第九話 止まれば、終わる
第九話 止まれば、終わる
それから――
ネロの訓練は、日課になった。
朝も、昼も、時には夜も。
ただ、短剣を振る。
遅れたものを取り戻すのは、簡単じゃない。
そんなことは分かっている。
それでも――
何もしなければ、何も変わらない。
そう決めたはずだった。
――だが。
ネロ「……はぁ」
息が荒い。
腕は重く、指先の感覚も鈍い。
何度振っても――
何も、変わらない。
ネロ「……どうしたらいい」
手が止まる。
静寂。
風の音だけが、わずかに耳に届く。
その中に――
別の音が混ざった。
ゆっくりとした足音。
ネロ「……っ」
振り返らなくても分かる。
この足音は――
エド「まだやってるんですか?」
低く、抑えた声。
ネロは振り返る。
そこにいたのは、エドだった。
かつて見下していた使用人。
そして今は――自分を見下している男。
ネロ「……悪いかよ」
吐き捨てる。
エド「全然。かまいませんよ」
一歩、近づく。
エド「ただ――見ていて、滑稽だなと」
ネロ「……は?」
エド「結果が見えているのに、何になるのかなと」
エド「見ている側からすると、非常に見苦しいですよ」
嘲笑うような口調。
だが、その一言一言が、確実に突き刺さる。
エド「応援してほしいですか?」
エド「それとも――辞めた方がいいですよ?」
エド「とでも、言ってほしいですか?」
逃げ場が、ない。
ネロ「……うるせぇよ」
エド「間違ってます?」
一拍。
エド「ネロ様。あなたは底辺なんだから、抗うのやめましょうよ」
言い返せない。
何も、証明できない。
ネロ「……っ」
視線を逸らす。
エド「……昔のネロ様を思い出しますね――」
ネロ「……は?」
エド「ほら、自信に満ち溢れいろんな“お戯れ”されてたじゃないですか」
「今とは真逆ですがね」
心臓が、強く脈打つ。
エド「気づかれないのですか?」
エド「…………お前がやっていたことだ」
否定の言葉が、出ない。
ネロ「……意味わかんねぇよ」
エド「そうですか……」
背を向ける。
エド「……頑張ってください。そのまま、何の結果も出せずに朽ちていく姿を、楽しみにしていますから」
歩き出す。
そして、最後に。
エド「そのうち、分かりますよ」
足音が、遠ざかる。
静寂が戻る。
ネロ「……昔は」
ぽつりと呟く。
言いかけて――止まる。
空を見上げる。
青く、静かな空。
その奥に――
押し込めていた記憶が、浮かび上がる。
――過去。
数人の男たちで、エドを囲む。
エド「やめてください、ネロ様!」
ネロ「あははっ!いいじゃん、そのまま歩けよ!」
水しぶき。
突き飛ばされ、体勢を崩し、エドが池に落ちる。
ネロ「飛ばない豚かと思えば、飛べる豚じゃん」
必死に立ち上がろうとするエド。
焦りで顔が歪み、こちらを見る。
ネロ「あ――あ」
その動きを見て、ネロの笑みがゆっくりと消える。
ネロ「何、被害者ぶってこっち見てるの?」
ずぶ濡れのエド。
ネロ「それで仕事できなくなりましたって言うの?」
空気が止まる。
ネロ「落ちたから出来ません、ってさ」
ネロ「それ、お前が“その程度”ってだけじゃん」
近づく。
ネロ「結果出てない時点でさ」
ネロ「努力してます、って顔するのやめてくれる?」
刺さる。
ネロ「力もないやつに限って、よく叫ぶよね」
ネロ「無能のくせに金だけもらって、恥ずかしくない理由?」
ネロ「でも良かったよね――働く場所がここで」
ネロ「ここなら無能でも、俺が上手に扱ってあげる」
――まるで、モノを扱うように。
エド「えっ……? そ、それは……?」
ネロ「ほら、手出しな。ほら、早く!」
ネロ「やれ!」
――男はエドの指を掴み、無理やり捻じ曲げる。
エド「ぎゃ――――っ!」
ネロ「ハハハ――大丈夫?」
――高笑い。
ネロ「せっかくみんな集まってんだし、楽しくいこうぜ」
次はエドを板にくくりつける。
ネロ「しっかりくくりつけな!的が外れたら大変だぞ!」
――エドがこちらを見る。
エド「や……やめて……お願いですから……これ以上……」
ネロ「的がしゃべってんじゃねぇよ」
石が額にぶつかる。
エド「痛い……」
ネロ「そうだな――せっかくだし景品を出そう!」
「より点数出したやつには、いい店連れてってやるよ」
――男たちははしゃぎながら石を持つ。
エド「やめてくれ……このままだと死んでしまう……」
——泣きながら懇願するエド
その言葉に――
一瞬だけ。
ネロの動きが止まる。
ネロ「……は?」
静かに見下ろす。
ネロ「死ぬ?」
一歩、近づく。
ネロ「そんなことで?」
しゃがみ込む。
ネロ「……大げさだろ」
声が少しだけ落ちる。
ネロ「別にさ」
ネロ「殺すつもりなんかないしさ」
“安心させる”ように。
ネロ「ちゃんと加減してるじゃん」
笑う。
ネロ「それに――」
少しだけ首を傾ける。
ネロ「お前、ここ出たらどうすんの?」
エドの目が揺れる。
ネロ「他でやってけるの?」
ネロ「無理だろ」
即答。
ネロ「だったらさ」
ぽん、と肩に手を置く。
ネロ「ここで楽しく過ごす方がよくね?」
優しい声。
ネロ「俺たちがちゃんと見てやるしさ」
逃げ道のようで――
ネロ「ほら、良い待遇だろ?」
完全に塞ぐ。
ネロ「な?」
笑う。
――その笑顔は。
“善意”だった。




