22、三日月 《雲乃》
「来るぞ」
と、そう告げて桜爽が出ていってしばらくすると大きな衝撃音が響き、それは継続的に続いた。轟音、身体の芯を震わすような振動は徐々に近づいてきて、ひときわ大きな音が鳴り響いたと思ったところで静寂が訪れた。
「……どうなったの?」
つい、そう漏らしてしまったけれども、この場には私以外にはポッドにつながれた十天使しかいない。さらにはさっきまで話していたアイリスも目を閉じてしまっていた。その瞼の裏で彼女は何を見ているのか。
静謐の中で自分の呼吸音しか聞こえない時間がどれだけ過ぎただろうか。
不意に扉の開く音がして、その音のしたほうを見る。
そこには桜爽が立っていて、その後ろにヒカルたちの姿が見えた。
「モノちゃん!」と、叫ぶ声がしたかと思うと、すぐさま彼女は駆け寄ってきて私に抱き着いた。揺れるポニーテールの毛先が私の顔を何度か叩く。「無事だったんだね⁉」
興奮気味な彼女はずいぶん乱暴に私を振り回す。
「ああ、うん。ヒカルも無事でよかったよ。どうやってここまでやってきたの?」
「アリサのおかげでね。ちょっとフリーフォールがあったり、大規模な攻撃もあったりしたんだけどなんとかね」
そう言って、ヒカルは周囲を見渡す。
「……ここは?」
と訊ねたのはメビウスだった。
「ここがラプラスシステムの中枢を司る場所だ」答えたのは桜爽。「中央にある十のポッド、その真ん中のポッドにお前が会いたがっていたアイリスがいる」
そう彼が言い終えるや否やメビウスは中央のポッドへと一目散に駆け寄った。
彼にとっては数十年ぶりの感動の再会だ。私たちなんてもう彼の眼には入っていないだろうし、きっとそれでいい。この場の主役は彼らで、私たちは添え物だ。ただ偶然この場所に居合わせることになっただけ。
アリサも弁えているのか、それとも前に言った通り、ただ彼らの物語に興味があるだけでそれを眺めているだけなのか、何も言わずに彼らを眺めているだけ。
「よかったね、メビウス。彼女と出会えて」
と、ヒカルは安堵した表情でその後ろ姿を眺めている。
「けど、連れて帰ることはできないんだよね……? メビウスはどうするつもりだろう」
桜爽が言っていた言葉を思い出す。もちろん、彼の言いたいことはわからないこともない。彼が私に語った言葉が真実ならば、アイリスはラプラスシステムの根幹を担う存在で、彼女を失えばシステムはその機能を低下させるのだろう。
そうなれば、私たちが今まで当たり前のように過ごしてきていた日々の日常は大きく変化してしまうのかもしれない。
けれども、そもそもこうして明確に十人もの人間の自由を奪い、その犠牲の上に成り立つ生活というものは果たして正しいものなのだろうか。『人間って、そういうものでしょう?』なんて語ったアリサの言葉を思い出す。
彼女は知っていたのだ。この東京オリンポスというものの真の姿を。そして、それを高みの見物で面白がっている。
たとえなんらかの犠牲を被るたったひとりの人間がいたのだとしても、それに対して多くの人々の幸福が得られるのならば、それも仕方がない、と受け入れてしまうのが人間という生き物なのだ。
私も、彼女が救われることによってこれまでの日常が変化してしまうことの怖さが微かに頭の片隅に侵食するようにして湧き出していることに気付いてしまって、自己嫌悪に陥ってしまいそうになる。
――この正解はいったい何だ?
なにをどうすればみんなが幸福になれる結末に向かえるのだろうか。なんて、きっと正解のない問いについてぐるぐると考え込んでしまっていた私の耳に。
「ふざけるな!」
と、メビウスの怒声が入ってきた。見ると彼が桜爽の胸ぐらをつかんで、今にも殴り掛かってしまいそうなくらいに固く拳を握っている。
「ちょっと、どうしたの⁉」
慌てて彼のもとへと駆け付けようとした瞬間、不意に目に入ったアリサの口元は両端が持ち上がり、三日月のようになっていた。




