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東京オリンポス・カタストロフ  作者: 綿柾澄香
トーキョージェノサイド
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34/40

25、それでいい 《アイリス》

 彼が、来た。


 気配だけでそう理解する。そっと目を見開くと、目の前には今にも泣き崩れそうな彼の顔。これまでに何度も見た顔だけれども、何度見ても愛おしい泣き顔だ。その見慣れた愛おしい泣き顔に、思わず頬が緩んでしまう。


「久しぶりね」


「ああ、やっとここまでこられた。やっと君と再会できた」

「ええ、そうね。貴方は必ずやってくる。そう知っていた」


 これまで何度この光景を見ただろう。時には科学者としてここまでたどり着いたり、時にはスパイのようにひっそりとやって来たり、時には偶然ここに迷い込んだり。様々なシチュエーションで彼は私にたどり着いたけれども、いつだってこの表情は変わらない。


「だろうな。君はいつだって未来を視ていた。さあ、帰ろう」


 そして、いつもこのセリフを口にして彼は希望に満ちた表情を浮かべる。けれども、そんな彼の希望を打ち砕く一言を私は告げる。


「駄目よ。私はここを離れられない」


 彼の表情はみるみる曇る。


「いや、ここを逃げ出すんだ。君を犠牲にしなきゃ成り立たないような、こんな歪(いびつ)なシステムなんて、どうなったっていいじゃないか。君は、このシステムを見捨てるに十分な犠牲を捧げてきた。君には、この世界を恨む資格がある」


 なんて、彼はてんで見当違いなことを言う。


 私はラプラスシステムを否定しない。私たち十人の未来視能力者たちを利用することで五千万、ひいては世界中の人びとが幸福になるのならば、それはとてもいいことじゃないか。多くの人々の幸福を目指して生まれたこのシステムは間違いなく人類にとっての偉大な発明の一つだ。その中核を担うことができるのは誉れでさえある、と思うのだ。


 どうせ、私の個人的な思い出なんてものはいくらでも思い出せるのだから。


 たとえば、こうして何度も私の前に現れる彼の表情を楽しむことができる。ほんの数十年の我慢の対価だと思えばこんなもの、安いものだ。


 今回のご褒美はここまで。今回も十分に彼との日々を楽しめた。

 あとはいつものように彼が選択する。


「いえ、そうじゃない。私じゃない。貴方が選ぶの。貴方が私を諦める」

「俺が? そんなこと、あるはずがない」


 残酷な真実を告げて、彼が選ぶ。私ではなく、このオリンポスを。


 それでいい。


 それがきっと、最もベストな選択だ。


「私がここから離れれば、この東京オリンポスは崩壊する」


「崩壊って……そんな大袈裟な」


 苦しそうな彼の顔。

 ああ、それもまた愛おしい。


「いえ、真実よ。比喩でもなんでもなく、本当に。物理的にこの東京オリンポスは崩壊する」

「何を言って……」


「彼女の言う通りだ。許可なく彼女をそのポッドから引き離せば、オリンポスが自壊するようにプログラムを組んである」


 と、桜爽(おうそう)が割って入る。彼もまた、私を思ってくれる優しい人で。父親の重圧に向き合い続けた可哀相な人なのだ。


「……は?」


「メタトロンが……アイリスがお前にとってだけ大切な人間だと思うなよ?」


「ふざけるな!」


 そう言ってメビウスが桜爽の胸ぐらをつかむ。


 この光景も何度見てきたことだろう。それでも彼は私を諦めるし、それでいい。

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