18、十天使 《雲乃》
目を覚ますと、そこは見覚えのない場所だった。
白を基調とした静かな空間。その中央に大きな球体が浮かんでいる。その球体の表面には常にロールシャッハテストのような模様が絶えず浮かんでは消えてを繰り返していた。そこから幾本もの管が伸び、その球体を囲むようにして並ぶ九つの横向きに並ぶ卵形のポッドに繋がっている。そのポッドの中には人が入っているようだった。そして、その球体の真下、九つのポッドの中央に鎮座する、他のものよりも一回り大きなポッドがあった。
そのポッドに目を取られていると。
「やあ、お目覚めかな」
と聞き覚えのある声がした。振り返ると、そこには桜爽が立っていた。
「ここは……?」
「ここは私の研究室だよ。ほら、そこの」と彼は球体に指を向ける。「あれが量子コンピュータ【虹玉】のサーバーだ」
そう彼が言うのを聞いて、意識を失う直前の彼の言葉を思い出す。「未来視のサンプルがあるに越したことはない」と。つまり私は今、被検体としてこの場にいるということか。
その事実に背筋が凍る。いったいこれからどんな実験をされてしまうのか。
そんな私の不安を知ってか知らずか、桜爽は虹玉の真下にあるポッドへと歩いていき、その横の制御パネルに触れる。するとあっけなくそのポッドは開いてみせた。桜爽は私に手招きしてみせる。こっちに来い、と言いたいのだろう。こんな状況でそれを拒否して抵抗してみせるメリットなんて皆無なので、素直に従う。
まるで花が咲くようにして開いたそのポッドの中には一人の女性が入っていた。その人はゆっくりと瞼を持ち上げると、左右を確認するようにして首を振る。そして、そんな彼女と目が合った。
息を飲む。
そこには、まるで宝石のように美しい虹色の瞳があった。彼女こそがメビウスの探し求めていたアイリスその人なのだ、とすぐに理解する。その身体にはいたるところからチューブやコードが伸びている。まるで樹木の根のように。
「彼女はメタトロン……あー、あの男、と君たちが言うにはアイリス、だったか」そう言いながら桜爽は軽く頭を掻く。「彼女こそがこの東京オリンポスを支える未来予測システム、ラプラス。その根幹そのものだ」
と、告げる。
「え?」
それは少し理解し難い発言だった。未来予測システム【ラプラス】は虹玉による膨大な量の情報の解析によって予測される未来のことではなかったのか。その未来予測の研究のために彼女の未来視という能力を研究していたのではないのか。
今の口ぶりでは、彼女の未来視そのものをラプラスとして利用されているだけに聞こえるのだけれども。それじゃあ、科学でもなんでもなく、ただの予言を信じる信者にすぎない。
そんな私の疑問を汲み取ったのか、桜爽は口を開く。
「その周囲の九つのポッドにも未来視能力者たちが入っている。メタトロンと合わせて全部で十人。彼らの未来視能力で見えた未来を抽出して事前に知る、というのがラプラスシステムの仕組みだよ。量子コンピュータ虹玉はそのアシストをしているに過ぎない。彼女たちの視た情報と、今現在のリアルタイムな情報を照らし合わせて、より正確な未来を虹玉が演算して導き出す。ここにいる十人は東京オリンポスを支えている最大の功労者たちと言えるな。彼らにはそれぞれ天使の名を与えてある。我々は彼らを十天使と呼び、最大限の敬意を払って扱っている。そして、その中でも最も強力な未来視能力を持つアイリスに我々はメタトロンの名を与えたんだよ」
そう言って桜爽はお辞儀をしてみせる。まるで、トリックを成功させたマジシャンのように、大袈裟で演技がかった仕草。
ラプラスは未来視の能力者たちが視た未来を未来予測として発表していただけ。“ラプラスシステムという超特大のインチキ”と言っていたメビウスの言葉を思い出す。彼はこのことを言っていたのか。彼は何十年もアイリスを探していた。彼がいろいろと調べていく中でこの真相に行きついていたとしても不思議ではない。彼女と同じような未来視を持つ人間を探し出し、その行方を追っていたら。この真相に行きつくのは難しいことではないように思える。
