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第十話 優しさのツケ

第十話 優しさのツケ


⸻


 ――それは、自分の言葉だった。


 沈みかけた意識の奥で。


 逃げ場を塞ぐように、ゆっくりと響く。


 ――それで、本当に正しかったのか?


ネロ「……っ」


 息が詰まる。


 忘れたはずの声。


 いや――忘れたことにしていた声。


 視界が歪む。


 景色が、剥がれる。


 石畳。長い廊下。

 磨かれた床に映る影。


 ――屋敷。


 ネロは見ている。


 だが同時に、そこにいる。


ネロ(過去)「……まだやってるの?」


 静かな声。


使用人「……申し訳、ございません……もう少しで……終わりますので」


ネロ(過去)「“もう少し”って、何回目?」


使用人「……っ……」


ネロ(過去)「いや、聞いてるだけだよ」


ネロ(過去)「そんなに怯えなくていい」


 声は柔らかい。


 だが――逃げ場はない。


ネロ(過去)「前回も同じこと言ってたよね?」


使用人「……はい……ですが今回は――」


ネロ(過去)「“今回は違う”?」


 被せる。


ネロ(過去)「じゃあ聞くけど」


ネロ(過去)「何が違うの?」


使用人「それは……あの……」


ネロ(過去)「ゆっくりでいいよ」


ネロ(過去)「君の考えを聞きたいだけだから」


 優しさの形をした圧。


使用人「……っ……」


ネロ(過去)「言えない?」


ネロ(過去)「じゃあ、それ“考えてない”よね」


 断定。


使用人「で、ですが……やる気は……」


ネロ(過去)「あるよね」


ネロ(過去)「それも分かってる」


 否定しない。


ネロ(過去)「頑張ってるのも知ってる」


 だからこそ、逃げられない。


ネロ(過去)「でもさ」


 間。


ネロ(過去)「結果、出てないよね」


使用人「……っ……!」


ネロ(過去)「やる気があるのに出来ない」


ネロ(過去)「それってさ」


ネロ(過去)「“向いてない”ってことじゃない?」


使用人「そ、そんな……!」


ネロ(過去)「違う?」


 優しく問う。


ネロ(過去)「じゃあ、出来る理由を教えてよ」


使用人「……努力すれば……」


ネロ(過去)「今までしてなかったの?」


使用人「してました……!」


ネロ(過去)「じゃあ、なんで結果が出てないの?」


使用人「それは……」


 沈黙。


 逃げ場は、もうない。


ネロ(過去)「頑張っても無理なことってあるんだよ」


ネロ(過去)「残酷だけどさ」


 “現実”として押し付ける。


使用人「……っ……」


ネロ(過去)「でも安心して」


 声が、わずかにやわらぐ。


ネロ(過去)「責めてるわけじゃない」


ネロ(過去)「むしろ、助けたいと思ってる」


 救いを差し出す。


使用人「……たす……け……」


ネロ(過去)「うん」


ネロ(過去)「このままだと辛いでしょ?」


ネロ(過去)「出来ないことをやらされて」


ネロ(過去)「責められて」


ネロ(過去)「苦しいだけだよね」


使用人「……はい……」


ネロ(過去)「だからさ」


ネロ(過去)「無理しなくていいよ」


 その一言で、揺れる。


ネロ(過去)「出来ることだけやればいい」


ネロ(過去)「出来ないことは、やらなくていい」


使用人「……でも……ここで……働きたいんです……」


ネロ(過去)「どうして?」


使用人「それは……」


ネロ(過去)「なんとかなると思ってる?」


使用人「……っ……」


ネロ(過去)「違うよ」


ネロ(過去)「そんな甘い話じゃない」


 完全に、折る。


 だが――


ネロ(過去)「でもさ」


ネロ(過去)「通用する場所はある」


ネロ(過去)「君にも出来ることはある」


ネロ(過去)「もっと簡単で」


ネロ(過去)「失敗しても責められない場所」


ネロ(過去)「紹介してあげる」


使用人「……っ……」


ネロ(過去)「ほら」


ネロ(過去)「その方が楽でしょ?」


 選択させる。


 だが、答えは一つ。


ネロ(過去)「大丈夫」


