20、消失 《ヒカル》
轟音のしたほうへ目を向けると、そこにはアリサを捕らえていたボックスに大きな穴が開いていて、そのすぐ前に立つアリサの姿があった。
彼女は少し乱れた髪をかき上げて大きく一つ、息を吐き出した。
「あー……さすがに今のは少しイラっとしたわね」
そう言って、そのまま即座に右手を虚空にかざし、そのまま空を掴むような仕草を見せる。すると、降りしきっていた雨、スプリンクラーの水は瞬時に消え去ってしまった。これでナノマシンの影響は消え去ってしまったのだろうか。
「あ……おかえりなさい」
なんて、この場、この状況でその言葉が正解なのかも分からないけれども、つい零れてしまう。アリサは少し、目を閉じてから小さく頷き、そして再び目を開いて私に微笑みかけた。まるで、自らの感情を制御し、再起動をかけるような仕草。
「ええ、ただいま」
「どうやってあの箱から出てきたんだ?」
と、メビウスが訊ねる。
「ん、まあ魔力を遮断されたところで私の体内に備蓄されてる魔力までは奪われてなかったからね。それ濃縮してぶっ放してこう、ですよ。おかげでせっかく貯めてた魔力を大幅に消費しちゃったわけだけど……それもこのナノマシンから拝借させてもらったから、まあまだ私もそれなりに役に立つと思うわよ?」
そう軽やかに言ってみせる彼女は、けれどもどこか初めて会った時のようなミステリアスな雰囲気ではなかった。テンションが高いというか、ちょっとハイになっている感じがする。まあ、さすがにお腹を貫かれるような怪我をして、閉じ込められて、そこから出てきて。そんな状況で冷静でいられるほうが異常といえば異常だろう。魔女とはいえ、まだ彼女にも人間性が残っているということか。
「そうか、ならいい」そう言うと、メビウスはアタシを見る。「それじゃあ、行くぞ」
「行くって……でもモノちゃんたちの場所がどこかまではまだ……」
「いや、それはいい。たぶん、あそこだ」
「え? 場所、わかるの?」
「まあ、もっと冷静にラプラスシステムの前提条件を考えればわかることだったんだよ。答えは最上層にあるはずだ、と言ってバカみたいに上層を目指そうだなんて、本当にバカだった」
なんて、彼は自虐的に笑う。
「ねえ、それはどこなの? モノちゃんは?」
そう問うアタシに、彼がアタシの手元に目線を落とした。
「なあ、ザ・ブック」
と、彼がザ・ブックを呼ぶ。
『はいはい。私になにか御用が?』
シルクハットのちょび髭おじさんが姿を現す。そのおじさん、ザ・ブックにメビウスが訊ねる。
「このオリンポス内全域で最も警備が厳重な場所はどこだ?」
「え? それってさっき聞いた質問と同じじゃないの?」
「いや、違う。さっき訊いたのは第七層よりも上層で最も厳重な警備を敷いている場所はどこか、を訊ねたんだ」
「そうだっけ」
「ああ。オリンポスで重要なものは上層にあると、思い込んで勝手に自分たちで条件を狭めてしまっていた。けれども違う。俺の考えが正しければ……」
と、メビウスが話そうとするのを遮ってザ・ブックが先ほどの彼の質問に答える。
『照会完了しました。今現在、オリンポス内で最も厳重な警備が敷かれているのは第五層、日本中央図書館です』
「やっぱり、だよな」
納得顔でメビウスは呆れたように肩をすくめる。
「え、どういうことなの?」
どうして第五層が最も厳重に警備されていることに彼は納得しているのか。
「べつに、少し考えればわかることだった。ラプラスシステムは、ありとあらゆる情報を取り込むことでその未来予測を可能とする、という触れ込みのシステムだ。ならば、その情報が世界で最も集まる場所はどこか。それが、第五層にある日本中央図書館だ」
「ああ、たしかにそうかも」
「それに、俺たちが第五層に行った時の警備を覚えているか?」
「えーっと……」
と、第五層の図書館前に行った時のことを思い出す。降りしきるナノマシンの雨と、大量の警備用アンドロイド。
「図書館の入り口前だけでその警備だ。ほんの少しザ・ブックのアシストをもらっただけで突破できたこの第十層の警備なんかよりもよっぽど厳重だった」
「……そうだったかも」
「最初は俺たちがあの場所に向かっていると知った桜爽が待ち構えて配備したのだと思っていが……そもそも、俺たちが第二層で桜爽と邂逅してから第五層までは第三層でいったん状況の整理に立ち寄ったくらいで、あとはかなりのスピードで向かったはずだ。その魔女の荒い運転のおかげでな」
その言葉を聞いたアリサが「どういたしまして」と小さく微笑んで右手を上げる。それを無視してメビウスは続ける。
「その間にあれだけの警備アンドロイドが集められたとは考え辛い。本来、世界でいちばん管理されたこの東京オリンポス下において、警備用アンドロイドの需要は少なく、その数の人口比が世界でも有数の少なさであるにも関わらず、だ」
「じゃあ、モノちゃんは」
「ああ、きっと第五層にいるはずだ。そこにラプラスシステムの中枢となる研究所があるはず。そして、そこに桜爽も」
なんだ、と思わず溢してしまう。だって、第五層はアタシたちが住む第四層のたったひとつ上の階層で、その図書館は何度も通ったことがあって、アリサと会う前にも行ったし、メビウスと出会ってからも行った。
そんな身近な場所にこのオリンポスで最も重要なラプラスシステムの中枢があるだなんて、思いもしなかった。
「もう、そうならそうとザ・ブックも最初に教えてくれればよかったのに」
『申し訳ありません。最初に条件を指定して羂索を依頼されたもので。ですが、もう学習しましたよ』
両腕を腰に当てて胸を張る小さなおじさんはやっぱりキュートなだけだ。
「そうと決まったなら、さっそく第五層に向かいましょうか」
アリサが告げる。
「ああ、そうだな。だがここから警備用アンドロイドの監視をかいくぐりながら車のある第九層まで行くのはなかなか骨が折れそうだ。さらにそこからお前の車に乗って第五層へ向かうとなると……」
なんて第五層への道のりを計算するメビウスを嘲笑うようにアリサは笑う。
「あら、そんなの面倒でしょ?」
そう言って、彼女はこのブラックボックスの外に出る。「ほら、こっちに来て」なんてアタシたちも外に出るように促すと。
「それじゃ、急いで第五層に向かいましょうか」
と、右足のかかとで床を叩く。
トン、トン、トン。
その三回目の床を蹴る音と同時に。
「は?」
「え?」
アタシたちの足元の床が消失した。
「あああああああ⁉」
なんてメビウスの叫び声と共にアタシたちは標高九千メートル以上の高さからの自由落下を体験することとなった。