再び周囲に目を向ける。白いポッドが十。十天使と呼ばれる存在。それはラプラスシステムという存在のために犠牲を強いられてきた人々。そんな人たちがいるのだと知らずにのうのうと東京オリンポスで暮らしてきていたのだと、少し、嫌悪感を覚える。
私たちはこの犠牲の上に成り立っている。
「彼女が?」と、女性の声が耳に入って、その方向へと目を向ける。メタトロン……アイリスが私を見ている。「はじめまして」
その虹色の虹彩に、吸い込まれてしまいそうになる。
ウェーブがかった長いブラウンの髪はきちんと手入れが行き届いているようで、とても艶やかだ。彼女は私に微笑みかけているけれども、なんだか作り物のような笑みだった。メビウスと同じくらいの年齢だから、やはり目元や口元に細かな皺があるのだけれども、なぜか無垢な少女のような雰囲気も纏っていて、とても不思議な感覚に陥ってしまう。
「貴女も未来視を持っているのよね?」
彼女のその言葉に、私は無言のまま頷く。
「でも、貴女がここまで来たのは初めて……」アイリスは何かを確かめながら言葉を発しているように見えた。「ねえ、貴女。いま、未来は視えている?」
その問いに、首を横に振る。
「そう。もしかして、未来を変えてしまってから今まで、一度も新しい未来を視ていないんじゃないかしら?」
そうだ。たしかに、彼女の言う通りヒカルを助けてから以降、一度もあの目眩を感じない。新しい未来は視ていない。
「ああ、それでこの緊急事態というわけね」
なんて、全部わかったみたいに彼女は言う。
いつだって、事態は私の理解の外側で進んでいっている気がして、腹が立つ。
「ねえ、どういうこと?」
しびれを切らして、つい彼女にそう訊ねてしまう。
「貴女は未来を変えてしまった。初めて、ね。だからこの先の未来は貴女には視えない、ということよ」
「未来を変えると、未来が視えない?」
その意味がよくわからなかった。未来を変えると、別の未来が視えるだけじゃないのか。未来を変えると、その先が視えない、というのはおかしな気がする。それは“未来視”とは呼べないんじゃないだろうか。
「大丈夫、次からは視えるようになるから」
彼女は言う。けれどもやっぱりその言葉の意味はよくわからなかった。未来を変えてしまった私はもう未来は視えないらしい。けれども、次からは視える、と。その次というのはいつの話だ? 未来が視えないというのは、期間限定の話なのか?
なんて、ぐるぐると思考がめぐる。
「安心して。悪いようにはしないから」アイリスは微笑む「彼は良い人よ」
と、桜爽を指さす。
「いい人?」
正直、これまでの彼の振る舞いからはとてもそうは思えない。この場所にも勝手に連れてこられたのだし。
「私が東京に連れてこられた頃には、よく遊び相手になってくれたのよ。彼と私、歳は近かったから」
「メタトロン、余計なことは言わなくていい」
桜爽が不機嫌そうに言う。昔のことだ、なんて、小声で呟いたのが聞こえてきた。
「たとえ君がこの先の未来が視えなくなったのだとしても、これまで視ることができていた、という事実は変わらない。つまり、君はAZに“接続”する能力が人並みよりもずば抜けている、ということだ。それを研究させてほしいんだが……」
「ちょっと待って、ちょっと待って。さっきから貴方たちの言っていることがよくわからない。もっと最初から説明して。そもそもラプラスシステムの仕組みを聞かされた時点で頭が混乱してるのに、未来を変えると未来が視えないとか、でも次からは視えるとか、あとAZってなによ? 接続? なによそれ」
桜爽たちはちゃんと全体像を把握したうえで話しているんだろうけど、そもそもの全体像をまったく知らない私にはチンプンカンプンだ。
「ああ、まあ確かにそうか。協力を仰ぐのなら、ちゃんと説明するのが誠意というものだろう」
そう言って、桜爽は語りだす。
この世界と、未来視というものの真相を。