ネロ(過去)「君にも、未来がある」


 ――全てが、決まる。


⸻


ネロ「……違う……」


 否定が、弱い。


アイル「何が違うんですか?」


 すぐ隣。


 アイルがいる。


ネロ「……見るな……」


アイル「どうしてですか?」


 柔らかい声。


逃げ場を与えない距離。


アイル「とても、綺麗でしたよ」


ネロ「……は……?」


アイル「無駄がない」


アイル「傷つけずに」


アイル「でも確実に終わらせる」


アイル「理想的でした」


ネロ「……やめろ……」


アイル「どうしてですか?」


アイル「否定する理由、ありますか?」


ネロ「違う……俺は……」


アイル「何が違うんです?」


ネロ「俺は……あんなつもりじゃ……」


アイル「では、どんなつもりだったんですか?」


ネロ「それは……」


 詰まる。


アイル「助けたかった?」


アイル「楽にしてあげたかった?」


ネロ「……っ……そうだ……!」


アイル「結果は?」


ネロ「……」


アイル「その人は、どうなりました?」


ネロ「……知らない……」


アイル「逃げましたね」


 優しい声で、断定する。


ネロ「違う……!」


アイル「では、責任を取ったんですか?」


ネロ「……っ……」


アイル「最後まで見届けたんですか?」


ネロ「……」


アイル「違いますよね」


 静かに、刺す。


アイル「“楽にさせた”のではなく」


アイル「“諦めさせた”だけです」


ネロ「……やめろ……!」


アイル「ですが」


 一歩、近づく。


アイル「今のネロ様も、同じことをしていますよ?」


ネロ「……っ……」


アイル「嫌なことから逃げて」


アイル「出来ない理由を並べて」


アイル「傷つかないようにしている」


ネロ「違う……!」


アイル「では、何をしていますか?」


ネロ「俺は……俺は……!」


アイル「戦っていますか?」


ネロ「……!」


アイル「結果は出ていますか?」


ネロ「……まだ……これから……!」


アイル「“これから”は、いつですか?」


ネロ「……っ……」


アイル「前も、そう言っていましたよね?」


 過去と重なる。


ネロ「……違う……!」


アイル「何が違うんですか?」


ネロ「今回は……!」


アイル「何が?」


ネロ「……っ……」


 言えない。


アイル「ほら」


アイル「同じです」


 優しく、確実に詰める。


アイル「だから」


アイル「もう、いいじゃないですか」


ネロ「……やめろ……」


アイル「頑張らなくていいんです」


アイル「苦しいだけですよね?」


アイル「結果も出ない」


アイル「報われない」


アイル「それでも続ける理由、ありますか?」


ネロ「……ある……!」


アイル「教えてください」


ネロ「……」


 沈黙。


アイル「ないですよね」


ネロ「……っ……!」


アイル「大丈夫です」


 声が、さらに柔らぐ。


アイル「否定しません」


アイル「責めません」


アイル「ただ――楽にしてあげたいだけです」


ネロ「……っ……」


アイル「無理しなくていいんです」


アイル「出来ることだけやればいい」


アイル「出来ないことは、やらなくていい」


 過去と同じ言葉。


ネロ「……やめろ……」


アイル「ほら」


アイル「その方が、楽でしょう?」


 逃げ道を提示する。


 だが、それは“終わり”。


ネロ「……疲れた……」


アイル「はい」


 優しく、微笑む。


アイル「お疲れ様でした」


 その一言で――


 すべてが、終わる。


 沈む。


 抗わずに。


 静かに。


 ――だが。


 指先が、動く。


 わずかに。


 ほんの、僅かに。


ネロ「……ちが……う……」


 消えきらない。


⸻


 アイルは、それを見ていた。


 静かに、微笑む。


アイル「……流石です」


アイル「お元気で」


 その姿は、音もなく消えた。


⸻


 ――第二章へ。

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