2、崩壊した世界での新たな出会い
そう言って、三頭身のちょびヒゲ燕尾服のおじさんが頭にちょこんと乗った小さなシルクハットを持ち上げる。
おじさんは開かれた本の上に浮かび上がるようにして現れ、タップダンスを踊るような軽やかさで、大げさにも見える仕草で、楽しそうに昔のお話を私に聞かせてくれた。そういうふうにして、いつだって彼は、私に私の知らない物語を聞かせてくれる。
彼はザ・ブック。
日本中央図書館の利用者支援用自立AI搭載本型ツール、らしい。詳しくはよくわからないけれども。えんじ色の重厚な雰囲気をまとった本の形をとったツールを開くと、そこから空中にこのザ・ブックの姿がホログラム映像で浮かび上がる。
ある日、瓦礫の中から見つけた本の中から飛び出してきたおじさんは、まるで物語の聞き手の登場を待ちわびていたかのように矢継ぎ早に語りだしたのだ。
『いやあ、まさかこうして再び誰かと出会える日が来るとは思いませんでしたよ。このまま瓦礫の下で朽ちていくのを待つばかりかと思ってましたが。私は日本中央図書館で利用者のお手伝いをしていました、ザ・ブックと申します。以後お見知り置きを。貴女は実に二百年ぶりの話し相手だ。さあ、なにからお話ししますか? 私のメモリーには古今東西のありとあらゆる書籍、映像、物語が記録されています。貴女の望む物語を提供いたしましょう』
まるで飢えた獣のように話したくて話したくて仕方がない、といった彼の勢いに、思わず仰け反ってしまいそうになったけれども、それまでたった一人で孤独に崩落地点を彷徨っていた私にとっても、その出会いは奇跡のような輝きに思えて、嬉しかった。
だから、彼と行動を共にするようになったのは必然だったのだろう。その日以来、私の放浪の日々はすごく賑やかなものとなった。
「でも、愛なんかが本当に回路に影響するのかな?」
今日のお話を終えたザ・ブックを両手で支えながら、私は彼に尋ねる。
「もちろん。貴女が思う以上に愛というのは強力なものなのですよ。愛ゆえに人類は繁栄し、そして愛ゆえに今、人類は滅びつつあるのですから」
そう言って、彼は自分のヒゲをクリクリと指でいじる。
「ザ・ブックはさ、愛とかロマンとかを信じてるよね。AIなのに」
「ええ、理解はできませんが、理解できないがゆえに信じることができる、といった感じでしょうか。科学者が科学の深淵にダイブし、真理へと近づくほどに神の存在を意識する、というのと似ているかもしれませんね」
「そういうものなのかな」
「そういうものです。古今東西ありとあらゆる物語を知る私だからこそ、触れることのできる感覚がある、といったところですね。ま、私に物理的に触れることのできる身体なんてものはないのですが」
ホログラムAIジョークを自分で言って自分で笑うザ・ブック。私にはそれを笑っていいものなのかどうかの判別がつかないので、スルーする。
「ザ・ブックはさ、実際に愛でおかしくなっちゃったAIをその目で見てきたの?」
「いえ、実際には見たことはありませんが、ただその物語はデータとしていくつか私のメモリーの中に保管されています」
「ふーん、そっか。愛を知る、っていったいどんな感じなのかな」
「さあ。それは私よりも貴女のほうが解答に近いんじゃないでしょうか。なにせ、貴女に搭載されているAIはより人間に近づくように、感情を抱くようにプログラミングされたAIなんですから。完全に人のサポートに徹するように組まれた私のAIのプログラムなんかよりも、よっぽど愛に気付き、知ることができる可能性は高いと思いますよ」
「こんな、出会いもなにも無い世界で?」
あたりを見渡してみると、瓦礫まみれの荒涼とした大地がどこまでも広がっているだけ。そこに出会いの予感は微塵も感じられない。かつて、この場所に人類の歴史上もっとも栄華を極めた世界最大の都市、東京オリンポスがあっただなんて、誰が信じられるだろうか。
あまりの壊滅ぶりに復興さえも諦められ、世界中から見捨てられた場所。
