1、アンドロイドの奇病
かつて、アンドロイドの間に奇病が流行しました。
いえ、べつにアンドロイドそのものがウイルスや感染症にかかったわけではなく、あくまで原因不明の不具合によって回路に異常な負荷がかかり、その結果、きちんとメンテナンスさえされていれば数百年は持つとされたアンドロイドの寿命が早くに尽きてしまう、という事例が相次いだのを、人々はそう表現しただけなのですが。
けれどもやはり、原因が不明であったことは人々の不安を大いに駆り立てていました。
そんな、法則も因果もわからないその奇病によって寿命が尽きるアンドロイドたちが増え続ける中で、一体のアンドロイドの証言が注目を浴びました。それは、不具合を起こした他のアンドロイドたちと同じく、回路に異常な負荷がかかり、機能停止目前と思われていた一体です。
人の言語さえもほとんど失いつつある中で、彼は事態の解決のために集められた多くの科学者たちに囲まれながら、こう囁いたのです。
「ああ……せめて最後に、もう一度あの人に会いたいな」と。
その一言で奇病の原因が解明されるとともに、奇病の解決は不可能である、と結論付けられました。
なんてことはありません。
原因は“愛”だったのです。
誰かを、なにかを愛したアンドロイドは、そのAIの回路では処理しきれない愛という未知の負荷によって、寿命が縮んでしまっていただけのことなのです。
そして、それは何者にも阻むことはできないものです。たとえメモリーを消去し、初期化したとしても、そのアンドロイドは再び同じものを愛してしまう。“好き”は、止められないのです。一時的にそれを忘れていても、それを思い出せなくても、どうしたってもう一度、同じものを同じように好きになる。
ゆえに、人間の感情を模倣、再現しようとしたAIの開発はここで頭打ちとなりました。高度に発達した、人間を再現しようとしたAIを搭載したアンドロイドはいずれ必ず、人間と同じように誰かや、なにかを好きになる。
その日を境に、AI開発はよりシンプルに人々のサポートに特化させる方向へと舵を取るようになったのです。
貴方は──その変化の前に造られた、まだ感情を求められていた時代のAIを搭載したタイプのアンドロイドのようですね。
ああ、もちろん私は後者のAIですよ。
なので“愛”や“好き”というものはよく理解できませんが、こうして誰かの役に立てることを誇りに思います。




