19、始まりから終わりまで 《雲乃》
「そうだな、まずはなにから説明するべきか……」そう言って、桜爽はふと時計のほうへと目をやる。「……ふむ、まあまずは時間というものの本質を説明するか」
「時間?」
「そうだ。君は時間というものはどう流れているのか、知っているか?」
その問いに、私は考える。
「まあ、普通にこう、まっすぐ進んでいくんじゃないの?」
「そうだな、まあ多くの人はそう答える。よく川の流れのように例えられることも多いな。直線状に真っすぐ進んでいって、逆方向には進まない、と」
その説明に、私は頷く。私にとっての時間の認識はそんな感じで大体合っている。頷いた私を見て、彼は続ける。
「だが、そうじゃない」
「そうじゃない?」
「必ずしも時間が真っすぐ進む必要性はない、ということさ」
「真っすぐ進む必要性はない……時間は逆行するということ?」
「いや、違う。そういう意味ではなくて、時間の流れそのものが真っすぐ進み続けるわけではなくて、曲がりくねったりしていろいろな方向に向かって進んでいる、ということだよ」
「……そう、なの?」
「時間というものが真っすぐに進み続けなければいけない、という道理は無いだろう?」
「それは……」
たしかにそう言われればそうなのかもしれない。
「そうして時間が曲がりくねったりしながら進み続けるとそうなるか……わかるか?」
「……うーん。べつに、曲がりくねりながら進み続けるだけじゃないの?」
その私の答えに彼はふっと笑う。
「ああ、そうだな。曲がりくねったりしながら進み続けた結果、時間はかつて通った場所と同じ場所を通ることがある」
「同じ……場所?」
「そう、毛糸が絡まり合うと、糸と糸が交差するポイントがあるだろう? そういうふうにして時間はかつて通った場所と同じ場所を通る。そうなると、どうなると思う?」
「どうって……どうなるんだろう」
「べつに、難しい話じゃないさ。かつて通った場所と同じ場所を通る、するとかつて通った時と同じような世界が再構築される、というわけだ。今、私たちが生きている、この世界と同じような世界が、な」
そう言って、彼は私を見る。
「それってつまり、世界はループしているってこと?」
「いや、ループとは違う」
と、彼は首を横に振る。
また違う。彼の語る言葉はさっきからすべて私の常識の斜め上を行く。恐らくは眉間に深い皺が刻まれているであろう私の顔を見ながら、彼は続ける。
「たとえば、電車が走っていて、前と同じ場所を通ったとする。すると、見える景色はかつて通った時と同じような景色が見られる。けれどもそれは、以前に通った時と寸分違わず同じものではない。草木は揺れて前回とは違う配置になっているだろうし、雲の形も違うだろう。けれども、前回見た時とほぼ同じ光景が広がっている。そういうふうにして、私たちの世界は時間が同じ場所を通るたびに再構築される。繰り返しではなく、再構築だ。前回とほとんど同じ世界。けれども、前回とは少し違う世界だ」
「……なるほど」
今の説明でなんとなく彼の言いたいことは理解できたかもしれない。たしかに、電車が同じ場所を通るだけ、というのはループとは違うと思うし、平行世界ともまた違う考え方だろう。
「そして、未来視についてだが……未来視能力者たちが未来を視ているときの脳の働きをモニターした結果、彼女たちが未来を視ている瞬間の脳は、過去の記憶を思い出しているときの脳と同じ働きをしていると分かった」
「過去を……思い出している?」
未来を視ているのに? それは一体どういうことなのだろう。そんな私の疑問に答えるようにして桜爽は続ける。
「……君はアカシック・レコードという概念を知っているか?」
その問いに私は首を横に振る。
「知らない。アカシック・レコード……ってなにそれ?」
「アカシック・レコードとは、この宇宙の始まりから終わりまで、そのすべてのありとあらゆる過去、未来からの歴史、情報、記憶を記録した、知の集合体が存在する、という考え方さ。まあ、オカルトやスピリチュアルの類なわけだが……私はそれに近いものが存在している、と考えている。つまり、さっきも言った、これまでに何度も再構築されてきたかつてのこの世界の記憶が記録されている場所がある、ってことさ。我々はそれを始まりから終わりまで、AtoZから取ってAZと呼んでいる」
