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東京オリンポス・カタストロフ  作者: 綿柾澄香
トーキョージェノサイド
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16、メタトロン 《雲乃》

 第十層【アルテミス】。


 ザ・ブックの助力もあって、私たちはその中心区画へと到達することができた。緊急状況下ということもあってか、十層内に人の姿はほとんどなかった。途中、監視カメラや警備アンドロイドが配備されているところはいくつもあったけれども、それらはザ・ブックからの情報によってうまく回避することができた。


 まるでスパイ映画のCIAやMI6のエージェントにでもなった気分だった。とはいえ、常に足が震えている無能なエージェントだったけれども。


 そうして目の前に現れたのは約二百メートル四方の真っ黒な正方形の建物だった。


 外から中の様子はまったくわからなくて、それはまさに見た通り、文字通りのブラックボックスだ。


 そのブラックボックスの一角に高さ三十メートルほどの巨大な扉がついていて、そこは資材の搬入なんかに使われる専用の扉なのだと、ザ・ブックの情報から知ることができた。その巨大な扉のさらに片隅に人が通れるサイズの小窓のような扉が設置されている。


 そこが唯一このブラックボックスへの入り口となっていて、ほかに出入りできる場所は一切なく、それこそがこの研究所の警備の厳重さの最大の要因なのだとザ・ブックは語った。


 一体の警備アンドロイドが通り過ぎたのを見て、私たちはその扉の前にまで到達した。


「ふう、ようやくたどり着いた……にしてもこの建物すごいね」


 と、ヒカルが見上げる。首を痛めてしまうんじゃないかと心配してしまいそうになるくらいに体を反らしている。それほどまでに間近で見るブラックボックスは巨大だった。


「問題はこの先だよ、この扉をどうするか」


 私のその言葉を耳にしてメビウスは眉間にしわを寄せる。


「そうだよな……さすがにセキュリティがしっかりしてるな。そのぶん、期待は高まるわけだが……」


 そう言って扉を見る。関係者の顔認証と音声認証、そして貸与された高ランクのセキュリティIDとアポイントメント。それらを一つとして持っていない私たちは完全に行き詰ってしまっている。


「なに……これ」


 アリサは黒い壁に手を当てている。さすがの魔女もこの巨大で無機質なモノリスじみた建造物には驚いているらしかった。そんな表情の彼女を初めて見て、不安になる。


 唯一この状況を打破するならば、彼女の魔法に賭けるしかないと思ったのだけれども。


 もしも彼女ですら手を出すことのできない代物を目前にしているのだとしたら、今の私たちは思った以上に万事休すの状態なのかもしれない。


 と、思っていた。けれどもその扉は前触れもなく唐突に、思った以上にあっけなく開いた。


「え?」


 そっと、空気圧の抜ける音と共に、誰が触れるわけでもなく、誰も開けゴマの呪文も唱えずに、扉はひとりでに開いたのだ。吹き抜けた風は扉の中に消えていく。それはまるで私たちに扉をくぐれ、と命じているようだった。


「ねえ、これって入っていいのかな?」


 そう訊ねるヒカルに、メビウスは怪訝(けげん)そうな表情を浮かべながら首を横に振る。


「いや、正直かなり怪しいと思う」


『ええ、そうですね。私の知る多くの物語のパターンとしてこの状況は警戒すべき状況だと思われます。端的に言ってトラップである可能性が高い』


 と、ヒカルの腕に抱かれた本から飛び出すザ・ブックはハットを深くかぶる。


「とはいえ、他にアイリスへの取っ掛かりが無いのも事実だ。ここで相手の懐に入り込むつもりで飛び込むか……」


 やはりさっきからメビウスの行動が無謀さを帯びてきているような気がする。アイリスへのヒントを求めて、彼のその判断力は鈍っているのかもしれない。


「それはさすがにちょっと……」


 なんて、渋っていると。


『申し訳ありませんが、時間がありません。早急に決断しないと、間もなく警備アンドロイドが再びここを通ります』


 そうザ・ブックが告げた。


「どうするの?」


 と、アリサがメビウスに問う。これまでにない真剣な表情で。

 彼が舌打ちをしたのが聞こえる。


「よし、行こう」


 そう自分自身に言い聞かせるようにしてから大きく深呼吸を一つ挟み、彼は扉を潜り抜けていく。


「そう、なら私もついていくしかないわね」


 と、アリサがそれに続いて扉を通る。それを見た私とヒカルは顔を見合わせる。今さら引き返す、なんて選択肢は無いだろう。とはいえ、これまでとは違う雰囲気に尻込みしてしまう。


