3、コラプス・ポイント
日が沈み、半分砕けた月が空にうっすらと見え始めた東京オリンポス跡地、崩落地点。
風化しつつある瓦礫の山々の合間で焚火を囲む私たちは、なんだかこれから世界を救いに向かう勇者一行のパーティみたいだ。
今や世界は救いようがないほどに荒廃しきってしまっているのだけれど。
「いやあ、こんな場所で人と出会うだなんて、と思ったんだが、まさかアンドロイドだとはな。いやまあ、話が通じる相手ならAIだろうがなんだろうがなんだっていいんだけど」
そう言って、男は「はっはー」とあまり賢くなさそうな笑い声をあげて、自らの肩に目を向ける。その肩には小さなネズミが一匹、ちょこんと大人しく乗っている。私たちと出会うまではずっとこのネズミが話し相手だったらしい。
「話せる相手なら何でいいの?」
「まさか。どうせなら楽しい話し相手がいいに決まってるだろ。そういった意味では俺はラッキーだったな」
と、男は開かれた本の上に浮かぶおじさん、ザ・ブックに向かってウインクする。
「ええ、そうですね。話し相手として私は貴方を飽きさせることはないと思いますよ」
ザ・ブックも少し誇らしげに胸を張る。
出会い頭に男はトレントと名乗った。それが彼の本名なのかどうかはわからない。もしかしたら仮名やあだ名を名乗っているだけかもしれないけれども、そんなことはどうだってよかった。今、この場には私とザ・ブックとこの男しかいないのだから、彼を彼だと識別する記号だけあればそれでいい。
どうやら彼は長い旅路の果てにこの地へと辿り着いたらしかった。そう彼はザ・ブックとの会話の中で語った。
トレントとザ・ブック。
おしゃべりな二人は相性がよさそうに見える。そんな二人の会話が弾むのを端から見ていると、なんだか自分が取り残されてしまったような気がしてきて、少し寂しい。
かといって、二人の会話に割って入るような度胸も話術もプログラミングされていない私は、二人が楽しそうに話しているのをただただ眺めている時間が増えていくのだけれども、それはそれで悪くはないな、と思う。
トレントの肩に乗っているネズミが、自分の役割を奪われたと思ったのか、なんだか不貞腐れているように見えた。
「世界の終わりを目前にして、こうして誰かと一緒にいられるってのは本当にラッキーなことだよ」
再び、そして今度は噛み締めるようにして彼は自身をラッキーだった、と言う。
それはきっと、本心からの言葉なのだろう。今や人類の数は最盛期の百万分の一以下になっている。彼のように一度人類のコミュニティから離れてしまえば、再び同胞と巡り合える確率は限りなく低くなる。きっと、彼も二度と誰かと話せる機会はないだろう、と覚悟を決めて旅を続けていたのだろう。
そこまでの決意を彼に抱かせた理由はいったい何なのだろうか。そこでようやく私は自ら彼に話しかけることができた。
「ねえ、貴方はどうして旅をしようと思ったの?」
私の問いに、トレントは一瞬だけ虚空を見つめてから、私のほうへと向き直って答えた。彼の第一印象は軽薄そう、だったのだけれども、この仕草一つで誠実に私の問いに答えようとしてくれたことが見て取れて、なんだか少し好感が持てた。
「大それた理由なんてものはないと思うぜ。ただ、人類が滅びゆくのは決定している。そんなのはバカな俺にだってわかる。人類に未来はない。俺たちの世代か、次の世代か、よくてさらにもう一つ次の世代か。それくらいで人類は終わるだろう。だからさ、別に俺の命なんかどうだっていいじゃないか、って思ったんだ」
「え?」
彼のその言葉に、思わず声が出てしまった。けれども、彼はすぐに手を振って、私の勘違いを否定する。
「ああ、いや。もう死んでやる、みたいな自殺願望とかそういうのじゃなくてさ。人類っていうのはさ、それまでの積み重ねで生きてきたものだろう? 先人たちの知恵や技術を、次の世代がさらに磨いて、新たな発見をして。そうやって進歩し続けてきた。もちろん、途中で後退するような時代もあったけどな。それも乗り越えて、さらに進歩して。けれどもさ、もう人類が滅んでしまうことが確定的なこの世界で、俺が未来に何かを繋ぐ必要性も無いわけだよ。俺の存在に価値はない。そして、無価値であるがゆえに、俺は俺の命を俺の自由に使おう、と思ったわけさ」
「なるほど、役割から解放されて自由になったわけですね」
ザ・ブックが両手を組みながら、大きく頷く。それに対してトレントも満足そうに笑みを浮かべる。
「そういうこと。何者でもない俺は無敵ってわけさ。で、俺はとにかく自分が見たことのないものをこの目に見たいと思ったんだ」
「だから、旅に出た?」
私の言葉に、彼は頷いた。
「ああ。かつて、人類の栄華の極致とまで言われた超巨大建造都市、東京オリンポス。その跡地、崩落地点ってやつを一目見てみたかったんだよ。人類が積み上げてきたもの。その残り香というか、残滓のようなものを感じたかった」
