29、最も最悪なハッピーエンド 《雲乃》
世界の終わりはあまりにあっけなく始まった。
「アイリス、行こう」
とメビウスが告げ。
「本当に?」
とアイリスが呟いた。
ただそれだけ。
ただそれだけをきっかけにオリンポスは崩壊を始めた。
抱きしめ合うメビウスとアイリス。そんな二人を私とヒカルはただ眺めるしかできなかった。周囲の光景はどんどん変化していく。次々と瓦礫が降ってきて火花や電気がそこかしこから飛び散っている。
そんな中で私たちが無事だったのは魔女アリサの魔法のおかげだろう。半径十メートルほどの球状に外部から全く干渉を受けない空間が出来上がっていた。その空間は周囲の光景同様に落下していっている。
けれども、そんなんじゃ足りない。そんなのじゃ何千万もの人々が助からない。
「ねえ、もっと多くの人たちを助けられるようにできないの?」
そう訊ねてみたけれども、アリサは「全部はさすがにね」と他人事のように言う。
「第一、そもそもこれだけの犠牲が出ることも厭わない、と決めたからこそメビウスの選択により価値が生まれるのよ。私が多くの人々を救うなんて、そんなのはメビウスの選択にケチをつけるようなもので、無粋なだけ。ぜんぜん美しくない。ま、この場にいた人間だけはサービスでオリンポスの崩壊からくらいは守ってあげるけど」
「そんな……」
崩壊の音は鳴りやまない。後悔の念はとめどない。
私が未来を変えなければ、メビウスと出会わなければ、魔女と出会わなければ、誘いに乗らなければ。オリンポスは崩壊しなかったかもしれない。
家族や学校のみんなの顔が浮かぶ。
彼らは助からないのだろうか。その可能性は非常に高いだろう。
けれども涙は出ない。
あまりにも壊滅的な状況に、理解が追いついていないのかもしれない。もしかしたらこれは夢なのかも、なんて脳が現実逃避をしているのかも。あまりに非現実的な光景を前にただ呆けるしかできない。
あまりに手の施しようがないオリンポスの崩れように、息ができない。
私たちが地上に到着した時にはもうオリンポスはほとんど瓦礫の山と化し、辺り一面を多くの粉塵が埋め尽くし、数十メートル先の景色さえ輪郭は定かではなかった。
そんな終末の光景の中で、抱きしめ合う二人の姿はなぜかとても満たされているように見えて、とても腹が立った。
このふたりは自分たちの幸福のために数千万もの人々の命を奪ったのだ。
最悪だ。
最低だ。
けれども、このふたりを完全に恨むこともできなかった。だって、この結末が訪れたのは私たちの自業自得だったから。
私たちの幸福は彼女達の犠牲の上に成り立っていた。私はそれを知らなかったけれども、知らなかったこともまた罪だと言えるだろう。
彼らにはこの結末を選ぶ権利があった、ただそれだけのことだ。
メビウスは今にも泣きそうな表情で微笑んでいる。アイリスは恍惚とした表情を浮かべながら涙を流している。
そのふたりだけを見たのならば、それは紛れもないハッピーエンドのよう。
けれどもそれは私の知る限り、最も最悪なハッピーエンドだった。