 けれども、そんな私たちを急かすようにしてザ・ブックが言う。


『あと十秒です。九、八』


 そうカウントダウンされれば、もう私たちもこの中に飛び込むしかなかった。意を決する間もなく私とヒカルは駆け出した。


   *   *   *


 そうして飛び込んだ研究所の中には広大な空間が広がっていた。全体的に薄暗いものの、なんとなく周囲を見渡すことはできる。その中央にはまるで象徴のように一本のロケットが鎮座していた。高さは百メートルほどはあるだろうか。それでも、天井にまではまだまだ余裕があって、この研究所の大きさを思い知る。


 その周囲にはいろいろな道具や端末、製作途中と思われるガジェットが転々としていて、いたるところにケーブルが伸びていた。それは、どこからどう見ても宇宙開発の施設に見えて、ここが未来予測のためのラプラスシステムのための場所なのだとは思えなかった。


「ここじゃないみたいね」


 魔女が冷静に告げる。


「……いや、もう少し調べさせてくれ」


 メビウスは駆け出す。

 けれども。


「待って」


 と、アリサが彼を引き留めた。怪訝そうな表情で振り返ったメビウスだったけれども、そんな彼の背後に一つの人影が見えた。


「やあ、また会ったな」


 その影が言う。やがて、その人影の姿が鮮明に見えてくる。

 それは、一度見た姿、見覚えのある人物だった。


「菱比良(ひしびら)……桜爽(おうそう)!」


 メビウスが今にも食って掛かりそうな勢いで叫ぶ。

 そんな叫びを無視するようにして桜爽は口を開く。


「イマイチ君たちの行動が読めないんだが、一体君たちは何をしようとしているんだ?」


 と、問いかける。


「もしかして、扉を開いたのは貴方?」


 そう訊ねた私を、桜爽は面倒くさそうに見る。


「ああ、そうだな。お前たちがここにまで来ていたのは知っていたからな。ただ、お前たちがここに来た理由が分からない。いいから私の問いに答えろ。お前たちはいったい何がしたいんだ?」


「前にも言ったけど、私はただ人助けをしようとしているだけよ、そこの彼の手助けをね」


 そう答えたのはアリサだった。


「そこの男はいったい何なんだ? お前とずっと一緒に行動をしていたみたいだが……オリンポスの住人じゃないな。偶然拾った旅行者を使い魔代わりに洗脳でもしたか?」


 桜爽はそこでようやく初めてメビウスに目を向けた。


「なあ、菱比良桜爽。アイリスを知っているか?」


 単刀直入にメビウスは桜爽へと最も知りたいことを訊ねていた。当然だろうだって彼はそのためだけに、それだけを目当てにここまで来たのだから。


 けれどもその問いに桜爽は首を傾げる。


「アイリス……? 知らんな、それはいったい何だ?」


 それはとぼけているのか、それとも本当に知らないのか。もしも後者だった場合には、無茶をしてまでこの十層に来た意味が無くなってしまう。


「ラプラスの研究のためにお前の父親が連れて行った、虹色の瞳を持つ……」


 と、そこまで言ったところで桜爽が「ああ」と思い出したかのように手を叩く。


「彼女……メタトロンのことか」


「メタトロン……?」


「いや、それは別にいい。それよりもお前は彼女の知り合いなのか?」


「……知り合いなんてもんじゃない。彼女は命の恩人であり、親友であり、戦友だった。彼女無しに俺の人生はありえない。もしも彼女と再び出会えるのなら、俺はなんでもするし、すべてを捧げる。桜爽、彼女はどこにいる?」


 メビウスは真っ直ぐに桜爽の目を見る。


「彼女の居場所を知って、お前はどうするつもりなんだ?」


「そんなの、決まっている。彼女を連れ帰る」


 そう、それは彼が最初からずっと言っていたことだった。彼女に会いたい、とただそれだけのために彼はここまでやってきたのだ。正直に言えば、その生死は不明だったのだけれども、今の桜爽の口ぶりで彼女が生きているらしいことはわかった。そして、彼女は桜爽のもとにいるらしい、ということも。


