1、魔女の館 《雲乃》
そんな、最高の楽園である東京オリンポス。
その第四層「デメテル」にある「デメテル第七区画高等学校」には、ささやかな噂が流行している。
――下町のとある洋館には魔女がいる。
なんていう、少し物騒な噂が。
なんでも、その洋館に迷い込むと、その魔女に囚われて出られなくなってしまうらしい。いくつかある話のバリエーションの中には、ただ単に魔女に捕まってしまう、というものや、魂を奪われてしまう、だけでは済まず、殺されてその肉を魔女が食べてしまう、なんていうホラーなものである。
「ねえモノちゃん、魔女の館に行ってみない?」
と、誘われたのは昼休みのことだった。
校庭の脇にあるチープな噴水広場のベンチに腰掛けて、ランチボックスを開くと同時にその声が耳に入ってきた。
声の主はとなりに座る親友の夏目ヒカル。
手足がすらりと長く、ショートカットがよく似合い、涼しげな目元がクールな印象を与える、バレー部に所属するボーイッシュな女の子だけれども、お弁当袋には可愛らしいキャラクターのマスコットがぶら下がっている。
その容姿からは想像もつかないくらいに彼女の中身は乙女で可愛らしく、そのギャップが男女問わず人気のクラスメイトだ。
彼女は私の名前、伊達雲乃から、モノちゃんと私のことを呼ぶ。
「え、なに? 魔女の……?」
そんな彼女の口から意外な単語が聞こえてきて、思わず聞き返してしまった。
「そ。魔女の館。聞いたことくらいはあるでしょ」
「そりゃ、噂くらいはね。でもなんで魔女の館に?」
その問いに、彼女は八重歯を輝かせながら答える。
「だって魔女だよ。魔法。今のこの時代に魔法なんてものが特別強調されて語られる存在だなんて、気にならない? きっと、とんでもなく強力な魔法を扱う魔女に違いないよ」
たしかに、彼女の言葉は正しい。
現代で魔法が魔法として語られることは、もうありえないのだから。
科学が極致に至ったといっても過言ではない今の時代において、魔法はもはや完全に科学に取り込まれた、科学の一部、という扱いだ。
東京オリンポスが建設されるよりも前、数十年ほど前に一度、この世界に魔女の存在が表層化した。今では教科書にも載っている、大きな事件だ。そのときに大きな混乱が起きたらしいのだけれども、それもほんの十年ほどで鎮静化したのだ。
べつに、どうということでもない。
それまで、魔法はずっとひた隠しにされてきていた。それゆえに、特別だったのだ。少数のコミュニティだけで語り継がれてきた存在で、それが外に漏れることはほぼない。たまに漏れ出るかすかな情報だけがオカルトとしてひとり歩きしていただけ。
けれども、そうして本当に存在するとこの世界に知らしめてしまったがゆえに、魔法は陳腐化してしまったのだ。この世に魔法が実在すると知った世界は、この魔法というものを徹底的に研究し、そしてその原理を解明してしまった。それも、たったの十年足らずで。
そうして解明されてしまった魔法は、誰にでも使える便利なツールに成り下がってしまい、魔法を使える人たちの存在も、特別ではなくなっていったのだ。
魔法は、魔法ではなくなった。
そんな世の中で、未だ魔女と語られるような存在がどれだけ異質なのかは、もはや語るまでも無いだろう。
とはいえ。
「でも、しょせんは噂話でしょう?」
そう、それはあくまで噂話程度のもので、おそらくは都市伝説や怪談のような類の話だろう。今でも、生まれつき魔法を使える人間が二十年に一度くらいのペースで誕生するらしいけれども、魔法が科学になった現代においては、そんなものはちょっとした個性くらいのものに過ぎない。存在自体が希少なので、研究対象として手厚く保護を受けるらしいけれども、それだけのことだ。
だからきっと、その魔女の噂話も、半分は本当なのだろう。魔法を使える女性が存在するには存在する。
それに尾ひれがついて徐々に大きな噂話へと広がっていったに違いない。
魔女の存在自体は今の時代においても貴重なものであることに違いはないから、それを珍しがって話す人が広めていった噂話が変化していった、というのが真相なのだと思う。彼女が本当に噂通りの魔女ならば、きっととうに政府や研究機関から隔離されたりしているに違いないだろうから。
「まあ、そりゃただの噂話かもしれないけどさ、それでも人生で一度は本物の魔女を見てみたくない?」
なんて、ぜんぜん引く素振りを見せないヒカルは身を乗り出して言う。距離が近い。
「まあ、興味が無くはないけれど、ヒカルはそんなに魔女に興味があるの?」
「もちろん。だってアタシ、小さなころから魔法少女に憧れて、幼稚園の頃に買ってもらったおもちゃの魔法ステッキを未だに取ってあるくらいなんだよ?」
「もしかして、そのステッキを今でも振るったりしてるとか?」
「まさか。たまに眺めて寝るときに抱きしめたりするくらいだよ」
そう言うヒカルの表情があまりに無垢で、ツッコむのは野暮な気がしてなにも言えなくなってしまう。
けれどもそれで、彼女が魔女に対してどれだけの憧れを抱いているのかはよく理解できた。彼女の思考がややメルヘンであることは否めないけれども、それでも彼女は魔女に焦がれている。魔女に会いたいと熱望している。ならば、彼女の親友としてその望みを手伝ってあげたい、とは思う。
それに、やっぱり私も魔女という非日常の存在に興味はある。
「うん、いいね。面白そう。行ってみようよ」
そう答えると、彼女は本当に嬉しそうに飛び跳ねた。