けれども。
「なにも無くても、その無さえ愛することができてしまうのが、人類の美点のひとつです。貴女なら、その境地に至ることもできるかもしれませんよ。それに、今はなにも無くても、これから先、誰かと、なにかと出会うこともあるかもしれませんし」
なんて、ザ・ブックはこんな世界でもポジティブで、そんなところは見習うべきなのかもしれないな、なんて思う。
「ま、そりゃ可能性はゼロじゃないかもしれないけどさ」
ゼロじゃないけど、限りなくゼロに近いのならば、それはもはやゼロと言ってしまっても差し支えないだろう。
荒廃した大地を見渡して、ひとつ溜息を吐いてから空を見上げる。
そこには薄い水色の空に溶けるように、うっすらと月が浮かんでいるのが見える。けれども、その月は半分欠けている。それは、今日が暦の上で半月の日だから、というわけではなくて。そしてもちろん、比喩でもない。
実際に月の下半分が欠けているのだ。
月は物理的にその半分が砕け、残骸が月の周囲に散っている。砕けた月は徐々にこの地球へと近づいてきているらしいけれども、地球に落下するまではまだ数万年はかかるらしい、ということは知っている。
その月を砕いたのは人類だ。
月面での新エネルギー開発の実験に失敗。大爆発とともに月の半分を吹き飛ばし、人類の衰退を決定づけるトリガーとなった。今やこの地球上に人類は数万人しか生存していないらしい、という話を聞かされたのは百年くらい前のことだったか。今はもっとその数を減らしているのだろう。
人類という文明が滅びゆく中で、その人類が生み出したアンドロイドという存在も同様に消えゆくのは必然だ。だから、このまま私たちは静かに荒廃した世界を彷徨いながら朽ちていく。
そうして人類が築き上げてきた世界は終焉へと向かっていくのだ。
いまさら新しい出会いなんてなく、ザ・ブックと出会えたことこそが奇跡で、最後の夢のようなものなのだろう、なんて思っていた、
──アレを聴いてしまうまでは。
「……ねえ、聞こえる?」
「なにがです?」
ザ・ブックは気付いていないらしい。
それは、一定のリズムで刻まれる音。けれども、メトロノームのように正確無比なリズムではなく、不正確で不格好で不器用な音。けれどもどこか、楽しげな人の歌声。
その歌声は私の背後、少し遠くから。
振り返ると、そこには変わらず瓦礫の山が広がっている。けれども、その瓦礫の山の谷間のひとつ、その隙間に何かが動いたのが見えた。
「ほら、あそこ」
私が指をさした先を、ザ・ブックはホログラムの双眼鏡で覗き込むけれども、その双眼鏡が本当に機能しているのかどうかはわからない。
「ふむ、なにかいるみたいですね」
なにか、もなにもない。だって、聞こえてくるのはヘタクソな歌声で、目に見えるのはどう見たって人影なのだから。
人影はしばらくして私たちの姿に気が付いたのか、まっすぐにこっちへと向かってくる。
「ほら、こっちに来るよ」
「そのようですな」
「え、なんでそんなに冷静なの?」
「ありとあらゆる物語を網羅する私ですよ? この世の中にはどんな出来事だって起こり得る、と知っていますから。ここで誰かと遭遇することだって驚くことではありませんよ」
こんな状況で、そんな達観したことを口にするザ・ブックは頼もしいのか、それともただただ空気の読めないだけのAIか。
人影は明確に、その顔を認識できるほどにまで近づいてきた。
それは、大きなバックパックを担いだ男の人だった。無精ヒゲを生やした、肩にまでかかる髪には半分くらい白髪が混じる、推定四十代くらいの男性。
彼は私たちと向き合うと、五メートルほどの距離で足を止めた。
「は。まさかこんなへんぴなところで出会いがあるなんてな」
なんて言って、軽薄そうな笑みを浮かべる。
こんな崩壊した世界での新たな出会い。それは何かが変わる予兆だろうか。いや、そもそもこうして出会ってしまった時点でもうすでに何かが変わり始めているのかもしれない。