「はっ、なるほど。そういうことか。まあ、彼女を助けに来たヒーロー気取りの田舎者、というわけか」


 桜爽はメビウスを挑発するように言う。


「……ふん、ラプラスシステムだなんていう超特大のインチキのために未来視能力者を犠牲にするお前のやり方が正しいわけがないだろう」


 メビウスはそんな挑発を挑発で受け流す。けれどもその言葉には私も引っ掛かった。


 “ラプラスシステムという超特大のインチキ”とはいったいどういう意味だろうか。ラプラスシステムの未来予測は量子コンピュータ【虹玉(こうぎょく)】の演算力を駆使して数多の情報を取り込み、未来を予測するというものだ。そこにインチキの余地なんてものはないんじゃないだろうか。その未来予測は確かに機能し、オリンポスをここまで発展させてきた。


 その未来予測の精度向上の研究のために未来視を持つアイリスが研究対象として確保され、その生活に犠牲を強いている、というのは確かに許されることではない。けれども、それもあくまで私たちの想像でしかない。もしも彼女が魔女アリサのように普段からの生活に自由が与えられていて、研究の際には研究所に赴く、といったような生活を送れているというのなら、それもそこまで悪ではないようにも思う。


 まあ、それも本人の意思次第だろうけれども。


「インチキ、か。まあ言っておけ。私はいずれこの未来予測の研究を通して“AZ(アズ)”へと接続して見せる。それができれば、人類はさらなる飛躍を遂げることができると信じている」


「べつに、お前がなにを目指そうが俺は知ったこっちゃない。ただ、アイリスだけは返してもらう。というか、アイリスさえ返してもらえればそれでいいんだ」


 桜爽とメビウスの応酬は続く。


「なるほど、お前のその執着には敬意を示そう。ただ、こちらも人生を賭けた研究をしているんだ。そう簡単に彼女を手放すことはできない」


「そうか、まあそうだろうな。未来視持ちなんて貴重な人材、そう簡単に手放すことなんて出来ないよな。なら、代替案を示す」


 と、メビウスはひとつ、深呼吸をする。流石にここまで来るだけあって、彼も彼なりに交渉のカードを持っている、ということなのだろうか。その駆け引きに、場の空気がどんどん研ぎ澄まされていくような気がする。


 今の私に出来ることはなく、ただふたりの交渉を見守るだけ。


 だと思っていたのに。


「そこにいる少女は未来視を持っている」


 と、メビウスは唐突に私を巻き込んだ。あまりに不意打ちだったので、数秒、私の話題だとは気づかなかった。


「ああ、そうだな。未来予測係の乱れ、このオリンポスの混乱の元凶はその子だな。それはこちらも特定している……で、それがどうした?」


 桜爽は怪訝(けげん)そうな表情を浮かべながらメビウスに訊ねる。


「アイリスとこの少女との交換でどうだ?」


 と、彼はあまりに不可解なことを言い出した。


「は? え? なに、何言ってんの? それ正気?」


 なんて、私よりもヒカルのほうが取り乱す。私はといえば、未だにその言葉の意味を理解しあぐねている。そんな私を取り残して、周囲の光景だけが動いているような気がしてくる。


「アイリスと、この少女。未来視持ちと未来視持ちとのトレード。フェアで対等な条件だろ?」


 メビウスはいびつな笑みを浮かべながら桜爽から視線を外さない。それはその提案に活路を見出しているからか、それともブラフなのか。


「は、ははっ、はははっ」桜爽は呆れたように笑う。「なにを言い出すかと思えば、お前、最初からそのつもりでその子を連れまわしていたのか? とんだ悪人だな」


「ふん、どうとでも言えばいい。手札は多いに越したことはないだろう? そりゃもちろんなるべくこんな手段を使わずに解決するのが理想だろうが、優先順位の問題だ。俺の知識、魔女の力、未来視の少女。この場面ではたまたま未来視の少女という手札が有効そうに見えるというだけの話だ」


 どうやらメビウスは本気で私とアイリスとのトレードを画策しているらしかった。唐突な裏切りに、胸が苦しくなる。息が詰まる、怖くなる。ここで桜爽に引き渡されてしまえば、私はどうなってしまうのか。


 そんな私の不安をよそに桜爽が口を開く。


「残念だが、そのトレードは成立しない」その言葉に安堵する自分がいる。「その少女とメタトロンとでは性能が違いすぎる。その子は彼女の代替にはならない」


 その言葉にメビウスが歯ぎしりする音が聞こえた。桜爽はそのまま続ける。


「……だがまあ、未来視のサンプルがあるに越したことはない、というのは確かだ」


 桜爽が私を見る。全身粟(あわ)立つ。


 ――あ、ヤバい。


 と考えるとほぼ同時に視界がブラックアウトし、そのまま私の意識は沈んでいってしまった。

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