23、崩壊 《メビウス》
「その真ん中のポッドにお前が会いたがっていたアイリスがいる」
と、桜爽が口にした瞬間に俺は気が付けば駆け出してしまっていた。
だって、数十年ぶりの再会だ。数十年探し続けた。数十年思い続けた。数十年祈り続けた。俺の命の恩人で、親友で、戦友だ。
そんな、人生の目的と言っても過言ではなかったアイリスとの再会を前に、居ても立ってもいられなくなってしまった。年甲斐もなく走る俺の足は自分でも驚くほど遅くて、否応なしに彼女と離れていた年月を思い知らされる。彼女と共に紛争地帯を駆け回ったあの頃は、あんなにも軽やかに足が回ったというのに。
けれどもなんとか彼女のポッドに辿り着く。
そこに横たわる女性。その顔立ちは昔とは変わってしまっているけど、確かにかつての面影を残していた。
ゆっくりと目を開く。
そこには虹色の虹彩が輝いていた。もう忘れかけていたあの頃のその目の色も、あっというまに鮮明に脳裏に蘇る。
――ああ、そうだ。彼女の瞳はこんな色だった。
懐かしさに自然と頬が緩み、視界が滲む。
「久しぶりね」
目を開いたアイリスがそっと微笑みながら言う。
「ああ、やっとここまでこられた。やっと君と再会できた」
「ええ、そうね。貴方は必ずやってくる。そう知っていた」
「だろうな。君はいつだって未来を視ていた」俺がここにやって来ることだって当然知っていたんだろう。「さあ、帰ろう」
けれども彼女は小さく首を横に振る。
「駄目よ。私はここを離れられない」
彼女の身体からは何本もの管が伸びている。この管一本一本がこのラプラスシステムに意味を持たせているのだろう。
「いや、ここを逃げ出すんだ。君を犠牲にしなきゃ成り立たないような、こんな歪なシステムなんて、どうなったっていいじゃないか。君は、このシステムを見捨てるに十分な犠牲を捧げてきた。君には、この世界を恨む資格がある」
未来予測システムがなんだ。そんなものが無くたって、人間は生きていけるだろう。そんなものが無くては生きていけないようならば、人は退化したと言っても過言ではない。
けれども、彼女はその笑みを崩さずに口を開く。
「いえ、そうじゃない。私じゃない。貴方が選ぶの。貴方が私を諦める」
「俺が? そんなこと、あるはずがない」
なぜ俺が彼女を諦めるというのか。たとえラプラスシステムが機能不全に陥ろうが、そんなのは知ったことじゃない。俺は彼女を連れ帰る。そのためにここまでやってきたのだから。
けれども彼女は変わらぬ笑顔のまま、絶望の一言を告げる。
「私がここから離れれば、この東京オリンポスは崩壊する」
「崩壊って……そんな大袈裟な」
「いえ、真実よ。比喩でもなんでもなく、本当に。物理的にこの東京オリンポスは崩壊する」
「何を言って……」
と、戸惑う俺の背後から声がした。
「彼女の言う通りだ」振り返ると、そこには桜爽が立っていた。「許可なく彼女をそのポッドから引き離せば、オリンポスが自壊するようにプログラムを組んである」
「……は?」
意味が分からなかった。オリンポスが自壊?
このオリンポスを含む東京全域には約五千万人の住人がいると言われている。それだけの人間がいる場所で、東京をすっぽりと覆い尽くすこの天蓋のようなオリンポスが崩壊すれば、どれだけの被害が出るか想像もつかない。
というか、そもそもいくら重要な存在であるとはいえ、アイリスがいなくなっただけで自壊するようなプログラムを組む意味が分からない。そこに一体どんなメリットがあるというのか。
「メタトロンが……アイリスがお前にとってだけ大切な人間だと思うなよ?」
そう言い放った桜爽の表情が、その発言が狂言でないことを告げていた。
奴は本気でそんなプログラムを組んだのだ。アイリスを失えば、同時にオリンポスが崩れ去るようなプログラムを。
「ふざけるな!」
そのあまりに非人道的かつ常識の埒外にある彼の思考回路に、思わず叫んで彼の胸ぐらをつかんでいる自分がいた。




