装束に身を包んだセリーナが姿を現した。
「ギルド長!? まさか最初から張り込んでたんですか!?」
「ええ。あなたが『先祖代々の掟』なんて見す見す怪しい嘘をついて街を出ようとする姿……見過ごせるはずないでしょう?」
「うっ……!」
「副ギルド長には『探さないでください』と置手紙をしてきたわ。あなたの持つその『真実』を解き明かすまで——私、絶対に帰らないから」
完全に知的好奇心と個人的な興味である。この女狐、俺の正体が暴けるまで死んでも離れない気だ。
「そして……私も、参ります」
最後に、深いフードを目深にかぶったエレナ姫が姿を現した。
「王女様まで!? 城はどうしたんですか城は!?」
「……わかりません。ですが——あなたから離れると、胸が引き裂かれそうに痛むのです。これが昨夜の契約の力だというのなら……」
エレナは顔をリンゴのように真っ赤に染めながら、上目遣いで俺をまっすぐに見つめた。
「——最後まで、責任を取ってくださいね……?」
気が付けば、俺の周りには四人の濃すぎる女たちが集結していた。
淡々と毒を吐く従者のフィリア。剣士としての矜持に懸ける騎士レオナ。好奇心で人を極限まで追い詰めるギルド長セリーナ。謎の神代契約で運命共同体になってしまった王女エレナ。
誰一人として、俺が魔人を倒した「本当の理由」を知らない。というか、当事者である俺自身が何も知らないのだから当たり前だ。
「……フィリア」
「はい、カイン様」
「俺、ただ静かに逃げて、隣国の温泉でぬくぬく暮らしたかっただけなんだけどな」
「諦めてください。ご主人様のこれからの人生に……平穏などという文字は二度と訪れません」
「誰か一人くらい城に帰ってくれぇぇぇぇぇっ!!!!」
俺の魂からの悲痛な叫びが、夜の静寂へとむなしく吸い込まれていった。
こうして——正体不明のハッタリ英雄(仮)と、一癖も二癖もある訳あり美女たちによる、前途多難で賑やかなる逃避行が幕を開けたのだった。




