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東京オリンポス・カタストロフ  作者: 綿柾澄香
トーキョージェノサイド
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6、メビウス 《雲乃》

 おそらく、日本人ではない。年齢は四十代か五十代くらいか。肌の色は浅黒く、顔の彫りは深い。虹彩の色は濃い緑色をしていた。まあ、オリンポス完成後から東京には海外からの移住者も多くいるから、べつに外国人が下町にいたとしても不自然ではない。


 男は、目を見開いて駆け寄ってくる。


 ――ああ、厄介なことには巻き込まれたくはないのに。


 ただでさえ慣れないオリンポス外の下町でトラブルだなんて御免だ。


「君は、未来が……」

「いえ。見えません」


「でも今のは……」

「たまたまです」


「いや、しかし……」

「ご心配ありがとうございます。もう大丈夫なので。それでは」


 と、男の言葉を受け流し、ヒカルの手を取って歩き出す。さっさとこの場を離れるのがベストだろう、と。


 けれども、そのヒカルの手を取った私の手首を掴まれた。


「ちょっと、ちょっと待ってくれ! せめて俺の話だけでも聞いてくれないか?」


 必死に追いすがるその男に、少し怯んでしまう。


「ねえ、やめてよ!」


 そんな男のしつこさにしびれを切らしたのか、ヒカルが声を荒げる。きっと、勇気を振り絞ってくれたのだろう。その声はかすかに震えていた。けれどもその直後、彼女がはっと息をのんだ気配を感じた。


 なんだろう、と彼女を見てみると困惑した表情で男を見ている。それにつられて私も男の顔を見て「えっ」と、思わず声を漏らしてしまった。


 男は大粒の涙をぽろぽろとこぼしていたのだ。


 大の大人、おじさんと言ってもいい年頃の男の人が、こんなにもみっともなく涙を流す姿なんて、初めて目の前で見て、思わず動揺してしまった。そして、彼に対する恐怖心は綺麗に消え去ってしまっていた。


 これだけ必死に訴えかけてくる人の言葉に、耳を傾けたくなるのは不自然なことではないだろう。


「ねえ、話くらいは聞いてあげてもいいんじゃないかな?」


 なんて言うヒカルに、私は小さく頷(うなず)いて同意する。


「いいよ、わかった。話を聞くだけなら、ね」


 その言葉を聞いた男はありがとう、ありがとうと何度も繰り返した。


   *   *   *


 老朽化した看板が落下してきたあの場所は危険だと判断して、近くの公園に移動し、そのベンチに男は腰掛けた。私とヒカルはその男の前に立つ。


「で、話って?」


 そう問いかけると、男は大きく息を吐き出す。


「そうだね。話、だったね。どこから、なにから話すべきか……ああ、そういえば自己紹介がまだだったか。俺はメビウスだ、よろしく」


「あー、えっと、私は伊達雲乃」


「私は夏目ヒカル。よろしくお願いします」


 互いに挨拶を交えて、メビウスは小さく考える素振りを見せる。なにから訊こうか、どんな言葉を選ぼうか、慎重に選んでいるように見えた。約五秒の沈黙を経て、彼は口を開く。


「まあ、まずはこれを確認しないことには話が進まないか……」と、彼はまっすぐに私の目を見る。「……正直に話してほしい。君は未来が見えるのか?」


 その問いに、私は隣のヒカルと顔を見合わせる。これは初対面の相手に明かしてもいいものなのだろうか、と。


 この力が特別なものなのはわかっている。けれども、これまでこの力を特に有効活用も悪用もすることなく暮らしてきた。だから、この力が特別だとわかっていても、強力なものではないと思って今まで生きてきた。


 けれども、今は違う。


 今日、ついさっき。私はこの力でヒカルを救った。この力が、人の命の結末を左右したのだ。そんな力を持っている、とまだ出会ったばかりのよく知らない相手に明かしてしまうのは危険じゃないのか。でも、そもそもこのメビウスにはその瞬間を目撃されてしまっている。明らかに未来を見たとしか思えないタイミングでヒカルの救出する瞬間を。ならば、もうバレてしまっているわけで、わざわざ隠すような相手でもないのかもしれない。


 なんて、逡巡(しゅんじゅん)する私を見て、メビウスはふっと笑った。


「いや、まあそうだな。ここですぐに回答できない、というのがもはや答えみたいなものだな」


 なんだか、思考を見透かされたみたいで内心少し不快だったけれども、彼の言うことは間違っていない。こんなイエスかノーかで答える質問に即答できない時点で、私は彼の問いを認めたも同然なのだろう。


「べつに、隠すようなことじゃないさ。今や魔法はこの世界には実在するんだと科学的に証明されたんだから。未来が見えることだって、そりゃあり得るさ……というか、そもそも俺は未来視が存在する、ということを知っている」


