21、怪物 《ヒカル》
落下しながらアリサはまるで自由自在に空を飛べる妖精のように、空中で軌道を変えながらアタシとメビウスの手を掴んだ。
そのまま各階層を繋ぐ交通網や配管を華麗にすり抜けながらどんどん加速度は増していく。第九層、第八層、第七層。
「魔女って箒もなしに空を飛べるの⁉」
ほとんど絶叫にも近いアタシの問いかけに、アリサは事も無げに答える。
「まさか。さすがに魔力のコントロールで空を飛べるほど私も器用じゃないわよ。これはただ落下してるだけ。身体の使い方や魔力の放出でうまく方向転換してるのよ」
「まさかのフリーフォール⁉」
アリサが説明している間にもどんどん第五層は近付いてくる。気が付けばメビウスの絶叫が聞こえない。長い落下の間にもう慣れたのか、それとも失神してるのかもしれない。くるくるひらひらと身体の向きを変えながら障害物を避けるアリサの動きに、うまく彼の様子を確認することができない。
バサバサと彼女のドレスがはためく音にようやく慣れてきたな、と感じたところで。
急にブレーキがかかって少し大きめの衝撃が襲う。気が付くと、アタシは尻もちをついていて、ちゃんと着地できたのだと、そこで理解した。
高さ数千メートルからの自由落下。普通ならばミンチよりも酷い、赤いペースト状になり果ててもおかしくないところを尻もちで済んだのだから、きっと、彼女の魔法のおかげで助かったのだろう。魔女さまさまだ。
立ち上がるとそこは第五層、日本中央図書館の目の前だった。
「あ、そういえばメビウス大丈夫?」
しばらく声が聞こえなかった彼のほうを見てみると、ずいぶんとぐったりとしていた。
「あ……ああ、だいじょ……うぶ」
なんて、ぜんぜん大丈夫そうじゃない返答があった。
「さあ、立って。物語はもう佳境でしょう? 貴方の目指すアイリスはすぐそこよ」
そんなアリサの発破が効いたのか、メビウスはゆっくりと立ち上がる。
「ああ、わかってる」
メビウスが顔を正面に向ける。日本中央図書館の正面入り口。その周辺に警備用アンドロイドが数十体配備されている。やっぱり第十層よりもよっぽど厳重な警備だ。さらにぽつぽつと雨が降り出し、それはあっというまに本降りとなる。そして、私たちの前に菱比良桜爽が姿を現した。
「ずいぶんと早い再会になったな」
「驚いた?」
アリサは愉快そうに言う。
「多少想定外ではあったが、全く想定していなかったわけではない、といったところだ。お前は規格外の魔女だからな。想定を超えてくることを想定しておくのが最低限の心構えとして当然だろう?」
「なんだかずいぶん言い訳がましく聞こえるけど」
「言っておけ。お前の目的はその男を助けること、その男の目的はメタトロン……アイリスだったな。ひとつ言っておくが、その目的は叶わない」
「あら、どうして?」
「ふん、別にそう難しい話じゃない。東京オリンポス、ラプラスシステムに彼女は必要不可欠であり、手放すわけにはいかない。ゆえに、彼女を奪わせないためのありとあらゆる手段を講じている。それだけのことだ」そう言って、桜爽はメビウスを見る。「だからもう諦めてくれないか? 今ならばまだ引き返せる」
けれども桜爽のその言葉をメビウスは一笑に付す。
「はっ。数十年アイリスを思い続け、探し続け、調べ続け、ようやく目前にまで漕ぎつけたこの場で諦めるなんてできるか。たとえ世界が滅んでも俺は彼女を連れて帰るぞ。そう決めたんだ」
「……そうか。まあ、そうだな。私だってもし仮に、その人生のほぼすべてと言っていい熱量を捧げてきたラプラスシステムの研究を今すぐに捨ててしまえ、なんて言われたら納得なんてできないだろうな。それと同じことか」
なら、私たちは永遠に敵対しあう仲だ、なんて言って桜爽は一歩後ずさる。それと同時に警備用アンドロイドたちが一歩踏み出す。
それを見て、アリサがアタシたちの前に立った。
「彼の攻撃はすべて私が請け負う。貴方たちは私の後ろに。そのままついてきてくれればそれでいい」
そう宣言した魔女にアンドロイドたちは持っていた銃を向ける。そんなものを気にも留めずに彼女は右足を一歩前に出した。
その直後。
アンドロイドたちは一斉に掃射し始めた。タタタタタ、と軽やかな音が鳴る。けれども銃弾はすべてアリサに届かない。歩を進める彼女の目前で軌道を変えて後方へと流れていく。
