26、魔的な響き 《雲乃》
「ふざけるな!」
そう叫んで桜爽の胸ぐらをつかんだメビウス。
「ちょっと、どうしたの⁉」
慌てて彼らのもとへと駆け寄ろうとして気付いた。その光景を前に口角を持ち上げた魔女。なぜ彼女はそんな表情を浮かべたのか。意味が分からなくて訊ねる。
「ねえ、なにが可笑しいの?」
「だって、この光景こそが私の見たかったものだから」なんて、本当に嬉しそうに彼女は語る。「生涯をかけて探し出した最愛の人は世界の歯車、システムの一部となっていて、それを救い出すと世界を崩壊させるほどの損害が生じる。ねえ、さっきのアイリスの言葉、貴女には聞こえてた? 彼女をあのポッドから出すと、このオリンポスが崩壊するそうよ。文字通り、物理的に崩れ去る。世界の存続か、たった一人の自由か。そんなの、どちらを選んだとしても、面白いでしょう?」
「面白い……?」
彼女のその言葉に共感はできなかった。今、メビウスはこんなにも切実な状況に置かれているというのに。しかも、オリンポスが崩れ去るかもしれない? そんなの、正気じゃない。私たちのこれからは彼の行動次第で大きく変わってしまうのかもしれない。そんな状況で面白いだなんて、言えるはずがない。
「ねえ、どうにかならないの? みんなが幸せになれるような着地点は無いの?」
もしくはそんな魔法は。
彼女なら、どうにか出来るんじゃないか、なんて淡い期待を打ち砕くように魔女は言う。
「そんなものは無い。魔法は万能じゃないし、世界はそんなに甘くない。でも、まあ普通にいけばある程度は丸く収まるんじゃない?」
「丸く……?」
「彼女が言っていたでしょう? 『貴方が私を諦める』と。つまり、彼女は知っているのよ。彼が彼女を諦める、と。きっと、そんな光景を何度も視てきたんでしょうね」
メビウスがアイリスを諦める。それはきっと彼にとってはとても辛いことだ。けれどもそれは同時に、まだこの東京オリンポスが在り続けることを意味する。全員が幸せにはなれない。天使たちは囚われ続け、メビウスのこれまでの苦労も報われない。それと引き換えに、多くの人々の未来が保証される。
そんな、結末。
「でも……」と、魔女は不敵な笑みを浮かべる。「そんな“普通”じゃ面白くないわよね。せめて彼の迷いを五分にまで持っていってあげないと」
なんて言って、アリサは私の背中を押す。
「え?」
戸惑う私なんてお構いなしにそのまま彼女は私をメビウス、アイリス、桜爽の前に割り込ませる。
「ねえ、メビウス」
そう切り出した魔女に、彼は訝しげな目を向ける。
「なんだ?」
そんな彼に、アリサは不敵な笑みを崩さずに言う。
「アイリスはこの先を知っている。これまでに何度も視てきたんでしょうね。きっと、貴方がこの東京オリンポスの五千万の人々とアイリスの自由とを天秤にかけて、東京オリンポスの人々を選ぶ、という結末を。だから、貴方に絶大な信頼を預けているし、今回もそうすると信じている」
「……」
メビウスは黙り込む。そんな彼を見て、アリサは私の手を引いた。
「でも、彼女は変えたわよ?」
「……!」
メビウスが息を飲んだ。私を見るその目に、これまでとはまた違う色が灯るのが見えた。アイリスもその虹色の虹彩の目を見開いている。
「お、おい何を言っているんだ魔女⁉」
桜爽が慌てて彼女に駆け寄ろうとするものの、それを彼女は人差し指一本で彼に触れもせずに制した。
「この子、伊達雲乃はおそらくこれまで何度も視てきたであろう友人の死を回避するために、選択したわよ。まあ、それはこれまでの数多の蓄積が無意識の深層心理下に影響を与えた結果なのかもしれないけれど。それでも彼女は選択した。これまでとは違う未知を」
そこまで言って、それでも彼女は笑みを崩さずに彼に最後の一言を告げる。
「さあ、貴方はどうするの?」
その言葉はあまりに魔的な響きを含んでいて、強力な引力を伴っているように思えた。