「え?」


「俺の……知り合いにな、いたんだよ。未来が視える、なんてヤツが」


 彼のその言葉に、俄然(がぜん)興味が湧いてくる。私と同じように未来が見える人がいる。そんな人がいるのなら、会ってみたい。その人に、未来が視えるがゆえの苦労や苦痛を共有したり、生活のアドバイスをもらったりしたい。


「あの、その人は今どこに?」


「さあな。もう何十年も会っていない。だが、その人は俺の命の恩人であり、親友であり、戦友だった。だから、もう一度会いたいと願ってここに来た。この、東京オリンポスに」


「どうしてオリンポスに?」


「……ここは世界でもっとも科学技術が進歩し、富み、栄えている場所だ。人口も世界最大の都市。世界でいちばん情報が集まるという世界最大の図書館もある。ここでなら、彼女を見つけられるヒントが見つかるかもしれない、と思って来たんだよ」


「ああ、なるほど。そういうことか。で、あなたが探している未来視を持つというその友人と同じく、このモノちゃんが未来視を発揮した場面に遭遇したから、何らかの関係性があるんじゃないかと思って話しかけてきた、ってことですね」


 と、ヒカルは私の肩を小さく叩く。


「まあ、そういうことだな……ってことで、訊きたいんだが、アイリスっていう名前に聞き覚えはないか?」


 残念ながら、そんな名前に心当たりはまったく無かった。私は小さく首を横に振る。それを見た彼は目を伏せる。


「そうか。まあ、そう簡単にヒントが見つかるとも思ってはいなかったが……なあ、一つお願いがあるんだがいいかな?」


「ん……まあ、内容による」


「は。まあ、そうだな。そうだよな」と、彼は自嘲気味(じちょうぎみ)に笑みを浮かべる。「いや、そう無理難題を吹っ掛けようってわけじゃねえよ。さっきも言った、このオリンポスにある世界最大の図書館まで案内してくれないか?」


 そう言って、メビウスは右手を差し出した。


 彼の言う世界最大の図書館、日本中央図書館は第五層「アテナ」の中央に浮かぶ巨大な球の中にある。とても目立つし、迷うような場所でもないと思うのだけれども、それでも恐らくこの東京に初めて来たであろう外国人のメビウスが不安に思うのも無理はないかもしれない。


「まあ、それくらいならいいか」


 と、メビウスの差し出した右手を握る。


「よかった、助かったよ」


 そう言って、彼は握手したその手に軽く力を込めてから放した。けれども、それを見たヒカルが「あっ」と声を上げた。


「どうしたの?」


 訊ねると、彼女は小さく唇を尖らせながら言う。


「いや、アタシたち、魔女の館に向かっているところだったじゃない?」


「……うん、そうだね」


「もしかして、今回はパス?」


 まあ正直、あの看板の落下事故というトラブルを回避できただけでもう満足しきってしまった感はあった。もう今日は引き返してもいいんじゃないか、と。そこにメビウスの図書館案内が差し込まれたのならば、もう今日は魔女の館はあきらめてまた後日にしてもいいんじゃないかと思う。


 けれども、そもそも今日の最大の目的は魔女の館だったわけで、それを楽しみにしていたヒカルが諦めることを渋るのも理解できる。意外と彼女はそういった部分で我を通す一面も持っているのだ。


 どうすればいいものか、と考える私の思考を遮ったのはメビウスの声だった。


「魔女? 君たちは魔女のところへ行こうとしていたのか?」


「そうなんですよー。しかも、かつて最悪の魔女と謳われたすごい魔女らしいですよ」


 と、メビウスの言葉にヒカルが答える。


「ああ、聞いたことはあるな。最悪の魔女、柏木アリサ……だったか。そうか、彼女がこの近くに住んでいるのか」


「もしかしてメビウスさんも魔女に興味とかあったりするんですか?」


 なんて、おどけてヒカルはメビウスに人差し指を向ける。そんな彼女のおふざけに興味もなさそうに彼は真剣な表情で頷いた。


「……ああ、そうだな。面白い。それ、俺もついていっていいかな」


「もちろん、仲間は多いほうがいいですからねっ」


 と、ヒカルは嬉しそうに右こぶしを突き上げる。


「え、ちょっと。本当にそれでいいの?」


 あまりに直情的な彼女に少し不安になる。


「いいんじゃない? 魔女のもとへとアタシたち女の子二人だけで行くよりも、大人の男の人がひとりいるだけでも安心感はずいぶんあると思うけど」


 たしかにそれはそうかもしれない。彼女は直情的だけれども、それと同時に直感的に動くその選択が正解であることも多い。


「んー、まあそれも一理あるか」


「じゃあよろしく頼むよ」


 と、こうして私たちは三人で魔女の館へと向かうこととなった。

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