「それをこうして実際に目にして、どうだった? 瓦礫の山なんて、よその廃墟群とそう変わらないんじゃない?」
なんて、私は少し意地悪な訊き方をする。彼のこれまでの旅を否定するような問い。けれどもそれは、半ば本心でもあった。大小はあれど、瓦礫の山にそう大差は無いだろうと思ったのだ。
けれども彼は即座に首を横に振ってそれを否定した。
「まさか。ここまで壮大な瓦礫の山は初めて見たよ」なんて、彼はまるで誉め言葉のように語る。「その膨大な質量だけでもここがどれだけ特別な場所だったのかがわかるよ。それに……」
と、彼はまっすぐに私の目を見た。
「……こうして君やザ・ブックと出会えた。これはこの崩落地点だったからこその出会いだと思うぜ」
「崩落地点だったからこそ……?」
「そ。たしかにここはあまりに悲惨な災害に見舞われた場所かもしれない。一度の災害で三千万人もの死者が出たのは人類の歴史上唯一にして最大の大惨事だろう。けれども、それだけ規模の大きい被害が出るほどの巨大都市だったからこそ、君たちのように生き残ったものもあったと思うんだ。母数が大きいぶん、残るものの数も増えたんじゃねえかな」
そう言って、彼はまた軽薄そうなあの笑みを浮かべる。
たしかに、彼の言うことは一理あるかもしれない。東京オリンポスには私のようなアンドロイドやザ・ブックのようなツールも他の都市と比べて格段に多くの量が配備されていたはずだ。ならば、すべてを破壊し尽くすような大災害の中でも、一つや二つは生き残る可能性だってあるだろう。
というか、そうして生き残ったのが私たちなのだ。
それはきっと、とてつもない確率のはずで、こうして私たち三人が出会うことができているというのは、奇跡のようなものなのだろう。
だから、そうして奇跡的に生き残った私たちとトレントが出会えたこともまた奇跡で、そう思うと、この出会いもなんだか凄いもののような気がする。
「ねえ、トレントはこれからどうするの?」
なら、この出会いはもう少し大切に扱うべきなんじゃないだろうか、と思えてくる。
「ん、俺?」
と、彼は焚火を見つめながら「んー」と、少しだけ考えたそぶりを見せてから口を開く。
「どうしようか。俺にとっての最終目的地はここだったからな。ほら。見ての通り、俺、けっこうオッサンだろ。ここにたどり着くまでにかなりの時間を要してきたんだぜ。旅を始めたばかりの頃は血気盛んな若者だったなんて信じられるか? 俺だって信じられねえよ」
なんて言って、彼は腹を抱えて笑う。たしかに、若々しい彼の姿というのはうまく想像することができない。
「まあ、それなりに色々な経験を経てここに辿り着いたわけで、ある意味、俺の人生の目的は達成された。これまでこの先の未来なんてものはずっと想像してこなかったからよ。だからここから先は俺にとっては言ってみれば余生なわけで……」
どうしたもんかな、と最後の言葉は自身に言い聞かせるように呟いた。
彼がこれまでに辿ってきた旅がどれだけ過酷なものなのかは、私にはわからない。推し量る術もない。けれども、彼が呟いたその言葉が私の中の何かを突き動かす。
「じゃあさ、この先は私たちと一緒に行動しない?」
「君たちと?」
トレントは少し呆けたような表情で私の顔をまじまじと見つめる。
「そう。私たちもただ何となくこの瓦礫の山の中で日々を過ごしていただけだけどさ。どうせこの先の目的がないのなら一緒にいたっていいんじゃない、なんて思って……」
さ、なんて言い終えないうちに彼はふっと息を吐いた。
それは笑ったのか、あきれたのか。
「同情や憐れみはいらねえぜ?」
彼の言葉からはそのどちらの感情なのかは読み取れなかった。けれども、その言葉で私は彼に同情し、憐れんでいたのだと気づかされた。
「あ、いや、そんなつもりは……」
なんて、取り繕おうとする私を見て、彼は笑う。
「は。まあいいさ、いいぜ。どうせあとの人生は暇つぶしだ。俺とアンドロイドと本型ツールに搭載されたAIとのトリオってのもなんだか楽しそうだ。どうせ暇をつぶすなら面白そうなほうを選んだほうがいいだろう?」
そう言って彼は右手を差し伸ばした。それを見て、彼が握手を要求しているのだと分かったのだけれども、そういえばアンドロイドの自分が誰かと握手をするような機会は今までに一度もなかったな、なんて思い出した。基本的にアンドロイドは人間のサポートをするもので、人間と対等ではない。対等ではない、自分よりも下に見ているものを相手に握手なんて求めるはずもないのだから当然だろう。
そんなことを思って、差し出された彼の手を見ながら、約二秒。私はフリーズしてしまったのだけれども、私のようなアンドロイドにも対等に手を伸ばしてくれた彼に、私も答えるようにしてその手を握る。
生涯初めての握手というものは、これまでに経験したことのない、なんだか不思議な感覚を私に教えてくれた。