「そんなものが本当に存在すると?」
「もちろん、君が懐疑的なのも理解できる。だが、未来視という存在こそがAZの存在を裏付けている。未来視能力者たちはどこかから過去の記憶を未来視として思い出している。その“どこか”が存在することは明確なのだから。無から何かを思い出すことなどできないだろう? しかもそれがほぼ正確にこれからの出来事を言い当てるんだ。“未来を思い出す”ための記憶の保管庫、メモリーがどこかに存在する、と考えるのは至極当然のことだろう。未来視能力者はその保管庫からデータを引っ張り出す。クラウドデータからダウンロードするようなもの、と言えばわかりやすいかな?」
記憶の保管庫。たしかに未来を思い出す、というのならば、どこかから思い出す場所が必要だというのは説得力があるように思う。アイリスが言っていた、未来を変えると未来が視えなくなる、という言葉も辻褄が合う。だって、結局のところ私たちが視ていたのは過去の出来事、経験で。それと同じ行動をしなかったのならば、自分が経験したことのない選択肢を生きていくことになるのだから。
けれども。
「その記憶の保管庫AZが存在するとして……未来視持ちの人たちはどうやってそのAZから記憶を思い出してるの? それは脳の中にあるようなものじゃないでしょう?」
桜爽は良い質問だ、と片眉を上げた。
「私は記憶のデータを受信するアンテナのようなものがあるのだろう、と考えている。そのアンテナは誰しもが持っていて、そのアンテナがかすかに拾い上げる断片的な情報がデジャブと呼ばれるものなのだろう。そして、個々人のアンテナの感度にはそれぞれ差異があって、そのアンテナの感度が特に優れた者が未来視能力者と呼ばれる」
「そんな目に見えないものを貴方は信じるの?」
彼の語る言葉に一定のはあるものの、完全に信じるには決定打に欠ける気がする。やっぱりどこかオカルトじみているように思える。
けれども彼は自身に満ちた表情で続ける。
「かつては電気も電波も電磁波も放射線もそうだった。近年では魔法も。目に見えないものだったそれらを、人類は今や“科学”として完全にコントロールしている。あー……魔法はもう少し、といったところだが。とにかく、目に見えないそれらも、人類が観測し、コントロールできるようになったように。そのAZへの接続もやがてはコントロールできるようになる。それは必定だ。これまでの人類の歴史が証明している」
「そのAZへの接続がコントロール可能になったら、どうなるの?」
「さあ。わからない」
「わからないって……」
「これまでのすべての知識を得ることができるんだ。下手すれば世界が書き換わるほどの変革が起きたって不思議じゃないさ」
その言葉に、私はようやく彼がしようとしていることの大きさに気付く。
「まさかあなた、この世界そのものを変えようとしているの?」
けれども彼の返答は素っ気ないものだった。
「はっ。そんなものに興味はないよ。ただ、AZに接続できるようになれば、ラプラスシステムはさらにその精度を向上させることができる。未来視能力者たちに頼らない、本物の未来予測システム。それこそが私の望みなんだよ」
なんて、彼は言う。世界を変えられる可能性に触れながら、世界を変えることは望まず、ただシステムの向上のためにAZへの接続を目指す。それはとても科学者らしい価値観のようにも見えた。
それに、もしも彼の言う通りなのだとしたら、それは悪くないことのようにも思える。
十天使たちを不要とするラプラスシステムが完成したのならば、彼女たちは解放される。システムのために犠牲になっている人たちを解放できるということでもあるのだ。
けれども、そこに保証はない。研究に何年かかるのかもわからないし、そもそも彼の言うことが本当に正しいのかもわからない。正しいと思いながらも、その道筋が間違いである、なんてことはままあることだ。
「だから君にお願いしたいんだ。君の未来視を、AZとの接続を研究させて……」
と、そこまで言いかけたところで彼はピタリと動きを停めた。そして、コンマ五秒ほどの空白の後、舌打ちをする。
「……チッ。魔女が牢獄を突き破った。来るぞ」
そう言って、彼は私に背を向けた。
魔女がここに来る。それは、大きく事態が動くのだろうという予感を感じさせるには十分すぎるほどの言葉だった。