「ほら、ついてきて」
彼女の魔法に呆けてしまっていたアタシとメビウスは、その言葉に我に返り、慌てて彼女の後に続く。その様子を桜爽は憮然と眺めている。
銃弾なんてものはアリサには通用しない。そんなことは百も承知だろう。軽やかだった銃の音はいつの間にか重い音に変わっていた。目を凝らすと、アンドロイドたちが手に持っていた銃の種類が変わっていた。
けれども、さっきよりも威力が増したであろうその銃弾も当然アリサには届かない。するすると後ろに流れていく。するとまた、アンドロイドたちの手元の銃の形状が変化していく。変形ロボのように変形するのではなく、まるで銃そのものが成長するようにして変形していく。
「雨、か」
と、メビウスが天を仰ぎながら溢す。
この雨、ナノマシンがアンドロイドたちの手元の銃をリアルタイムでアップデートしていっているのだ、と気づく。
いつの間にかそれはロケット弾を打ち出すロケットランチャーのようになっていた。
飛来する数十発のロケット弾。それらさえもアリサには届かず、見当違いの場所に着弾する。
けれども、そのロケット弾によって穿たれた地面の穴はナノマシンによって即座に修復される。さらには雨の降りしきる空中から雷が現れ、氷が吹き付け、炎が襲いかかる。アンドロイドたちの手元の武器はさらに進化していて、数多の光弾が放出される。いつしかレールガンが出来上がっていたようだった。
辺り一帯はまるで大災害のミキサーに放り込まれたみたいにデタラメな空間が出来上がっていた。だというのに、その中をアリサはまったく怯みもせずに悠然と歩いていく。ありとあらゆる攻撃、事象は彼女に届かない。
「すご……」
思わずこぼれたその言葉に、アリサが振り返る。
「べつに、大したことじゃないわよ。応戦さえせずに防御に徹するのなら、これくらいは些事に過ぎない」
一歩一歩、確実に前に進んでいく魔女と、それに続くアタシたち。
もはやアリサが一歩進むごとに何かしらの爆発が起きるような状況になってもなお、彼女はその余裕の表情を崩さない。
そうしてついにアタシたちは図書館前に立つ桜爽と数メートルの距離のところまでたどり着く。
桜爽と対峙する形になったアタシたちへの攻撃は止んでいた。
「はっ」と、うなだれる桜爽は乾いた笑い声をあげた。「ま、こうなるだろうとは思っていたよ」そう言って、彼は顔を上げ、アリサの顔を真っすぐに見る。「そもそも、第十層でお前の封印に成功しなかった時点で私がお前に対して打てる手段は無くなっていたんだからな」
「あら、意外とあっさり負けを認めるのね」
「ふん、無駄な抵抗ほど無駄なものは無いからな。それに、ここから先は貴重な資料の宝庫だ。すべての情報はデータ化されているが、紙の資料も歴史的な文化の保護のために多く保管されている。それらを無駄に荒らされてもかなわん」
桜爽がそう言って右手を上げると、降りしきっていた雨はピタッと止んだ。けれども、雨が止んでも目の前の桜爽は消えない。つまり、それは目の前にいる彼が本物である、ということを意味する。
「今回は本当に本物なのか」
と、メビウスが驚いたように呟く。
「そうだ。偉大な魔女柏木アリサ様、そしてメタトロンのご友人を案内するのにホログラムでは失礼だろう?」
そう言った彼の口調は、とても皮肉が込められているかのようなものだった。
「案内? 彼女のもとへ連れて行ってくれるのか?」
「ああ、こんな状況に陥ったのは想定外だが、君が彼女のもとへ訪れることはこれまでに何度も視たそうだ。だから、君を彼女に会わせても問題はないと判断した。ただ、やはり彼女を連れて帰ることはできないとは思うが……まあ、それは実際に彼女と会ってみるのが手っ取り早いだろう」
そう言って、桜爽は踵を返す。
意外とあっさりと、なんて思ったけれども、考えてみればアリサが受けた猛攻は普通の人ならば到底耐えきれないもので、桜爽から見れば手は尽くしてその上でも仕方ないと諦めた結果なのだろう、と納得する。
図書館に入る前に一度振り返る。
そこには、とても苛烈な猛攻があったとは思えないほどに完璧に整備されたオリンポスの街並みがあって。そんな圧倒的な修復能力を搭載したナノマシンを自由自在に操れる桜爽もまた、アタシから見ればとんでもない怪物のように思えた。




