8、かつての記憶を 《雲乃》
「かつて、最悪の魔女と恐れられ、絶大な力を我々に誇示した偉大なる魔女、柏木アリサ。貴女にひとつ、訊ねたいことがあります」
メビウスのその改まった口調に、魔女アリサの目つきが変わる。
「あら、なにかしら」
「貴方はこの地で東京オリンポスが建造されていくさまを見届けてきた生き証人です」
「ええ、まあそうね」
「ということはこのオリンポスの……ラプラスシステムによる未来予測のメカニズムについてはご存じで?」
私には彼がなにを訊ねたいのかがわからない。ずっと探しているという女性について訊ねるのかと思った。けれども彼は東京オリンポス、ラプラスについて訊いている。
アリサは「はっ」と息を吐き出すようにして笑い、口を開く。
「メカニズム、なんて回りくどい言い方なんてしなくてもいいじゃない。貴方、分かっているんでしょう。ラプラスシステムというものの醜い真相を」
その回答にメビウスは眉をしかめる。
私には、魔女アリサのその言葉の意味が分からなかった。だって、ラプラスシステムはすごいものだ。ラプラスシステムのおかげで人類は高精度の未来予測を可能とし、この世界に莫大な恩恵をもたらした。私が時々視るような不完全な未来視なんかとは比べ物にならないほどに優秀なシステムで。それが醜いだなんて、なにを言っているのだろう。
しかも、性能が不十分だとか、不完全だとか、不安定だとか、改善の余地があるだとかじゃなくて“醜い”と評したことが気にかかる。
魔女は続ける。
「まあ、でもそもそもこれまでの人類の歴史も数多の犠牲の上に成り立っているものだし、東京オリンポスが多少の犠牲の上に成立しているのだとしても、それはそれでそのリターンに見合うものなのだとしたら、受け入れざるを得ないんじゃないのかしら。人間って、そういうものでしょう?」
その言葉に、メビウスが歯を食いしばるのがわかった。
――彼は、彼女の発言に怒っている?
そして、やっぱり魔女の言葉に引っかかる。彼女は、このラプラスシステムが犠牲の上に成り立っている、と言った。けれども、ラプラスシステムは量子コンピュータ《虹玉》の演算によって成立している。そこに何の犠牲があるというのだろうか。せいぜい、そのメンテナンスなんかに関わるエンジニアたちの労働時間くらいのものじゃないだろうか。それを犠牲というのならば、少し大仰な物言いだと思う。人が働くのは普通のことだ。
じゃあ、考えられるのはそれ以外のなんらかの犠牲が存在するということ。けれどもそんなもの、私には皆目見当がつかない。
魔女はなにを知っている? そして、メビウスはなにを隠している?
「……では、貴女はラプラスシステムを許容する、と?」
メビウスのその声は、かすかに揺らいでいるように聞こえた。
「許容もなにも、そもそも興味が無い。ラプラスシステムでどれだけ人類が栄えようと、ラプラスシステムを廃棄して困難な道のりを選ぶのだとしても、どっちだっていい。どちらを選択するにしても、私は人間を愛おしく思うでしょう」
「はっ。どこまでが本音なんだか。ぜんぜんわからないな」
「あら、私はいつだって本音で話しているわよ。嘘をつく必要性なんて無いしね」
メビウスの挑発を無視するように魔女は淡白に返す。
場には再び沈黙が訪れる。
メビウスと魔女アリサがなにかを探り合っているのだろう、というのはわかるけれども、それが一体なんなのかが分からない以上、私とヒカルはただただ二人のやり取りを見守るしかできない。
「貴女は……」と、先に沈黙を破ったのはメビウスのほうだった。「……人間を愛していると言う。なら……なら、人間である俺に力を貸してもらえますか?」
泣きそうな声で、けれども泣かないように、堪えるようにして彼は言う。
「そうね……」アリサはそんな彼の表情を前にしても変わらずに淡々と言葉を紡ぐ。「……貴方が私の寵愛に値すると私が思えるのなら、力を貸すのも悪くないかしら。貴方は私の興味を引くことができる?」
メビウスは少し目を伏せてから再び顔を上げると、力強く、射貫くような視線を魔女に向ける。
「ああ、わかった。なら、俺の話を聞いてくれ。べつに特別でもなんでもない、この世にごくごくありふれた平凡な物語かもしれないが、俺がこの東京にやってくることになった理由だ。というか、俺が語れる物語なんて、これだけしかない。でも、それでもその物語は俺のすべてだ」
「ふうん、いいんじゃない? 聞かせてよ、面白そうじゃない」
アリサは楽しげにメビウスのその話を促す。
「俺がこの地、東京にやってきたのは一人の少女を探してのことだ……いや、少女だったのは昔の話か。互いに幼いころに離れ離れになって以来一度も会っていないが、俺と同い年だったから、今じゃもうおばさんになっているはずだ。とにかく、そんな彼女と出会ったのは紛争の絶えない俺の国でのある日のことだった……」
と、メビウスは滔々とかつての記憶を語り始めた。




